第4話 偉大なる恭順へ(前編)

文字数 13,004文字

 レガートは車に乗り、駐屯地から東京に向かった。車を降りると商業ビルの貸しスペースに入り、受付を済まして奥のフロアに入った。
 フロアは電話ボックスに似た不透明な間仕切りで区切ってあり、監視カメラが付いている。
 レガートは間仕切りのドアを開けて入った。机と通信機器が置いてある。監視カメラは設置していない。偽の国民が入り込んでいないかを確認するためで、作業内容を監視する設備ではない。端末を取り出し、暮広が解析したデータをリブラ内部のデータと照らし合わせた。アクセスできる情報は限定しているが、断片でも別れば十分だ。
 照合の結果がディスプレイに映る。暮広の言葉通り、偽の国民にリソースを傾けていた。真の国民は偽の国民と異なり生産をしない。精算を継続できなければリソースの枯渇に入る。リブラが国家の維持のため、生産を司る偽の国民を守るのは当然だ。
 問題は真の国民が自らを維持するリソースである偽の国民を海外に派遣し、数を減らしている事実だ。リブラの方針に従う規則は政治結社にないが、意向の無視はリブラを設計した意義を失う。
 レガートは衛星回線を使い、端末を外のネットワークに接続した。日本は国家を守る名目で情報を遮断していため、海外につなげるには自分達が属している国家の衛星を中継する。
 ノイズがかかった状態からアクセスがかかる。英語のウェブサイトが開く。
 レガートは日本の派遣に関するニュースを調べていく。各国の政府や国連の広報を集約すると、派遣要請は内乱後の混迷や国防組織の信頼から一切していない。よって隊員の行き先は分かっていない。私用のネットワークにアクセスした。ジャーナリストを含む国境を問わずに活動する人間は派遣先の国家による検閲や逮捕を防ぐため、独自にネットワークを保有している。回線がつながった。
『久しいな、夜中に呼び出すとは随分仕事熱心だな』音声がスピーカーから鳴った。『わざわざ指名するとは、身を固める決意でもしたか』
 ディスプレイには白髪と金髪が混じった壮年の男が映っていて、隣に『Albelt』の記述とアイコンが映っている。
「与太話は不要よ。日本の国防は東安部が抑えているのはご存知よね」
『何十年前の話をしているんだ』
「東安部が各国に兵を派遣しているってウワサを聞いたのよ。真偽と派遣先は分かるかしら」
『ウワサか』
「ええ」レガートはうなづいた。アルベルトは魔道力学者から科学雑誌のライターを経てジャーナリストまがいの仕事をしている。同じ魔導力学者だったが袂を分けた関係だ。報道官や官僚に比べて情報量や精度は落ちるが、伝で十分だ。
『各種のニュースサイトは見たか』
「否定以前に一切なかったわ」
『皆が右を向くのは情報統制をしている時だけだ。アンダーグラウンドの確認は』
「念を入れたけど駄目ね」
 アルベルトは笑った。『皆日本政府からの発表を鵜呑みにしているんだ。と言っても、外堀を調べれば意図の推測は容易だよ』
「推測を教えて。今は日本にいるの」
 アルベルトは驚いた表情をした。日本に入るにはコネがない限り、数年単位の審査が必要だ。『本当かい』
「ウソでも教えなさい。調査に必要なの」
『調査ねえ』アルベルトはにやけた。
「要請があってきたのよ」
『なるほどね』アルベルトは小さくうなづいた。『東安部は私兵部隊だ。兵を派遣するなら場所は推測できるだろ』
「紛争地域ね」レガートは淡々と答えた。平和な場所では、国防組織を諸外国から派遣するケースがあっても少数の警備程度だ。
『紛争地域に派遣している兵力を調べればいい。子供でも気づく答えに気づかないなんて、君は相変わらず鈍いな。だから婚期を逃すんだよ』
「私も推測できているわ、でも派遣の実績はない」レガートは冷静に反論してデータを送った。兵が足りている場所に派遣しても余計はお世話だ。
 アルベルトはデータを眺めた。『公称では駄目だ。カウントしているのは正規兵とPMCだけだからな』
