第53話

文字数 4,090文字

 殆どの店が閉まっていたが、裏道に入った場所の飲み屋だけは人で賑わっていた。
 足を踏み込むと、数人がレオンを見た。
 その視線から警戒されているのが伝わって来たが無視してカウンター席へと向かう。
 椅子に座ったレオンに店員の酒場の店主とは思えないほど体格のデカい男が笑みを浮かべた。
「見ない顔だな。旅人か?」
 初めて会った相手に敬語を使わないのは酒場特有なのだろうか。
 酒場に行って敬語で話し掛けられる事など滅多に無い。
 敬語で話し掛けられた場合は敬語を使うが、こういう相手の場合は使う気など無い。
「まぁな。アイディーは有るか?」
 注文を聞いた男が「珍しい物を知ってるな」と笑って酒を棚から取りだし、グラスに注いでレオンの前に置いた。
「この町は昔からこんな地下に町が在るのか?」
 レオンの問いに、男がカウンターに手をつき「いや、前は地上に在ったらしい」と言った。
「200年前の大戦については知っているか?」
 問いにレオンが「少しな」と答えると男は「そうか」と言って何処かを見据えた。
「町に流れている川は見たか?あれは本来もっと水量が有ったんだ。だが、大戦後に水位が減って、井戸を掘ったものの、それも数年で干上がって、気付けば川の水が無くなっていた。住人達は水を求めては穴を掘り始めた。途方も無い月日を掛けて穴を掘り続けて、漸く水脈を掘り当てた。そして、掘った穴を利用して家々を建てたって話だ」
 200年前の大戦が世界に大きな影響を与えたのだ。
「穴を掘った先祖達は大変だっただろうが、悪い事ばっかりじゃ無かった。掘っている間に鉱石が大量に出て来てな。今でも炭鉱業が町を支えているんだ。俺もこうして酒場をやってるが、本業は炭鉱なんだよ」
 通りで体格が良いわけだ。
 納得して酒の入ったグラスに手を伸ばす。
「この町に防衛騎士団か、それに代わる防衛団は無いのか?」
 問いに男が不思議そうな顔をした。
「彼奴らは疫病神だ!」
 突然後ろから怒声がし、振り返ると年配の男が立ち上がってレオンを指差していた。
「防衛の為と言いながら町の鉱石をタダ同然で持って行きやがって!長も同罪だ!彼奴らと手を組んで俺達から金を巻き上げやがって!」
「あ~。地獄耳の爺さんがいたかぁ~」
 怒り散らす老人を見て店主の男が呆れた声を漏らす。
 その声も聞こえたのか、老人が男の方を向いて「誰が地獄耳だ!」と言いながら寄って来た。
「そこら辺の老いぼれと一緒にするな!ワシはこう見えてもエルフだと何度言えば解る!」
 怒鳴る老人に対し、男は呆れた顔で「何がエルフだよ」と言い返し、老人を上からしたまで見ると鼻で笑った。
「身長はせいぜい150。体だって鉱夫してはほせぇし、耳だって俺達と同じじゃねぇか」
「耳が尖っている者もいればワシのように人間と同じ耳のエルフも居るわ!種族について何も知らん若造が生意気に!この身長も、この異変が無くなれば元に戻る!」
「へいへい。何度も聞いたよ」
 払うように手を振る男に老人は歯軋りをし、背を向けると店を出て行ってしまった。
「悪いな。詫びに一杯…って、おい!」
 男の声を無視し、レオンは立ち上がって老人の後を追った。
 先程の老人が気になる事を言っていたからだ。
『どっちに行った?』
 左右を見渡しても老人の姿は無い。
 すぐ近くの路地裏に入ったのかと思い歩き回ってみたが、老人の姿どころか気配すら無い。
 気付けば町の奥の方まで来てしまっていた。
 此処には光があまり届かないのか薄暗い。
 老人の言っていた異変が、もしかしたらアメリアの感じているモノと同じかもしれないと思ったのだが、見失ってしまった以上確認のしようが無い。
 取り敢えず中心へ戻ろうとした時、後方で[ガサッ]と何かが動く音がした。
 振り返ってみると、薄暗い中で何かが動いている。
 よく見ると、それは女だった。
 長い黒髪で顔は見えないが、着ている服はボロボロで、足でも痛めたのか座り込んで壁にもたれている。
 駆け寄り「どうした」と声を掛けると、女がゆっくりと顔を上げた。
 その目が不安げにレオンを見据える。
 スカートの下から覗く白い足。
 靴を履いていないせいで切っており、よく見れば体の至る所が傷だらけだった。
「酷い傷だな」
 女は不安げな表情のまま何も言わない。
 相当酷い目に遭ったからなのか。
「歩けるか?」
 レオンの問いに、女がゆっくりと頭を横に振る。
「解った…。支えてなら歩けるか?」
 問いに今度は頷き返したので、肩に腕を回し、女を立ち上がらせた時だった。
「…っ!」
 首の後ろに何かが刺さった感覚が有り、一瞬痛みが走った。
 数秒後、体の感覚が無くなり初め、その場に倒れてしまった。
 朦朧とし始めた意識の中、女の方へ目をやると、女は自力で真っ直ぐ立ち、倒れるレオンを見下ろしていた。
 その表情を見て『まさか』と思った時には遅かった。
 陶酔した笑みを浮かべる女がゆっくりとレオンの方へと手を伸ばす。
 近くから何かが動いて近付いて来る気配がしている。
「あぁ…。こんなにも若い獲物と出逢えるなんて…」
 言いながら頬に触れて来る。
 気持ち悪さに顔を顰め、払い除けようとしても力が入らない。
「さぁ。私の巣へ行きましょうか」
 それが最期に聞いた声だった。
 抗おうとしても意識は闇に呑まれた…。

