序 オーバーチュア(3)

文字数 6,440文字

 車は榎本を乗せて東安部の駐屯地に来た。ゲートを通過し、地下駐車場に止まった。ドアが開いた。
 榎本は車から降りて施設に入った。
 施設内の入口は白い廊下でゲートが奥にある。ゲートの前には武装した見張りが立っている。
 榎本は認証装置に手を置いた。身分を認証し、ゲートが開いた。同時に見張りの前に置いてあるディスプレイに榎本の身分が映った。
「お通り下さい」見張りは廊下の端に寄った。
 榎本はゲートを通過して廊下を通る。エレベーターホールに出た。
 エレベーターホールの壁や天井にはディスプレイが張り付いていて、外部の情報を映し出している。ホールの前でローランドが待っていた。
「直か、珍しい」榎本はローランドに手を差し出した。
 ローランドは握手をした。「用件が用件ですからね」
 エレベーターのドアが開いた。二人はエレベーターに入った。
 ドアが閉じた。
 ローランドはカードを取り出して、コントロールパネルに付いている認証装置にかざした。電子音が鳴る。エレベーターが動き出した。
「ご報告の通り、手術は成功です。むしろ予想以上の成果です」
「予想以上か」
「二人とも無事です」ローランドはささやいた。
 榎本はローランドの言葉に驚いた。
 エレベーターが止まった。ドアが開き、廊下に出た。
 廊下は医療関係者が行き来している。ローランドと榎本は行き交う人々を避けつつ、フロアに向かった。
 フロアの前に一つの事務所が出来る程のスペースがある。計器類が詰め込んでいて、コードが地面に散らばっている。
 レガートが自動ドアの前で待っていた。アメリカの魔道力学者で、20代にして名前だけでクルーを集める程の人望を持つ。表向きでは超心理学で通っている。榎本とローランドを確認し、近づいた。名札には『Legat・Rong』と書いてある。「レガート・ロンです。主に人工知能と精神を究めています」抑揚のない調子で自己紹介をしてから、榎本に手を差し出した。
 榎本はレガートと握手をした。
「よく適応に優れた素材をニ名も見つけましたね」
「魔導力学で作った人工物だ。混じり気を取り除いているので探すのは容易だった」
 レガートはドアの前にあるセキュリティ端末に手をかざした。手の静脈と指紋を読み取り、認証するとドアが開いた。
 ドアから先は空調機械の音と電子音と共に、関係者の声が響いていた。榎本達が立っているギャラリーの眼下に船のドックに匹敵する空間が広がっている。中央にカプセルが2つ置いてあり、無数のコードで所狭しと置いてある機械類と接続している。
「大掛かりだな、魂と人工知能をリンクするだけだと聞いていたが」
「人工知能が魂を持っていかない為のリミッターです。また、リブラの影響を外すファイアーウォールも兼ねています」
「別の人工知能を開発したのか」榎本はレガートに尋ねた。
「魂とリンクする器でして、愛称はズベンと言います」レガートはギャラリーから階段へ歩いた。榎本達もレガートに続いた。階段を降り、作業エリアに入った。
 作業エリアでは看護師を含めた技術者達が駆け回り、モニターを見ながらコントロールパネルで調整している。
「失礼」レガートはコントロールパネルを操作をしている作業員に声をかけた。
 作業員はレガートに目をやった。後ろにいる榎本とローランドを見て頭を下げ、引き下がった。
 レガートはコントロールパネルを操作した。ディスプレイに映っているデータが切り替わる。
 榎本とローランドはディスプレイに目を移した。データは二名の子供と人工知能のデータリンクの状況を示している。
「人工知能は魂と組み込み、徐々に学習していくと仮定しています」レガートはディスプレイに触れた。人工知能の仕様を示すチャートが拡大する。画面が切り替わり、2種類の人工知能の仕様が現れた。「人工知能は2つでして、二名の魂を別個に組み込みます。片方をズベン・エル・ゲヌビと言い、もう片方をズベン・エス・カマリと呼んでいます。生物の分類で言えばズベンは上科で、下の名前は科の関係です」