「他に誰がいるのよ」
『雇兵だ』
 レガートの表情が一瞬、曇った。「PMCも同じでしょ」
『PMCは国家が雇い、雇兵は武装勢力が雇う。だから公の戦力としてカウントしない』
 ディスプレイに紛争地域を示す世界地図と勢力の一覧が映った。派遣する側は欧州とアジア圏が主で、派遣先はアフリカや中国や南米の国境に集中している。アルベルトの言葉通り、雇兵を使うのは少数勢力や細胞組織がほとんどを占める。
 レガートは日本に目をやった。日本から派遣している人間はいない。
「日本から誰も来ていないわ」
『戦闘以外の理由で受け入れている。表沙汰にできない活動に必須の役目を担うためだな』
 ディスプレイが切り替わり、別の情報が映った。国連が民族浄化をしている区域と、ジャーナリスト達が民族浄化とみなしている活動区域との違いを示した図だ。国連はアフリカを中心とみなしているが、ジャーナリスト達の間ではアジア圏と南米圏に重きを置いている。
「アフリカを過小評価しているのね」
『国連は未だアフリカを国際紛争の火種と判断して多国籍軍を派遣しているが、実際には重工業の発展による独立阻止と資源の奪い合いに介入する意図がある。独立をすると資源と技術を安く確保できなくなるからな。先進国は国連軍を使ってけしかけているんだ。外交による秩序だった戦争では裏工作は発生しにくい。正規軍はよく訓練しているし、マスコミの監視も強い』
 レガートはディスプレイに次々映るレポートを眺めた。
『逆にアフリカの発展に参ったのがアジアだ。資源の枯渇が顕著になった。何もなくなれば略奪と押しつけ、パイの奪い合いになり疑心暗鬼に陥る』
「非正規戦に入るのね。国連軍は動かないの」
 アルベルトは首を振った。『国家は利益が出ない戦闘に介入しない』
 レガートはうつむいた。大国が過去の紛争や虐殺を放置してきた理由だ。
『他国は助けないとなれば、答えは見える』アルベルトは断言した。
 レガートはぼう然となった。正規に寄らない手段で兵を求めている。「でも戦闘員での評価は低いわ。労働力のない人間が来ても金と食料が減るだけよ」
『処分を前提にするなら働けばお得、働かなくとも見せしめに使えるから損は薄い』
 記録がディスプレイに映った。民族浄化の責任を取り、処刑が決まった人物のリストとマグショットだ。リストにはアジア人の名前が現地の言葉で映っていて、隣のマグショットはやせこけた顔をした、短髪の男が映っている。「民族浄化を仕向けて、実行したら処分する。マッチポンプを仕掛けているのね」
 アルベルトはうなづいた。『俺達からすれば、アジア人は中国人でも日本人でも、ミャンマー人でも一緒に見える』
 レガートは手で端末のディスプレイをなぞった。民族浄化に関する詳細な尋問の内容だ。一通り読み終え、席を立った。「情報ありがとう、感謝するわ」
『帰ったら豪華なディナーをおごってくれ』
「私は健康志向なの、脂肪まみれのフルコースは出ないわよ」端末を操作して通信を切った。端末の電源が切れた。席を立ち、端末を片付けて部屋を出た。
 レガートは端末を起動し、中西の情報を調べた。中西が政治結社のメンバーで詳細を理解できている。中西が所属している企業と関連しているビルの住所が映る。ビルの住所を検索した。現在地から近い場所が映った。東京のビル街を進み、中西が所属する企業のビルに向かった。
 ビルのビジョンには延々と日本人の海外における活躍と共に、都合のいいニュースと無名のロックバンドのライブ映像が映っていた。容姿は遠くからのアングルでわからない。
 政治結社の内部に入り、セキュリティゲートをくぐった。リブラの解析をする依頼を受けていたので、問題なく通過できた。受付に向かった。
「失礼、中西圭一はいるかしら」レガートは受付にカードを差し出した。
「お待ちください」受付はカードをカードリーダーに乗せ、手元にある端末にデータを打ち込んだ。レガートのデータが映る。中西のアドレスを特定し、連絡先を打ち込む。フォームが画面に現れた。「失礼ですが、連絡内容は」
