マンダレー① 「宗教を持つことの意味」
文字数 1,965文字
多くの試練を乗り越え、ついに到着したマンダレーは、ミャンマーの首都ヤンゴンに次ぐ第二の都市。その名にふさわしく街中を行き交う人の数は多く、とても賑わっていた。北上してもなお昼間は20度以上も気温が上がって暖かかったこともあるが、大変な熱気に包まれていた。
下車してからは、「サイカー」での移動が主となった。
サイカーとは、自転車の横にふたり分の座席をくっつけたタクシーのことをいう。
これがなかなか速い。
まさに、運転手の脚力おそるべしなのだ。
そう、華奢なミャンマーの人たちは、その見た目に反してとても体力がある。私たちの便利な暮らしがいかに身体をひ弱にしていくかを痛感した。
ミャンマーへ来たら"パゴダ観光"が絶対だ。
ちなみにパゴダとは「仏塔」を意味する英語で、
日本ではミャンマーの仏塔を指す。特にマンダレーでは多くのパゴダを巡った。
しかし、肝心の全体写真が残っていないため、断片的な記憶を頼りにガイドブックの写真と照らし合わせてみた。
結果、おそらく私は"カウンムドーパゴダ"に足を踏み入れたと思われる。
右も左も金ぴかで、金閣寺が10も20も横並びしたような荘厳さが続く。
ふと、オレンジ色の袈裟を来た僧侶たちが列をなしてやってきた。私はどんな気持ちで彼らを見届けたのか、正直記憶にない(なんてこと!)。
おそらくそのとき私は、パゴダに入るときは「必ず靴を脱いで裸足で歩く」という規則を目の当たりにしていっぱいいっぱいだったのだろう。
恥ずかしい話、ミャンマーへ来て最初の3日間は、新品のナイキのスニーカーが汚れることがイヤでイヤで裸足になるのを拒んでしまった。
そのせいで寺院の前に立ち尽くし、しばしば兄に置いていかれた。
しかし、たったの数日でそういった日本人特有の潔癖も徐々に薄れ、郷に入っては郷に従えの言葉どおり行動するようになった。
途中からはスニーカーを脱いだらすぐに歩けるよう靴下をはくのを止めた。
汚れた足を拭くものを持っていなかったため、そのままナイキのスニーカーをはいていたので中敷きは半日で真っ黒になった。
それでも私は気にせず、気づけば兄よりも先に裸足になってパゴダに入っていた。清々しいほどの変化だ。人は、思った以上に変われるのだ。
パゴダ内に入ると、敬虔な信者たちがすきまなく床にひざをつけて並んでいた。
私は思わず息を止めた。
仏様との対話の時間を邪魔してはならない、観光目的で来た私ごときが吐く息で聖なる空間を汚してはならない、そう思ったのだ。
私は彼らの横を素早く静かに通り抜けた。
その後、目に飛び込んでくる建物の荘厳さに圧倒されっぱなしだった。
街中にこうした建造物が自然に存在していると、
「仏様を信じるか信じないか」というクエスチョンよりも、「いつまでここに仏様は居て下さるのだろうか」という、かつて抱いたことのないような思いが心をよぎった。
その夜、兄はホテルで興味深いことを口にした。
「ミャンマー人の友だちが増えるたびに自分がちょっと恥ずかしく思えてしまうことがあってさ」
「恥ずかしい?」
「日本人って特定の宗教を持たないでしょ。だから、キミはなにを信じてるんだ? って訊かれてもいつも答えられないんだよね」
兄との会話で唯一忘れられない言葉だ。(つまり、それ以外はあまり残っていないという笑)
ただ当時16才だった私には、"宗教を持つ"=カルト教団というイメージを払拭することができず、兄の考えをうまく掴みとれなかった。
しかし、いまは違う。
あの夜、兄と語り合ったことは人類にとっても深い問いであり、人間の根底にかかわることだったと大人になって気づけた。
異国の人と接することで兄は、20代にしてその普遍的なテーマに触れてしまったのだ。
私がミャンマーの人から同じ質問をされたらどう答えるだろう。
おそらく私は、自分の中で衝動的に「外へ向かう気持ち」と、「好きな人の言葉」を信じて生きてるかもしれない。
前者は「いまこれをすべきだ!」「いまあそこに行くべきだ!」「いまこの言葉を伝えるべきだ!」と、衝動的に自分の体を前へ押し出す感情のこと。
後者の「好きな人」というのは、友人、家族、先輩後輩などもひっくるめる。
そんな好きな人たちから発せられる言葉は、時に自分の心を押し上げることもあれば、時にどん底からすくいあげてくれることもある。
こう考えると、自分だけの身近な神様を信じて生きていることに気付かされる。
