第23話

文字数 3,714文字

「おはよう。白井由紀子さん」
「………」
意識は戻った。しかし心はこの世には戻っていなかった。
「屋上の自殺少女」彼女の名は白井由紀子(しらいゆきこ)。17歳
5階建てのビルの屋上からその()を投げた。
なぜ彼女は自ら命を絶とうとしたのだろう。
その真意はいまだわからない。
担当となった石見下律子(いわみしたりつこ)が白井由紀子に呼びかける。されど返事は返ってこない。
彼女が意識をとりもどして一週間にもなる。
幸運にも脳へのダメージ、後遺症等は見当たらなかった。
つまり、呼びかける律子の声や看護師たちの声は彼女はしっかりと聞こえているはずだ。
確かに身体へのダメージは大きい。内臓破裂こそはしていないが衝撃による炎症及び損傷はある。
予定では、明日その損傷部の再オペが予定されている。
母親はただ彼女のベッドの横に座りその手を握ることしかできない。
そして我々は、その彼女に今できることをしてやることしかできない。

翌日彼女の再オペが行われ、麻酔から覚めた時、白井由紀子は始めて声を出した。
「どうして……生きてるの?」
彼女が自らの命を絶とうとしてから始めて返した言葉だった。
「あなた、何言ってるのよ……」
母親は驚いたような、しかりつけるような……なんと表現をしたらいいのかわからないが、ただ一つ言えるのは彼女の命が繋がったことへの想いが込められているのは確かだと思う。
そう、確かなこと……それは彼女はこの世にまさに存在しているという事。生きているということだ。
律子は彼女になぜこんなことをしたのかを一切問うことはない。
同じように看護師たちもそのことについては触れない。
ただ、今の現状から彼女が一刻も早く回復することを目的に看護、そして治療にあたる。

彼女、白井由紀子は諦めた人間なのだろうか?
だから……その()を投げたのか。
しかし彼女は今も生きることについては心の底から否定をしているようには感じなかった。
「たぶんね。白井さん疲れちゃったのかもしれない。だから……」
律子は言う
「彼女を見ていると姉さんを亡くした時のあなたを見ているような気がするの」
「俺……」
「そう、貴方」
「あの時のあなたは何もかも諦めてしまっていた。ううん、諦めようとしていたのよ。そしてそんな自分を責めた。自分の弱さを知り姉さんの想いをあなたが少しでもふれることが出来たから」
「まゆみの想いかぁ……今ならお前に言われていること、素直な気持ちで受け止めることが出来るよ」
「そうね、今のあなたならそう答えてくれると思っていたわ。貴方は……こ、光一は、あの頃より立派になったんだもの……医師として、そして田辺光一として……」
「そうかぁ、なんか照れ臭いな。目の前にいるのは律子なのになぜだろう……俺にはまゆみがお前に乗り移ったかのように思えてくるよ。
俺は……石見下まゆみをこの俺の命が消えうせるまで愛する。心の中でその実態はなくとも俺はまゆみを生涯愛し続ける」
「うん、それは姉さんも同じだと思う。姉さんの姿は今はもうないけど、その想いはちゃんと生き続けている。貴方の中に、そして私の中でも……」
いつものガラス張りのフロアのドアを開けながら律子は立ち止まり
「明日ね、まどかちゃんとの約束」
「ああ、すまんな」
「ううん、……そ、それとね。あなたを想っていたのは……いるのは……姉さんだけじゃないから……」
呟くように言い、そのドアを閉めた。


◇Heart restored 修復されるこころ

久しぶりに会う秋島まどか。
あの頃の面影は全くない。むしろ今生きている自分に感謝をし、その存在が輝く光を放している様にも見えた。

街中人の行きかう中で俺たち二人の姿を見つけると笑顔で大きく手を振り出迎えてくれた。
「久しぶりだねまどかちゃん」
「ほんとうにご無沙汰しています。た・な・べ先生。りっちゃんも」
「りっちゃん?」
「元気そうね。まどかちゃん」
律子は微笑みながらまどかちゃんの肩にそっと手をあてる。
俺には二人の接点はわからない。でも今の彼女たちの表情を見る限りお互い親しい中であることはよくわかる。多分この二人の中にもまゆみの存在があるのだろうと……
でも、相変わらずまどかちゃんの機嫌がいい時、俺の呼び方は変わらない。こう呼ばれるのはまゆみだけにしてほしいものなんだが……
少しはにかむ俺を横で律子が
「可愛いわよ。た・な・べ君」
と、からかうように言う。
「あのなぁ……」
「なーんだ、二人とも仲物凄くいいのね」
「仲いいって、俺らそんな仲じゃないよ」
「ま、ちょうどいいかっかぁ。それより時間がもったいないから行きましょ」
と、駅の方へ俺らを導いた。
まどかちゃんは行き先も言わず何も電車に乗ってからは話さなかった