「結社から受けた依頼の報告よ」
 受付はフォームに内容を簡潔に入力し、送信した。間もなく部屋番号のデータが返ってきた。指定したデータをプリンターで切れ端とカードをレガートに差し出した。
 レガートは切れ端とカードを受け取った。「部屋までのルートはわかりますか」
「いいえ」
 受付はレガートの態度に一瞬、眉をひそめた。「では本ビルのデータをダウンロードしてください」
「ありがとう」レガートは受付を去り、端末を起動してデータをダウンロードするとデータを操作し、地図を写した。見知らぬビルは迷路と変わらない。エレベーターで指定した階に到着し、迷いながら部屋のドアに来た。
 ドアの脇には認証端末が付いている。小型のセンサーがドアノブにも付いている。認証していない人間がドアノブに触れれば通報が入る。
 モーター音がドアから鳴り、施錠が外れた。『入り給え』認証端末から声が響いた。中西の声だ。
 レガートはドアノブを回し、ドアを開けて部屋に入った。
 部屋は設備が一通り整っていて、滞在が可能となっている。中央のテーブルにディスプレイが置いてあり、伸びているコードは天井のプラグに接続してある。リブラと接続しているのが、映っている映像から分かる。
 中西は中央にあるソファに座っていた。「ホテルではないから何も用意はできんが、構わないかね」
「別にいいわよ、用件を話して終わりだから」レガートは中西と対面する位置にあるソファに座り、端末を置いた。
「私に直に会うとは、余程の案件だと見えるが」
「リブラの不調の原因よ」レガートは端末を操作した。画面が変わり、派遣の状況が映る。「改めて聞くけど、偽の国民には人権はないのよね」
「無論だ。偽の国民は真の国民から場所を借りている存在だ。勝手に住んでいる輩に権利はない」
「なのに義務を果たしていると。真の国民は怠惰よ、何も生産していないくせに大手を振っているんだから」
「強制送還になるのを温情している。タダでホテルに泊めてやっているのと同じだ。真の国民は国に奉仕してもらわんとな」
「宿賃をもらう側にも管理の義務はある。でも管理は真の国民ではなくリブラが司っている。リブラからすれば義務を放棄しているのは真の国民の側よ。現にリブラは偽の国民をリソースをみなして管理しているわ」レガートは端末を開いているコードと接続し、ディスプレイに映した。
 中西は映った映像に目をやった。リブラによる管理状況を示している。うち東安部に関する内容は、東北にある2つの駐屯地を除き、詳細が現れている。
「ありえんよ」中西は不敵な笑みを浮かべた。「真の国民は消費している。偽の国民の過剰生産を制御しているのだから、第一にとらえなければ意味をなさない。生産しているだけでは在庫管理でパンクするよ」
 レガートはうなづいた。消費を先に捉えるか、生産を先にするかは解釈の問題だ。正解はない。「生産する側も消費をしているのよ。自己生産が可能だから持続できるの。消費だけ、生産だけでは先は持たず破滅していくわ」端末を操作した。ディスプレイに生産と消費の状況が映る。
「では我々が破滅を導いていると」
「先の方針はわからないわ。でもリブラが描いた理想と現状にズレがあるのは確かよ。何度も軌道修正を余儀なくしている状況が溜まっているって訳」
「リブラの方針は確実ではない。昔から機械は人間の補助をする役割を持つ」
「人工知能の本来の役割だから当然よ、私も同意するわ。リブラもある程度は織り込み済みでも、許容範囲を超えている。特にストレスを増大している方針があるわ」
「方針とは」
「派遣よ」レガートは言い切った。「東安部を海外に派遣しているわね」
「根拠は」
「リソースを外に出して無駄な消費を促している状況がストレスになっているのよ。特に働き盛りで国防に回っている東安部がね。理由は何」
