第25話

文字数 3,350文字

「サンゼロ・ポリプロピレン」
「クーパー」
まずは出血部の血管の結紮(けっさつ)は終わった。
血圧戻りました。
バイタル安定しています。
「ようしわかったそれじゃすぐにオペ室に移動だ」
交通事故で搬送されてきた患者の応急処置を施し、オペ室にて本格的に治療にあたる。
救命での処置はあくまでも一時しのぎだ。
例え別の疾患がその時発見されたとしても緊急を要さなければ深追いはしない。
事故に遭い搬送されてくるまでの時間その状況は刻一刻と変化する。
命をつなぎ止めるにはその素早い処置がものをいう。
現場での処置、そして搬送されてきてからの処置、その後損傷部の修復オペを行う。
患者にとって2度3度とオペを行うことは体への負担が大きいことは言うまでもない。
しかし、今、つなぎとめることのできることを最優先に行うのが救命そして医師としての務めだ。

だが、そのつなぎとめられる命を助けることが出来ないことも多々あることも確かなことだ。
どんなに迅速にそして的確に処置をしても助からない命。
そこでその人生を終えなければならない人の命。
もう10分、いや、もう5分早ければ助かったかもしれない命も、その運命には逆らえない。その分岐点を示すのは神という存在だけが知るのかもしれない。

いつものフロアで熱いコーヒをソファーに体を沈め飲む。
城環越に来てから俺の日課のようになっている。
ガラス張りのフロアにガラスのドア
ここからは外に映し出される街並みの情景が良く見える。
陽が傾き始め空が淡いオレンジ色を放ち始め、街並みの光がともしびを点けようとする時刻。
医師としての勤務時間は不規則だ。一応シフト言うものはあるがまずほとんどそのシフト通りにいくわけはない。
延べ200時間を超える勤務時間それにプラス残業と呼べるのかどうかもわからない勤務……、月にすれば300時間は仕事に従事しているようなものだ。
患者が搬送されれば神経を極限まで集中させ処置にあたる。
体力的にもそして精神的にも過酷な労働……。それが勤務医として与えられた世界だ。
俺はもうこの過酷ともいえる世界にもうすでに15年以上もいる。
そしてそれが今の俺にとっては普通であり日常である。
くれゆく街並みを眺めながら珈琲を口に含み一時の休息間を味わう
後ろのガラス戸が開き

「やっぱりここに居た。た・な・べ先生」
その声に振り向けば、白衣姿の秋島まどかの姿があった。
「おや、秋島先生はまだお仕事なさっておられるんですか?」
「んもう、嫌みの様に言わないでよ。フェローはまだまだ仕事が山済みなんですからね。どっかのお偉い先生たちとは違いますので」
「フェローねぇ……、まどかちゃんもれっきとした医師としての道を歩む一歩を踏み出しているんだと感じるよ。その言葉から……」
「あら、嫌み臭いけど誉め言葉として受けさせていただきますわ。た・な・べ総合外科部長様」
「やめろよ、そんなお偉い肩書じゃないんだから。それよりまどかちゃんの方はどうなんだい」
「私の方は、ほら精神内科だから来る患者さんはほとんどがお年寄りばかり、毎日世間話して終わっちゃってる。若いイケメンの患者さんでも来てくれないかなって狙ってるけどほんと来ないわよね」
「まどかちゃん……いや秋島先生はハードルが高いからなぁ」
「そ、物凄くハードルが高いの。だって田辺光一っていう素敵な人に昔恋をしてしまいましたからね」
「それはそれは、大変ですね。でもその田辺光一って偶然ですね。同姓同名だね」
少しはにかみながら返す。
「全くです。ほんと同姓同名なのにどうしてこんな人に恋をしてしまったんでしょうね」
「まどかちゃん。なんか変だよ」
「はいはい、私はどうせ変ですよ。それより奥様の方は順調ですか? もう時期ですよね」
「ああ、おかげさまでね。母子ともに健康そのもの順調だよ」
「でも双子とは恐れ入ったわ。私なんかとても持ちそうにもないわ、最もりっちゃんならどんとこいっていう感じでしょうけどね」
「女性ってすごいよね。母親になるってわかってから、あのか弱そうな理都子がもう今じゃどこからからどう見ても母親だって、どっしりと構えているんだからね」
「そうよ、女はね男より強いの。そして母親はもっと強くならないといけないの。自分が生む我が子を育てなければいけないから」
「我が子ねぇ……」
「何よ!」
「いや、俺のおふくろもそうだったのかなぁってさ。俺を生まなきゃもしかしたらもっと別な人生を歩んで、幸せな人生で長生き出来ていたのかもしれない。最近そんなことを思う時があるんだよ」
「しっかりしろ、田辺光一。貴方は二人の子の親になるんでしょ。そしてどんなに外見は強そうにしていてもあなたが傍にいてくれるから、りっちゃんも安心して母親になれるのよ。貴方のお母さんは一人であなたを育てた。でも、それはあなたがいたから生きてこられたんだと思う。もし、貴方がいなかったら、貴方のお母さんはもっと悲しいい思いをした人生を送っていたかもしれないのよ。