 榎本はレガートの説明にうなった。共にてんびん座の星の名前で、ズベン・エル・ゲヌビは南の爪を、ズベン・エス・カマリは北の爪を意味する。
「一つの魂を分けて管理するのか」
「二人とも無事に手術を終えましたので、各個に格納します」ローランドは小型の板状の端末を操作し、榎本に見せた。双子と人工知能の接続状況を簡易な数値と図で示している。
 榎本はローランドの言葉と端末のデータに驚いた。
「順調だな」
 ローランドは端末を切り、懐にしまった。
 レガートの表情が緩んだ。「人工知能はネットワークにある無数の情報を平等に取り込みます。だから情報の取捨は出来ません。また刺激を与えない限り虚実を見抜けない欠点があります。人の魂とリンクをすれば欠点は改善します。人間の側で人工知能の情報を整理し取捨し、経験からウソを見抜いて自動で最適な判断が出来ますからね。更に言えば人が誰もが経験するにもかかわらず、伝達が出来ない状況も取得して学び、共有を可能とします」
 データがディスプレイに映る。人工知能と子供のアイコンが映っていて、間につながっているコードは転送状況を示している。
「伝達出来ないとは」ローランドはレガートに尋ねた。
「死です」レガートは言い切った。
 榎本は顔をしかめた。「人工知能が死を経験するのか」
「現時点の科学を持ってしても生存、死亡の識別は出来ません。定義がなく自分で経験するか、他人が感覚で認識するより他にないのです。かと言って死は一方通行ですから、死んだ人間は生きている人間とのコミュニケーションが出来ません。魂とリンクしていれば肉体が活動を停止するだけではなく、魂が肉体から遊離するまでを経験しながらも死を傍観出来るのです」レガートは笑みを浮かべた。好奇心が興奮を与える。科学者の悪癖だ。
「リンクすると人工知能側と情報が共有出来るのは分かった。人間に変化はあるか」
「変化しません」レガートは言い切った。
「何もないのか」ローランドはレガートに尋ねた。
 レガートはうなづき、コントロールパネルを操作した。ディスプレイの画面が切り替わり、神経配列が映る。同時に通常の人間の神経配列が映り重なる。違いは特にない。「人工知能の接続に肉体改造は無意味です。当然、精神外科手術もしていません。未知の領域ですから確信は持てませんが、人は感覚を一つでも失えば支障をきたします。人工知能がリンクしている相手を破壊するメリットはないのですから、通常の人間のままで維持すると見ています」
 榎本は2つのカプセルに目をやった。子供はカプセルに入っている。駐屯地と研究所が一生の世界になる。「リンクの拒否は出来ないのか」
「断ち切るのは可能ですが記憶は人工知能と共有しています。生物の意識は記憶の連続で成立していますから、断ち切れば退行を起こす可能性があります」
 榎本はうなり、カプセルに近づいた。白いカプセルは外と遮断している。姿が見えない。無数のコードが触手となって各端末に伸びている。カプセルに触れた。液体が入っている影響で揺れている。「二人の名は」
「先程話した通り、片方は」
「違う、人間としての名はないのかと聞いているんだ」
「実験台ですから、名前を付けていません」
 ローランドはうなづいた。
「俺が付けても構わないか」榎本はローランドに確認を取った。
「名は決めているのか」ローランドは榎本に尋ねた。
 榎本はうなづいた。「名前の件は昨日、寺に泊まった時に相談した。男の側は芦原暮広、女は芦原沙雪にする」
 ローランドは不快な表情をして2つのカプセルを見つめた。カプセルには魂と入っている人物の状況が数値やグラフで映っている。
 榎本はローランドの表情を見て、気難しい表情をした。「日本人でない者に、日本人の名を与えるのは嫌か」
 ローランドは何も答えなかった。名は当人の性質を示す。血が入っている地域に根ざした名を与えないのか。