「君は外交官にでもなった気かね」中西はテーブルに置いてある電子タバコの箱を手に取って開けてくわえた。自動で認識し先端が赤く光る。筒に入っているカートリッジが熱を持ち、成分が入った液体を蒸気に変換して口内に充満する。
「偽の国民の増加こそ、無駄な生産だよ」中西は言い切った。ニコチンの匂いが口から漂う。ディスプレイを回し、レガートに見せつけた。偽の国民と真の国民との人口の割合が映っている。偽の国民が徐々に増えているが、真の国民は減っている。「社会の成熟に伴い、真の国民の数が減っている。代わりに偽の国民が増えている。バランスを取るためには外に派遣する。健全な政策だ」
「減らすのが健全なの」
 中西は顔をしかめた。「減らすだと」
「外に出た人間は戻ってきてないわ。強制送還にしても日本の国防を司る東安部の人間を対象にするには無理があるわ。国連が把握していないなら要請元は多国籍軍ではない。むしろ敵対している側よ。何が理由なの」
 中西はレガートの言葉に何も言わず、わずかに目をそらした。「自衛隊の頃から、国連軍からの評価は役に立たんの一言だけだ。前線にも呼べず、後方支援にも荷物運びしか使えない。役立たずに需要があるなら誰もが嫌がる仕事、例えば民族浄化に駆り出して数減らしをする」電子タバコを手に持ち、灰皿に置いた。
 レガートは顔をしかめた。「金と引き換えに命を差し出している。リブラが事実を知れば怒り狂うわね」
「分かっているさ」中西は立ち上がった。「我が国は、人が人を食わねば生きていけないまでに落ちた。食料も、金も技術もない。我々は生産もできず、文句しか言わず、小学生ですら簡単に論破できる陰謀論に簡単にハマる国民を全力で守らねばならんのだ。偽の国民を家畜にして売り払う以外に何ができる。ただ一つの貿易手段だった魔道力学すら、海外から遅れを取り始めているんだ」
 レガートはため息をついた。「リブラが望んだ未来と真逆よ」
「何を望んでいる」
「共存よ」
 中西は笑った。「過去に移民と共存できた国家はない。偽の国民をロボットに置き換えても解決できないか」
「ロボットに魂はない。データの複製は容易よ。まして修理すれば戻るから死なない。だから同じとみなす定義はない。捻じ曲げてもリブラは奇弁を簡単に破るわ」
 中西は電子タバコのカートリッジを交換して口にくわえた。ディスプレイの画面を眺めた。
「リブラはストレスを取り除くため、のたうち回って原因を探しているわ。私が仮定した原因を投入すれば、飛びつくわ」レガートは端末を操作し、ディスプレイに目をやった。リブラが処理している内容が映る。内容が余りに膨大で、細かいので人が認識するより早い速度でスクロールしている。「影響は甚大よ。下手をすれば日本が一瞬で沈むわ」
「膨大であるが故に処理も難だ。現状維持で対処する」
「現状維持なら対処は3つよ。一つはリブラに何も話さず、ガスライティングで混乱を与えて逃げ切る。2つ目はリブラに正直に話して話し合う」
「3つ目は」
「停止して国会議員に仕事を与える」
「最初を取るしかないな。話し合うにしても偽の国民に肩入れをしだす。国会議員を招くにしても金も時間もかかる。余りにも現在の政治形態から離れすぎた、元に戻るなんてできない」
「データは渡しておくわ。対処するときのヒントになればいいけどね」レガートはカードを渡した。「リブラから隔離した状態で閲覧して。直に格納すればリブラ自身が食らいついて原因を突き止めるわ」
「了解だ」中西はカードを受け取った。
「私からの依頼は終わりね。レポートと請求は帰ってから出すわ。謝礼なら昔使っていた口座に振り込んでおいて」
「追加の依頼は受けるかい」中西はうなった。「リブラを調教し直す。魔導力学者で頼りになるのは君位しかいない」
「検討するわ」レガートはケーブルから端末を抜き、部屋を出た。
 中西は渋い表情をした。検討するとは断るのと同じだと知っていた。