だからあなたに最後……持てる限りの笑顔を残したんだと思う。

それがあなたのお母さんからの、その時出来る最大の恩返しだったかもしれない……。それに今、貴方がそんなに不安になってどうするの」

「さすがだね。心理を鋭く突いてるよ。確かにそうなのかもしれない。子供が出来て生まれるのは本当にうれしい、そしてものすごく待ち遠しい。でも……なんだろう、正直不安という言葉がて適切なのかはわからないが、ほんとうに大丈夫なのだろうか、これから先ほんとうにやっていけるのだろうか、子供たちに幸せな人生を歩ませてあげれるのか……。自分が片親だったせいかもしれないが」

秋島まどかはそっと俺の後ろ肩から手をまわし
「わかるよ。あの時、私が心臓移植を受ける前の私。あの頃の不安は私は忘れない。いいえ、忘れようにもこの体に染みついている。そして新たに鼓動するこの心臓の音を聞くと『生きているんだ』って実感するの。私が不安になっていると、この心臓の意味がなくなっちゃうんだと思うようになった。だから不安でも私は前に進まきゃ行けないの。諦めんな! っていうのとはちょっと違うんだけどね。
不安だって言えばその言葉だらけよ。
でも前に進まなきゃ……ね」
彼女は俺の頬に軽くキスをして
「それじゃ」と言いこのルームを後にした。

励まされてしまったな……
だんだんとまどかちゃん……まゆみに似てきたな

苦笑いをして最後カップに残った珈琲を飲み干した。

あれから5年……おふくろの墓石の前で理都子に本当の気持ちを告げてからもう5年になる。
あの日の翌年俺たちは常見教授に仲人をお願いし、結婚した。
俺たち二人……いや、正確には理都子とまゆみそして俺の3人の結婚式だった。
まゆみは俺と理都子のこころの中にそっとしまい、お互いにまゆみの想いを、そして願いを叶えようと思っている。

青いノートの最後に書かれていた

「光一に最高の笑顔を届けられるように……」

まゆみの願いそしてまゆみの約束

もう一度俺が笑える日が来ることを願い、そして自分がなしえなかった二人の想いの命が、再びこの世で羽ばたけるよう。
新たな命を再びこの世にそして命をつなぐ。

俺は外科医には向いていない。救命医など一番不向きな職業かもしれない。
されど、俺には人を思いやる心がある。
まゆみはそう言っていた。
優しすぎることは罪ではないだけど、外科医としては不向きだ。
それでもあなたは立派な外科医になれる。

もしかしたら、まゆみという存在はもともといなかったのかもしれない。
俺がもし、生まれてこなければと思ったように……
まゆみはお袋が残してくれた、あの最高の笑顔が呼び起こさせた俺の幻だったのかもしれない。
もし、そうなら……今はそれでもいい。

石見下まゆみ

彼女は俺が作りあげた幻想の女性……されど、実際に彼女は存在しこの俺を愛してくれた。
才能あふれた最高の外科女医
俺は心の底から彼女を愛し尊敬をしている。

そう……
彼女との出会いは一つの『笑顔』から始まったのだから。
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