「我が国家の未来を担う者だ。出身や経緯を問わず名を刻むのなら、属する場所に基づいた名を与えると決めていた。嫌ならお前が付ければ良い」
「いえ」ローランドは榎本の案を否定した。名前程度に反対しても意味はない。
 レガートはカプセルの脇にあるコントロールパネルに触れた。「見ますか」
「見えるならな」
 レガートはコントロールパネルを操作した。カプセルの白い外装が折りたたみ、透明なアクリルで覆った下部の透明な外装が現れる。内部は黄色い液体がカプセルに接続したチューブを通して流れていて、裸体の子供が眠った状態で見える。子供の体には識別を示すマークが書き込んでいて、コードはカプセル内のプラグとつながっている。カプセルに入っている子供の状況を映している。
「死んでいるのか」
 レガートはテーブルに置いてある板状の端末を手に取り、榎本に見せた。
 榎本は端末に映っているデータを見た。生命活動は最低限に留めている。
「魂と人工知能との共有をしている段階です。予想より結びつきが高く、間もなく完了します」レガートは端末に触れてアイコンを突いた。画面が切り替わり、スケジュールに切り替わった。異常がなければ午後にでも生命維持を外す予定だ。
「意外に早いな」
「外面の手術はしていませんから縫合や感染症を確認する手間がないのです。代わりに外と接触し学習する必要があるので、早めに出す必要があります。以降は東安部で教育と開発に入りますね」
「ソフトの問題は解決した。残りはハードか」榎本はレガートに端末を差し出した。レガートは端末を受け取った。
 ローランドは榎本の方を向いた。「用は済んだか」
「好調すぎて不安な程だ。会合に行く」
「政治の側に回ると、途端に忙しいですね。リブラに任せておけば十分なのに」
「人工知能が相手なら楽だよ。人間の相手は人間がしなければならん」
「お館様は話好きですね」
 榎本はローランドの話にうなづき、引き返した。
 レガートは二人が去ったのを見て、カプセルのコントロールパネルを操作した。白い外装が開き、カプセルを覆った。腕時計を見て時間を確認した。
「レガート、積み荷が降りる時間だ。行かなくてもいいのか」ローランドは周囲を見回し、作業をしているクルー達を確認した。魔道力学は原理が不明なので、解析や技術の注入は状況に応じた対処が基本になる。知識を下地とした経験やセンスが重要だ。レガートは若くして両方を持っている。
 榎本は扉に来て、隣りにある認証端末に手のひらをかざした。認証端末は手に付いているチップを認証し、扉が開いた。空間から出て行った。
「他の人が確かめればいいのに。私が直に確認しろだなんて、貴方の主は随分な言い方をするのね」
「見合うだけのプレゼントならいいがな」
「予定通りでも水抜きには間に合わないわ。文句を言わないで頂戴ね」
「伝えておく」ローランドはうなづいた。榎本は何を理由に荷物の確認をレガートに頼んだのか理解出来ない。
 レガートはスペースの奥にあるクルー専用の扉に向かい、隣に設置してあるセキュリティ端末にカードをかざした。外国人は入国管理を兼ねたカードで認証する。入室する際に登録したコードがカード内で変化する。退室する時にコードを読み取り、変化と法則を照合する仕組みだ。法則自体も暗号となっていて、例え破っても別の法則で照合する。破るのは不可能だ。
 セキュリティ端末はカードに登録したコードを照合した。一瞬で終えた。扉が開いた。
 レガートはスペースから出て行った。廊下を通り、エレベーターに乗って下の階に降りた。地下の駅に向かった。ホームに止まっている貨物列車に近づき、接続している人員輸送用の車両に乗った。東安部の隊員も乗っていた。列車は港にある駅に向けて動き出した。
 1時間程が経過した。
 列車は地上に出た。
 白い光が窓から列車内に入る。レガートはまぶしさから目をつぶり、すぐに開けた。