 レガートは政治結社に頼んだ内容を与え、役割を終えたと判断した。残った依頼は駐屯地に戻り、沙雪に暮広の生存を伝えるだけでいい。ビルから出て指定した場所に向かった。自動運転の車が歩道と車道の境で停車している。車に搭乗し、行き先を入力した。
 車は動き出し、車道に入り駐屯地に向かった。
 東京を離れる時に検問を通った。景色が都会の超高層ビルが立ち並ぶ光景から、田園の広がる田舎に変わっていく。
 車は沙雪のいる駐屯地のゲートを通過し、駐車場に止まった。
 レガートは車を降りて受付のある棟に入ると受付のロビーに向かった。
 ロビーには休憩中の隊員達がくつろいでいた。
 レガートは受付に来るとカウンターにカードを置いた。「芦原沙雪という人を探しているんだけど、会えないかしら」
 受付はカードを受け取り、カードリーダーに読み込んだ。レガートの情報がディスプレイに映る。
「芦原三尉ですね。彼女なら現在特別棟にいます。お呼びはできませんが、会話なら可能です」
「頼むわ」
 受付は手元のキーボードをたたき、呼び出しをかけた。
 レガートは安心した。沙雪は東安部でも特殊な位置にいる。会話ができるだけで十分だ。
 受付は受話器をレガートに差し出した。「呼び出しました」
「ありがとう」レガートは受話器を受け取り、耳に当てた。「もし」
『聞こえますか』沙雪の声が受話器から聞こえた。同時に機械が稼働する音や金属がこすれる音が鳴り響いている。
「貴方が私に頼んだ内容について、概ね解決したわ。レポートはまだだけど、口頭なら問題ないかしら」
『今日はスケジュールが埋まっていますから、明日の正午にでも軽く話してくれれば十分です』
「私も時間が必要だったから、ちょうどいいわ。明日の正午ね」
『場所は前と同じ特別棟です』
「ええ」レガートは胸ポケットからメモ帳を取り出して書き込んだ。「明日の正午に特別棟ね。分かったわ、ありがとう」
『はい』
 レガートは受話器を受付に返した。
 受付は受話器を元の場所に置いた。メモ帳を胸ポケットに入れて宿舎に向かった。
 レガートは滞在する宿舎の部屋に入り、机のコントロールパネルを開いて端末を接続した。レポートのエディタを開き、データを整理し始めた。中西にはリブラがストレスとなっている要因を話したが、再現できないので確証はない。実際にやるにしても危険が多すぎる。資料を一通り整理し、各々のファイルに収めると席を立った。続きは起きてからやると決め、ベッドに横たわった。疲労が溜まっていた。徐々に意識が消えていく。



 粘り気のあるアラームの音が、レガートの意識を呼び戻した。
 レガートは意識を戻し、音源を確認した。コントロールパネルを介してデータを打ち込み、状況を確認する。緊急事態の状況が現れた。政治結社が駐屯地の制御システムに介入したと記述してある。
 レガートは目を疑った。介入は以前からしている。今更になって警告するとは何を意味するのか。通信をつなげた。「聞こえて」
『ロン博士、戻っていたのか』オペレーターの落ち着いた声が響く。
「政治結社が介入しているって知らせが来たけど」
『情報の抜き出しにかかっているんだ』
 ディスプレイが変わる。リブラが次々とズベン・エヌ・ゲヌビとの回路を接続し、情報に侵入している。沙雪と会った時にもあったが、当時の比ではない。
「ファイアウォールを突破したの」
『簡単に突破してきました。今の状況ではリンクしている芦原三尉に影響を及ぼします』
「沙雪だけじゃないわ、APWは大丈夫なの」
『APWは停止しているから直に影響はないが、念のために芦原三尉はAPWに移している』
「現場に行くわ。許可を」
『私の側からも頼む。隊員には事情を伝えておく』通信が切れた。
 レガートはディスプレイを切り、部屋を出た。
 部屋の外に出て廊下を進むと隊員とすれちがった。
 レガートは隊員を引き止めた。「ロン博士よ、異常事態なの。特別棟に案内できるかしら」
 隊員は戸惑ったが、レガートの目を見て真剣だと分かったので引いた。「ついてきてください」きびすを返して廊下を進んでいく。レガートは隊員に続いた。