……この路線。
本当に久しぶりに見る流れる車外の風景
何年、この風景を俺は見ることがなかったのか……
この電車から思いつく過去の思いで
それは……

あの最高の笑顔を俺に、最後に残してこの世を去ったお袋の姿
今でも目に焼き付いている。高校生の夏、あの日の最後のありったけの笑顔のお袋の姿が

降り立つ駅、その駅も今となっては物凄く懐かしい。
そう、この路線、そして駅は俺がまだ学生の頃よく通った場所。
今は車でしか来ない場所。電車に乗ることなんか本当になくなってしまった。

目的地はおのずと俺の頭の中に描かれる。
でもなぜ?
まどかちゃんはなぜこの場所へ俺らを連れ出したのだろう。
しかも彼女がどうしてこの場所を知っているのか?
この駅に降り立ってから律子の様子も少しこわばった表情になっていく。
秋島まどか。君は俺に、いや俺たち二人に何をさせようというのだ
改札を抜け、駅舎から出ると心地よい風と木々の葉がかすかにこすれあう音を感じる。
その上にはあの時の様に青い空に白い雲がはっきりとその輪郭を現していた。

そうここは、俺のお袋が眠る墓地があるところ。

お袋の命日はあと数日先、実際おふくろの命日に墓参りが出来た年は医師になってからなかった。
でも、必ず俺はおふくろの眠る墓石に足を運んだ。
この世に俺という存在を生み出してくれた母親。
そして笑顔を忘れるな、心に笑顔を忘れた時それは自分に負けた時だと教えてくれた人。
その笑顔が俺とまゆみを引き合わせたこと
すべてはお袋のあの笑顔から始まっていた。そして俺は彼女が旅立つまでその笑顔とお袋の愛情に包まれ育ってきた。

秋島まどかの足がピタリと止まった場所。そこはまさしく俺のおふくろが眠る墓石の前だった。
「まどかちゃん」
彼女の後ろからそっと名を呼びかける。
彼女は墓石の前で静かにしゃがみ込み手を合わせ
「ごめんなさい。お花もお線香も何も持たずに来てしまいました。田辺光一先生のお母さん。私、秋島まどかといいます。田辺先生には本当にお世話になりました。そして、今私がここにこうして生きてこれたのも田辺先生と、彼女さんのまゆみ先生のおかげなんです。だから私は初めに田辺先生をこの世に産んでくれたお母さんの所にお礼が言いたくて来ました。一人で来るのは物凄く恥ずかしかったから……まゆみ先生はもういませんだから、妹の律子先生とお母さんが一番会いたがっている、田辺先生本人を連れてきちゃいました」

田辺先生……ごめんなさい。黙ってここに連れ出しちゃって
でもね、私まゆみ先生とも約束してたんだ

もし、………私が、心臓移植を受けられて生きることが、この先も自分として生きることが出来るのなら……まゆみ先生の一番想いのある場所に一緒に行きたいって……
それがここ。
まゆみ先生の彼に最高の笑顔を教えて与えてくれた人のところ
「それがここだったのか……」
「そう言う事。でもねもう一つ理由があるんだ。まゆみ先生はもういない、できればまゆみ先生と来たかった。でもそれはもうかなわない。

前にも言ったよね田辺先生。

諦めたらダメだって。諦めたらそこですべてが終わっちゃうんだって。だから諦めず望みを持つ事だって

まゆみ先生からよく言われていた。
だから……私は諦めなかった。
そして田辺先生という人に出会えた。この人も大切な人を失って諦めかけてたんだけど、私もちょうど同じだった。
私たち二人ともまゆみ先生で繋がっていた。そして諦めることをやめなかった。だから今がある。
まどかちゃんはそう言い、律子の方を向き
「今度はりっちゃんが頑張らないといけない。諦めちゃいけないことを」
「わ、私が……」
「そうよ、りっちゃんも諦めかけていたんでしょ」
「で、でも……」
「ほら、まゆみ先生の前じゃ言えないでしょ。だから今ここで……
それに、私まゆみ先生と約束してたんだ……あのひとほんと諦め悪いんだから、てか、そうだから私も田辺先生も今があるんだけどね。
今度はりっちゃんの番
りっちゃんの本当の気持ち、まゆみ先生もちゃんとわかっていたんだから……
田辺先生に残したノートにもその答えちゃんとあったわよ……
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