ヤンゴンから北上① 「26時間の地獄列車」

文字数 1,675文字

 残念ながら2日目以降については、観光した場所を時系列で記憶していない。
 なので印象に強く残っているエピソードを繋げてつらつら気ままに
 書いていこうと思う。

 忘れられない思い出のひとつは、"26時間の地獄列車"だ。首都ヤンゴンから第二の都市マンダレーまでの列車での移動は、距離にしてゆうに東京から岡山まではある。
 年末はミャンマーの人たちも地方へ帰省するシーズンのため、北へ向かう列車の座席はどの時間帯も埋まっていた。しかたなくキャンセル待ちを申し込んだものの、望みはかなり薄いといわれてしまった。
 それでも兄は、「どんな座席でも良いから乗りたい」と粘った。
 するとその申し出に、
「海外からの観光客は、まず乗らない。絶対に乗りたがらない、そんな座席でも本当に良いですか?」
 と意味深な言葉が返ってきた。
 まさか、この一言に隠されている真実が、あれほど

を意味するものとは知る由もなかった。

 日が暮れる頃、改めてヤンゴン駅のホームへと向かった。
 兄に連れられて乗った列車は、どの車両も屋根はあったが、目を疑うことに


 想像して欲しい。
 ガラス窓がひとつもなく、常に手も首も外へと伸ばせてしまえるような状況を。
 当然、外からは容赦なく風がびゅんびゅんと車内に入ってきた。
「どこに座るの?」
 私が不安げに兄に聞くと、
「特に決まってないから、適当にこの辺に座ろう」
 といわれた。
 どの座席も、日本の新幹線のように三人ずつの席が向かい合っていた。
 車内に入って適当なところで右側の座席に入り、窓がないのに窓側の席に腰を下ろした。
 直後、私のとなりに座った兄の横に、ふたりのミャンマー人が当たり前のように座ってきた。どう見ても三人しか座れない座席にだ。自ずと私の座席は窮屈になった。
 いつのまにか正面にいたミャンマー人の4人の青年も、(ひじ)と肘がくっつくほど互いに密着しあって座していた。
 しかし、ここで驚くのはまだ早い。
 外からさらにゾロゾロと乗り込んできた乗客たちが、さも当たり前かのような態で、私と向かいの席に座った乗客らの足下に次々と座り始めたのだ。
 通路を挟んで向こう側の座席では、床に寝転んでいる者までいた。しかも、車内は夜遅い時間帯にもかかわらず車両にひとつふたつの裸電球でやっと照らされている程度だ。
 つまり、車内でも見知らぬ男たちのギョロッとした目だけが浮き上がって見えたのだから、発車前から電車を降りたくて降りたくてしかたがなかった。
「怖い、怖い、もうムリ、ほんとムリ!」
 そう叫びたい気持ちをぐっと抑えた。
 兄とも話す気になれず、しかたなしに窓のない窓から外を見た。
 どこまでも深い闇に包まれていた。
 世界中どこにでも夜はあるのに、あのとき流れゆく外の暗さはまるで、映画のセットで調整しているかのような非現実的な感覚だった。
 列車の速度がどんどん上がっていく。
 それに伴い、風もびゅんびゅんと入ってきて、顔から熱がどんどん奪われていった。
 それだけならまだしも時折、木の枝先が窓から飛び込んできて私の左頬に突き刺さってきたのでおちおち寝てもいられなかった。
 一方で兄は横で腕を組みながら無防備な姿で爆睡していたし、周りの乗客たちもみんなすっかり眠り込んでいた。ずっと、気張って起きているのは私ただひとりだった。
 そのとき、
「ボン!」
 と目の前に何か黒い物がよぎった。
 外から大きな石でも投げ込まれたのかと思い、おそるおそる足下を見ると、ゲンゴロウを少し大きくしたような虫がひっくり返っていた。
 私は心の中で「ヒイイイ」と叫びながらもとっさに床から足を宙に浮かせた。
 生きた心地がしなかった。
 このあたりからずっと下車するまで私は、その窓のない窓側の席で体育座りをし続ける羽目になった。
 小学生の頃は、平気でミミズを捕まえたり、トンボや蝶を積極的に追いかけていたが、なぜだかすぐに虫が苦手になってしまった。
 もし、あのまま虫に対する抵抗がないまま成長していれば、このミャンマー旅行ももっと気楽なものとなっていただろうに。
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