 滞在している施設から地下通路で特別棟に向かった。隊員が利用するルートをたどっているので、以前特別棟に向かったルートと異なっている。
 隊員は特別棟と地下通路を遮っている鉄扉の前に来た。壁に付いている認証システムに手をかざした。センサーが隊員の指紋と静脈で認証し、電子音が鳴った。直後に鉄扉が開いた。
「ありがとう、感謝するわ」レガートは特別棟に入った。
 特別棟に入り、壁にかけてある案内を見て頭にたたきこんだ。現在地から特別棟の、以前見たAPWのある空間まで走っていく。
 隊員はレガートとすれ違うと確実に呼び止めた。オペレーターが話を通しているのか、事情を話すと簡単に案内してくれた。
 APWを安置している空間に入った。機械まみれで、整備員がギャラリーを忙しく行き交っていう。ただならぬ状態なのは見て分かった。
 隊員の一人がレガートに近づいてきた。「ロン博士ですね」
「ええ」
「お待ちしていました、芦原三尉がお待ちです」隊員はサンセベリアの元に駆けていく。
 レガートは隊員に続き、サンセベリア腰部の操縦席に来た。操縦席は飛び出していて、設置した緊急の透明なキャノピーに無数の情報が隙間なく映っている。内部に沙雪が座っている。
「芦原三尉、ロン博士を連れてきました」
『監視カメラで把握しています』沙雪はレガートの方を向いた。『土産話をする機会が伸びてしまいましたね』
「話は時間さえ確保できればできるから。リブラの介入度合いを教えて。下手をすれば貴方の魂にもダメージが及ぶわ」
 ズベン・エヌ・カマリの稼働状況とリブラの侵入度合いとを示した地図がキャノピー越しに映った。ズベン・エヌ・カマリが制圧している駐屯地を、リブラが周囲から侵入している。
『以前話した通り、リブラは情報を奪い取り込むのではなく、情報を求めているのが正確な状態です。以前は軽く触れる程度でしたが、人の皮膚に潜り込んで細胞の情報を読み取っていると言えばわかりますか』
「何のために」
『人工知能はアイデンティティを深めるために存在します。国家の敵となる存在なら排除するのは当然ですが、妙な傾向があるのです』
「妙」レガートはオウム返しに尋ねた。
 沙雪はうなづいてキャノピーを小突いた。映像が切り替わり、小突いた領域の表示が切り替わる。リブラが発している情報の詳細だ。コードで映っているが、次々にデコードしていき、文章を形成する。
 レガートは映る内容を確認していくうち、血の気が引いていった。
 沙雪はレガートの表情を見て、不審を覚えた。『何を察したのです』
「流したのよ」
 沙雪は眉をひそめた。
「ストレージに隔離しておけと言っていた内容よ」レガートの声が震えた。文章は人工知能であるが故に歪曲した表現を抜いた一直線の文体で、誰が読んでも同じ感想しか出ない。
 内容はレガートが政治結社に渡した内容の回答を求める質問状だ。
「リブラは知らないかと尋ねているから侵入して来ない。情報が侵入で破損するのを恐れているのよ。でも何もないと分かった時が厄介ね」
『侵入ですか』
 レガートはうなづいた。「最悪、乗っ取りをかけて情報を手に入れにかかるわ」眉間にシワを寄せた。「リブラに類似したシステムだから、一部を取ってもすぐに再生する。逆に侵入した情報を取り外して取り込む」
「食い合いに突入ですか」隊員はレガートに尋ねた。
 レガートは沙雪の方を向いた。「時間は持つ」沙雪に尋ねた。
 沙雪は操縦席のコンソールと目線による操作で随時変動している状況に対応している。『ズベン・エヌ・ゲヌビと同等の人工知能となれば相手も消耗しますから、一度に壊すのではなく小出しにします。今の状況から強く介入するとは予想していません。今の状況なら持ちます』
「余裕ね」
『ソフトウェアだけなら、です。ハードウェアが持つかわかりません』
「実際には短いと」
 沙雪はうなづいた。
「原因に当たる節があるわ。話を付ければすぐに止まるかも知れないわ。学者が言っちゃいけない言葉だけど、止まるまで気合で持たせて」
