第1話 プロローグ

文字数 1,815文字

  天登(あまと)の母は身体が弱いため、いつも彼に気兼ねしている。

 「天登(あまと)、気をつけていってらっしゃい。ごはんはお母さんが作れるから、無理に早く帰らなくていいんだよ」
 「ありがとう母さん、無理なんかしてないから。でも今日はバイトだから、ちょっと遅くなるかも」

 部屋のドアを閉め、寝巻き姿の母の残像に後ろ髪を引かれながら、天登はアパートの階段を降りる。

 夏らしい真っ白な雲はすっかり姿を消し、溶き卵を落としたような霞がかった空。
 秋が近い。
 天登(あまと)は胸いっぱいに朝の空気を吸い込み、学校へ向かって駆け出した。

 「おはよう、天登(あまと)!」
 幼馴染のあかりだ。

 「おはよう、あかり」
 「今日もお母さん元気?」
 「あぁ、調子良さそうだよ、ありがとう」
 「そう、よかった。今年の夏も暑かったもんね」
 「あぁ、秋もすぐそこだ。一息つけそうだ」

 あかりはよく天登(あまと)のアパートへ、手伝いに来てくれる。
 家事なんてやる必要もない裕福な家庭ながら、料理も掃除もそつなくこなす。
 素直で柔軟な性格こそ、優秀というのではないだろうか。

 「よーし、席につけー」

 担任の教師が入ってきた。生徒たちはおしゃべりをやめ、一斉に席につく。

 「最近市内で通り魔が出てる話はみんな知ってるなー。学校周辺も警戒区域だから、警察官が巡回してくる。何か聞かれたら協力するように。そんで、暗くなる前にちゃんと帰れよー」

 学校終わりに、天登(あまと)はバイト先のハンバーガー店へ行く。近くで高校生を雇っているのはここだけだ。

 天登(あまと)の家は母子家庭なうえ、母が病弱なため、天登(あまと)は少しでも稼がねばならないと考えていた。天登(あまと)の学校は県一番の進学校で、バイトしてる生徒はごく一部だ。

 「じゃあ先に上がらせてもらいまーす」
 20時になったので、天登(あまと)は店長に声をかけた。

 「おぉ、天登(あまと)君、ちょっと待って、はい、これ」
 店長が名物の特製野菜バーガーを3つ包んでくれた。

 「お母さん、こういうの食べられないかな?」
 店長はよくこうやって、天登(あまと)にお土産を持たせてくれる。

 「いえ、喜ぶと思います!ありがとうございます!」

 店を出て家路を急ぎながら天登(あまと)は考えた。
 自分の周りは優しい人だらけだ。
 物心ついた時から父はいないが、母と2人で、なんとかやってこられた。
 これからもやっていける。
 天登(あまと)は、自分は幸せだと感じた。

 「ただいま!」
 玄関というにはあまりに小さい土間区切りには、きれいに揃えられたピンクのスニーカーがある。

 「おかえりー!」
 あかりだ。

 「あかり、来てたのか!」
 「あかりちゃん、掃除してくれて、夕ご飯も作ってくれたのよ。いつもありがとう、あかりちゃん。本当に助かります」
 「何言ってんのおばさん、もう17年越しの付き合いだよ、水臭い水臭い」
 「あかり、家は大丈夫なのか?もう遅いよ」
 「大丈夫、天登(あまと)の家に行ってるってちゃんと言ってるから。うちのお父さんもお母さんも、天登をすっごく気に入ってるもん。大丈夫大丈夫!」
 「ご両親にも、くれぐれもお礼言っておいてねあかりちゃん」
 「はいはーい!おばさん気兼ねしなくて大丈夫!わたしの目的には、天登(あまと)に勉強を教えてもらうことも入ってるんだから」

 あかりの底抜けの明るさは、暗くなりがちな母子の暮らしにとって、太陽のようだ。
 「じゃあ3人揃って、いただきまーす!」

 「あかりちゃんの野菜炒めおいしいね」
 「こればっかりですみません・・」
 「毎回味変えてるじゃん、どれもうまいよ」
 「えへへ」

 とりとめもない会話が途切れた時、あかりが言った。
 「おばさん、さっきの宅配の人、ちゃんとお届けできたかな」
 「そうだね。なんか全然違う住所の持ってきて、ここですか?って、ちょっと変だったね」
 「どういうこと?」
 「このお家じゃありませんよって言うと、この住所どこかわかりませんか?って聞いてきたの。それが字なのか記号なのかよくわからなくて、見てると、なんだか頭がクラクラしてきて‥‥」
 あかりが説明した。
 「そうそう、お母さんも見たけど、あれ本当に住所なのかな?みたあとしばらくぼーっとしちゃった」
 「新手の詐欺?催眠術使ってみたいな‥」
 「あらやだ、うちなんか狙っても何にもないのに」
 「何か騙そうとか盗ろうとか、そんな感じじゃなかったよね。わからないって言うとすぐ帰ったし」
 「でも物騒だな。母さんやあかりだけの時は、本当に気をつけてくれよ」
 「はーい」

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