 緑の稲に染まった大地が窓から見える。地上に出ている作物は高級品で、真の国民に渡っていく。偽の国民が食べるのは地下の工場で栽培している種だ。味は地上で栽培している種に劣る。
 列車は港に近い駅で止まった。ガントリークレーンの列が見える。
 ドアが開いた。東安部の隊員達は次々降りた。待ち合わせていた東安部の隊員達と共に、貨物の搬送作業を開始した。
 レガートは列車から降りて駅を出た。駐車場に向かい、カードをゲートの前にある端末に通した。
 端末はカードを認証した。甲高い電子音が鳴り歩行者用のゲートが開いた。同時に液晶画面に車のナンバーが映った。レシートがスロットから出てきた。
 レガートはレシートを受け取り、書いてある番号の標識がある駐車スペースに向かった。東安部の車が止まっている。無人で、後部座席に近づいた。ドアが開き、車に乗り込んだ。ドアが閉まった。「港湾まで」
『了解しました』合成音声が車内に響く。車がゲート前に向かって進んだ。ゲートは自動で開き、車が抜けた。
 車は人気のない道路を進んでいく。道路を通るのは東安部の車両だけだ。
 10分程で港の入口で止まった。東安部の隊員がゲートの前で警護をしている。
 車のドアが開く。
 レガートは車から降りて東安部の隊員に近づいた。隊員は警戒し、身構えた。「レガート・ロンよ。カロリウムの輸送船と一緒に来ている輸送品の確認をしろと依頼を受けて来たわ。入れなさい」カードを取り出し、隊員に投げた。
 隊員の一人はカードを受け取った。身分証明のカードだ。ゲートの脇にある携帯型の照合装置にカードをかざした。レガート・ロンの身分と榎本の紹介状がディスプレイに映る。目の前に立っている当人と見比べた。違いはない。
「確かに本人と認めます、ドクター・ロン。何故一般通用口から来たのですか」
「直前まで立て込んでたのよ」レガートは片手を振って呼び寄せるジェスチャーをした。「カードを返しなさい」
 隊員はレガートにカードを返した。
 レガートはカードを受け取り、車に戻った。ゲートが開いた。車は港の敷地に入った。
 港の内部は輸送車が緻密な計画により配置した倉庫を行き来している。立ち並ぶ倉庫のうち、一つに向かった。入口のゲートで止まった。
『ご用件は』合成音声が響いた。
「輸送品の検品よ」レガートは運転席にある装置にカードを重ね、身分と共に東安部の紹介状を転送した。
 電子音が鳴った。『了解しました』
 ゲートが開いた。車は倉庫に入った。
 内部はドックになっていて、車が積んでいるコンテナをガントリークレーンで運び出している。
 車は開いたままのドックに入った。
 ドックではコンテナを積んだ車が運び出す作業を待っている。
 車は空いている場所に止まり、ドアが開いた。
 レガートは降りて数十メートルの高さがある天井を見た。LEDの照明が天井に付いていて、昼間以上の明るい状況を作り出している。
「ドクター・ロンですね」防寒服を来た東安部の隊員が駆けつけてきた。「お待ちしていました。お館様から話を聞いています。カロリウムの保管所へご案内します」
「カロリウムの鑑定なんて受けてないわよ」
「同じ場所に保管しろと受けています」隊員は地下に物資を輸送する台に移動した。無数のコンテナが乗っている。
 レガートは隊員に続き、台に乗った。
 隊員は隅に向かい、設置してあるロッカーから防寒服を取り出した。レガートに近づいた。「服を」防寒服をレガートに渡した。
 レガートは防寒服を受け取り、身につけた。地下は空調が行き届いているが冷えている。防寒服の着用は必須だ。
 隊員は天井に向けて手を挙げた。
 天井に付いているオペレート室の隊員は、ガラスを通して手を挙げた隊員を確認した。台の端から金属の柵がせり上がった。直後に台が下がっていく。カロリウム弾頭を保管している場所は地下500メートル程の区画にある。
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