『はい』
 レガートはキーボードを打ち込み、データのあるアドレスを送信した。「時間をかけて話したかったけど、データで渡しておくわ。暮広がいた場所のレポートよ。急造だから薄っぺらいし断片になっているけど、頼んだ内容はクリアしていると自負できるわ」
『暮広は行きていたんですね』
 レガートはうなづいた。「土産話は帰ったらするわ」操縦席から離れた。
「ズベン・エヌ・ゲヌビがアンチリブラと分かったから、リブラを壊しに来たんですかね」隊員はレガートに尋ねた。
「壊すなら爆弾持ってきて直にやるのが確実よ。国家を担うリブラをけしかけるのは危険が高いわ」
「ではリブラが政治結社の意図を離れ、独断でやっていると」
「見ている限りはね」レガートは隊員の方を向いた。「ローランド司令の居場所まで案内して」
 隊員はレガートの言葉に驚いた。「司令ですか」
「状況が状況よ。対処しないと最悪、駐屯地は政治結社の操り人形になるわよ。司令の元に案内なさい」レガートは隊員に迫った。
「了解しました、司令室に案内します」隊員はきびすを返し入り口まで向かった。
 レガートは隊員に続いた。
 二人は地下通路を通って棟を渡り、司令室まで一直線に向かった。
 司令室の扉の前に来た。茶色で、廊下と同じ色をした無機質な鉄のドアと異なる素材でできていた。
 同行していた隊員はレガートに礼をした。「私は持ち場に戻ります」
「感謝するわ」レガートは軽く手を上げた。
 隊員は去った。
 レガートは扉の前で番をしている隊員の前に来て、カードを差し出した。
「魔道力学者で滞在しているレガート・ロンよ。異常事態で司令に相談をしに来たわ。通して」
「許可のない者を入れるなと、規則で決まっています」
「ふざけているの、リブラの侵入が加速しているのよ。司令を通さずに誰を通して相談するのよ」
「システムに異常があるなら、東安部内で情報が渡っています。渡っていない情報をあてにできません」
 レガートは隊員の応対に苛立った。「裸になれば通してくれるかしら」
 隊員は押し黙った。
『何をもめている』天井からローランドの声が響いた。ローランドは備え付けのカメラを通して状況を見ていた。
「レガート・ロンと名乗る者が司令に用件があると」
『通せ』
 番をしている隊員はレガートの顔に目をやった。怒りとあきれが混じった表情をしている。「通します。何かあった場合は即座に」
「射殺でも何でも良いわ。命令に従って通しなさい」
 隊員はドアの脇に付いているセキュリティ端末に目を合わせた。セキュリティ端末は隊員の虹彩で認証した。電子音が鳴って扉が開いた。
 扉の先には壁一面にディスプレイが並び、オペレーターが対応している。ローランドはディスプレイを眺めていた。「ロン博士、タイミングが完璧すぎるな」
「用件は言わずとも分かるわね」
 ローランドはうなづき、レガートの方を向いた。レガートに動揺はない。「リブラが侵入を試みている。攻めに出るなら白テロでも仕掛けるか、政治結社の人間が交渉に来ると見ていた」
「予想は私と同じね」レガートはわずかに笑みを浮かべた。「リブラが侵入を試みる理由に心当たりはあるわ。私が渡した疑念を確かめるためよ」
 ローランドは顔をしかめた。「疑念とは」
「偽の国民は外に流しているって疑問よ。リブラは真の国民は欲望の消化しかしないから、偽の国民を囲い込む方針を提案している。けれど実際には海外に派遣している」
 ローランドは一瞬、眉間にシワを寄せてから渋い表情をしてうなった。「相反する実情を流したから、審議を確認しに尋ねに来たと」
 レガートはうなづいた。ローランドの表情が変わった瞬間を見逃さなかった。「仮定の域で確証はないわ。魔道力学者の妄言の時点でお察しだけど、つじつまの合う理由は他にないわ」
「人工知能が敵になるのか」オペレーターの一人が独り言を放った。
「人間が過去の歴史で、人間以外に政治を委ねなかった理由が分かる」レガートはオペレーターに尋ねた。