「…え…。ねぇ!」
 声がし、驚いて目を開ける。
 青空が広がり、小鳥達が鳴きながら飛んでいる。
 呆然と青空を眺めていると、横から女が覗き込んで来た。
 夕日のような鮮やかな色の長髪と瞳に、地面に横たわっている自分が映る。
「こんな昼間から寝てるなんて、そんなに疲れたの?」
 笑いながら女が言ってレオンの手を引こうとしたのを躱す。
「お前は…誰だ?」
 レオンの問いに、女が寂しげな表情をする。
「寝ぼけてるの?2年も付き合ってる彼女に対して言う言葉がそれですか?」
 言って女が立ち上がったレオンを寂しげに見上げる。
『付き合ってる?俺が?』
 今自分は旅をしていた筈だ。
 世界で異変が起きていて、それをどうにかするために。
「俺はお前と「付き合おうって言ってくれたのは貴方よ?」
 レオンの言葉を遮って女が言い、近付いて頬に触れて来た。
 離れようとしても体が動かない。
「やっぱり寝ぼけてるでしょ。私と貴方は付き合っていて、恋人なの。何度も愛してくれたじゃない」
 言って女が顔を寄せて来る。
 靄が掛かったように記憶がハッキリとしない。
 仲間の顔を想い出そうとすると頭痛がする。
「俺は…」
 今まで見ていたモノが全て夢だったとするなら、今目の前に居るのは誰だ。
 心では異変に気付いているのに体が言う事を利かない。
 一瞬、誰かの顔が脳裏を過ぎった。
 その顔を見て呑まれそうだった意識がハッキリとする。
 一緒にいたのはこの女ではない。
 大切な存在はこの女ではない。
 掛かっていた靄が一瞬で晴れ、記憶が戻って来る。
 大切な存在は何があろうと忘れはしない。
 全てを失ったとしても心から消える事は無いのだ。
「ねぇ…。今日はもう帰ろう?返って、昨日の続き…しない?」
 言って女が頬に触れようとして来た。
 その手を払い除け、いつもはやらないが、蹴り飛ばして距離を取る。
「くっ…」
 苦しげな表情を浮かべて女がレオンを睨み「恋人を蹴るなんて最低!」と叫ぶ。
「悪いが、お前の事など知らない」
「嘘!本当にどうしちゃったの?」
「なら、お前が恋人だと言うなら、俺の名前を呼んでみろ」
 レオンの言葉に女が困惑し「え…」と呟き、一瞬目が泳いだ。
 それを見逃す訳が無い。
「此処が何処なのかは知らないが、お前はあの路地裏で逢った女だな?何が目的だ?」
 問いに女が「はぁ~」と呆れたような溜息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「今までの奴はアッサリ騙されたのになぁ~。この格好、好みじゃなかった?もう少し露出の多い服にすれば良かったかなぁ?」
「お前の服装になど興味は無い。目的を言え」
「はぁ~。つまらない男」
 言って女がレオンを見る。
「いつもは餌として人間を捕らえるんだけど、何か顔を見たら気に入っちゃって。だから、私の番いになって貰おうと思ったの♪」
 言いながら女がレオンの周りを歩き始める。
「此処は私と貴方だけの世界。私が作り出した夢の中。だから、貴方は武器を持っていない。私を倒す術は無いの」
 夢の中という事は、そういう事が出来る存在。
 知っている限りの情報を脳から探すが、人間の姿を模して人間を騙す魔物など聞いた事が無い。
「此処から出る術は無いわ。だから、貴方は私の番いとして生きるしかないの」
 言って女が高らかと笑うが、レオンは無視し、辺りを見渡した。
 何処までも広がる草原と青空。
 やはり見ただけでは出口は解らない。
「そんなに此処から出たいなら、出してあげても良いわ」
「…条件は?」
「あら。アッサリそれを聞くなんて察しが良いのね」
 素直に此処から出す訳が無いと解っているからだ。
「さっさと言え」
「も~。そんなにせっかちだと嫌われるわよ?」
 言いながら女が足を止め、両腕を広げた瞬間、辺りの光景が一変した。
 煉瓦で作られた道。
 まるで何処かの地下道だ。
「貴方は必死に逃げて出口を探す。私は貴方を捕まえたら勝ち。簡単でしょ?」
 此処が女の作った世界だと言うなら出口が有るかどうかも定かでは無いが、それでもやらないでただジッとしているよりはマシな気がする。
「…解った」
「はーい!それじゃあ頑張って逃げてね?」
 言うなり女が何処からともなく槍を取り出して斬り掛かって来た。
 やはりただ追われるだけではなかった。
 槍を躱して駆け出す。
「ほらほら~♪」
 何処から出しているのか、大量の槍を一斉に投げて来る。
 別れ道が意外と多いので躱せてはいるが、体力がいつまで保つか解らない。
『早く出口を見付けないと』
 そうは思っても、出口がどういうモノなのかも知らない。
『帰ったらアメリアに怒られそうだな』
 追われながらも考えるのはそれだった。
 怒ったアメリアの顔を想像すると自然と笑みが零れる。
 それだけで此処から出られそうな気がした…。

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