インレー湖③ 「首長族」

文字数 1,335文字

 インレー湖の思い出にはこのほかに、語らずにはおけない出会いがある。
 いつものように兄から行き先を告げられず、ただひたすらあとをついていくと、前方に木造の小屋が見えてきた。
 そこにはなんと、数人の首長族が並んで立っていた。
 ミャンマーは典型的な多民族国家で、民族の数は135近くある。人口順にあげると、バマー、シャン、カレン、アラカン、モン……と続く。
 私がその小屋で出会ったのは、"カレン族”という少数民族だった。
 女性だけが首に渦巻の真鍮をつける習わしだという。5、6人並んで立っていた女性の前を、外国人観光客が列をなしていた。
 どの人たちも無遠慮にシャッターを近距離で押し続けていたが、当時16才の私にはそれができなかった。どこかタブーであるような気もしたし、はたまた彼女たちが見世物のような立ち位置で勝手に動揺したのだ。
 実際、彼女たちはどこか浮かない表情をしていた。ただ単に緊張していただけなのかもしれないが。
 しかし、いまになって彼女たちとの出会いを裏付けるものが手元にいっさい残っていない事実を思うと、撮ればよかったかなぁという後悔はある。
 彼女たちだけ撮るのではなく、一緒に並んで撮れば罪悪感も生まれなかったかもしれない。
 そもそも、あの場にいたカレン族の女性たちは純粋に「仕事」をしていた可能性が高い。
 最近になって改めてネットや本を読んでみると、彼女らはその特有な風習を武器に観光収入を得て生活していると書かれていたし、帰国してから数年後、それを裏付けることがあった。
 たまたま「世界ふしぎ発見!」(だったと思う)を見ていると、突然、この目で見たカレン族の女性たちが画面いっぱいに映し出されたのだ。
 私はテレビの前で度肝を抜かれた。
 間違いない。
 見覚えのある小屋に、所狭しとカレン族の女性たちが並んでいた。
 相変わらず表情は硬かったが、
「元気なのね、元気でいるのね」
 と思わず感極まってしまった。
 こんなニュースばかりならいつでもウェルカムだが、今年に入って不穏なニュースばかりが目につく。

 『少数民族はヤンゴンの街頭を旗を掲げて行進した。カレン族の代表は、多数派のビルマ族を含む16民族が独裁体制の打倒を目的とする「スト委員会」を設置したと宣言』

 反政府軍である少数民族の人たちの安否が日々気になってしかたがない。
 ヤンゴンからおよそ4784キロ離れた東京で、ゆるゆると平和な時を過ごしている私は今日も、手元にある少ない旅の写真と、自ら検索することでやっと得られるミャンマーの悲惨なニュースを見て情けないかな、ただただ手をこまねくことしかできず歯がゆい。
 
 自分でも不思議なことに、インレー湖からヤンゴンまでいったいどんなルートで、どんな乗り物を利用し、どんな景色を横目に見ながら移動したのかまったく記憶に残っていない。
 まるでその部分だけすっぽりと誰かに切り取られたかのように。
 もしかしたら移動中、感極まってまともな思考回路になかったのかもしれない。
 しかし、言うまでもなく重要なのは、兄とふたりで過ごしたヤンゴンまでの時間ではなく、マンダレーとインレー湖での多くの出会いと、貴重な数々の体験が、私に最上の幸せをもたらしてくれたということだ。
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