 オペレーターは首を振った。「いえ」
「定規と数字で政治をしたら絶滅するからよ」レガートはい言い切った。最善の手段しか採用しない人工知能では、非効率で自律した人間を制御するのは不可能だ。
 ローランドはレガートの方を向いた。「何を渡した」
「リブラのストレスに関する報告よ。政治結社には独立したストレージに保管しろと警告したのに。ミームウイルスの管理を知識の薄い輩に渡した、私の失態だわ」
 ローランドはディスプレイに目をやった。リブラの介入度合いが映っている。「リブラに答えを渡せば解決するか」
「答えを渡して素直に引き下がるとでも」
 ローランドは険しい表情をした。「ワクチンを打つか」
「ミームウイルスにワクチンも銀の弾丸も通じないわ。けど策はある。リブラと切り離して孤立するのよ」レガートはコントロールパネルの元に向かい、操作を始めた。一つのディスプレイの表示が変わり、ズベン・エヌ・ゲヌビとの回路接続状況とエネルギーの状況が映る。
「対処は」
「強引だけど、回路を弾いて孤立状態にすればリセットはかかるわ」
「システムを止めれば駐屯地の制御ができなくなる。人間は構わんが駐屯地のシステムは停止するぞ」
 レガートはうなづき、コントロールパネルを操作した。「切ると言っていないわ、逆よ。巨大なエネルギーで相殺して弾くのよ。現にエネルギーを作るシステムはあるでしょ」ディスプレイにAPWの図面とスペック表が映る。
 ローランドはスペック表を見て顔を青くした。レガートの意図が分かった。「炉を動かすには1基でも最低カロリウム100基分のエネルギーが必要だ。起動して安定に入るまで一日はかかる」
「時間は関係ないわ、できるんでしょ。でなければ縮退炉をAPWに入れたままにしないわ」
 ローランドはうつむいた。「今すぐ起動した場合、膨大なエネルギー反応を政府が察知する。更に弾けばリブラは自分達に敵対するシステムを持っていると判断し、即座に東安部の派遣を要請する」
「偽の国民が処理するなんてね」レガートは顔をしかめた。「やるのかやらないのか答えて」
「他に手段がないならやる。国家と敵対するなら全力を尽くさねばならん」
 レガートはローランドの返事を聞いてうなづいた。「時間は稼ぐわ」きびすを返した。
「逃げるか」
「リブラの施設に理由を聞き出すのよ」レガートは司令室を出た。
「信用できますか」隊員の一人がローランドに尋ねた。
「信用する他にあるまい。逃げたら逃げたで構わん。我々の問題だ、彼女は好意で手伝っているにすぎんのだからな」
「スパイの可能性があります。まさかウイルスを」
「一人の人間が製造するウイルスで、国家を担うリブラや魂とリンクするズベン・エヌ・ゲヌビを壊滅できると本気で信じているのか。アリがかみ付く程度のダメージしか与えんよ」
 隊員はローランドの言葉に口をつぐんだ。
 ローランドはコントロールパネルに向かい、操作をした。カロリウムの管理状況がディスプレイに映る。一度の爆破で炉が耐えうる爆破の性能は10基分だ。炉は1から10まで存在し、予備に4基が存在する。備え付けてあるマイクを手に持った。「各員へ通達する。リブラがAPWを通して駐屯地に介入を開始した。我々は防衛のため、今からAPW、インシグネを起動する。まず始めに縮退炉に火を入れる。予備を含めてカロリウムを入れろ。順次爆破して縮退炉へエネルギーへ組み込む」
 隊員達はローランドの指示に驚いた。「APWを動かすのですか」
「他に防衛手段はない。我々がリブラに屈しない意志を持っていると、見せつける時が来たんだ」
 隊員は引き下がった。
 ローランドは備え付けのマイクを持った。「縮退炉の起動はエネルギー投入から4分以内にしろ。火が入ったら安定するまで、エネルギーを20%に抑えろ」指示を沙雪のいる空間に出した。
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