ミャンマーの人に限らず、「どうして~教を崇めているの?」と世界中の信者たちに聞いたらどんな答えが返ってくるだろうか。
同じ神を信じていても、同じ国籍でも、その動機はまったく同じではないのだろう。
いつか、世界中の人々にその答えを集めるための旅に出てみたい。
下車してからは、「サイカー」での移動が主となった。
サイカーとは、自転車の横にふたり分の座席をくっつけたタクシーのことをいう。
これがなかなか速い。
まさに、運転手の脚力おそるべしなのだ。
そう、華奢なミャンマーの人たちは、その見た目に反してとても体力がある。私たちの便利な暮らしがいかに身体をひ弱にしていくかを痛感した。
ミャンマーへ来たら"パゴダ観光"が絶対だ。
ちなみにパゴダとは「仏塔」を意味する英語で、
日本ではミャンマーの仏塔を指す。特にマンダレーでは多くのパゴダを巡った。
しかし、肝心の全体写真が残っていないため、断片的な記憶を頼りにガイドブックの写真と照らし合わせてみた。
結果、おそらく私は"カウンムドーパゴダ"に足を踏み入れたと思われる。
右も左も金ぴかで、金閣寺が10も20も横並びしたような荘厳さが続く。
ふと、オレンジ色の袈裟を来た僧侶たちが列をなしてやってきた。私はどんな気持ちで彼らを見届けたのか、正直記憶にない(なんてこと!)。
おそらくそのとき私は、パゴダに入るときは「必ず靴を脱いで裸足で歩く」という規則を目の当たりにしていっぱいいっぱいだったのだろう。
恥ずかしい話、ミャンマーへ来て最初の3日間は、新品のナイキのスニーカーが汚れることがイヤでイヤで裸足になるのを拒んでしまった。
そのせいで寺院の前に立ち尽くし、しばしば兄に置いていかれた。
しかし、たったの数日でそういった日本人特有の潔癖も徐々に薄れ、郷に入っては郷に従えの言葉どおり行動するようになった。
途中からはスニーカーを脱いだらすぐに歩けるよう靴下をはくのを止めた。
汚れた足を拭くものを持っていなかったため、そのままナイキのスニーカーをはいていたので中敷きは半日で真っ黒になった。
それでも私は気にせず、気づけば兄よりも先に裸足になってパゴダに入っていた。清々しいほどの変化だ。人は、思った以上に変われるのだ。
パゴダ内に入ると、敬虔な信者たちがすきまなく床にひざをつけて並んでいた。
私は思わず息を止めた。
仏様との対話の時間を邪魔してはならない、観光目的で来た私ごときが吐く息で聖なる空間を汚してはならない、そう思ったのだ。
私は彼らの横を素早く静かに通り抜けた。
その後、目に飛び込んでくる建物の荘厳さに圧倒されっぱなしだった。
街中にこうした建造物が自然に存在していると、
「仏様を信じるか信じないか」というクエスチョンよりも、「いつまでここに仏様は居て下さるのだろうか」という、かつて抱いたことのないような思いが心をよぎった。
その夜、兄はホテルで興味深いことを口にした。
「ミャンマー人の友だちが増えるたびに自分がちょっと恥ずかしく思えてしまうことがあってさ」
「恥ずかしい?」
「日本人って特定の宗教を持たないでしょ。だから、キミはなにを信じてるんだ? って訊かれてもいつも答えられないんだよね」
兄との会話で唯一忘れられない言葉だ。(つまり、それ以外はあまり残っていないという笑)
ただ当時16才だった私には、"宗教を持つ"=カルト教団というイメージを払拭することができず、兄の考えをうまく掴みとれなかった。
しかし、いまは違う。
あの夜、兄と語り合ったことは人類にとっても深い問いであり、人間の根底にかかわることだったと大人になって気づけた。
異国の人と接することで兄は、20代にしてその普遍的なテーマに触れてしまったのだ。
私がミャンマーの人から同じ質問をされたらどう答えるだろう。
おそらく私は、自分の中で衝動的に「外へ向かう気持ち」と、「好きな人の言葉」を信じて生きてるかもしれない。
前者は「いまこれをすべきだ!」「いまあそこに行くべきだ!」「いまこの言葉を伝えるべきだ!」と、衝動的に自分の体を前へ押し出す感情のこと。
後者の「好きな人」というのは、友人、家族、先輩後輩などもひっくるめる。
そんな好きな人たちから発せられる言葉は、時に自分の心を押し上げることもあれば、時にどん底からすくいあげてくれることもある。
こう考えると、自分だけの身近な神様を信じて生きていることに気付かされる。
ミャンマーの人に限らず、「どうして~教を崇めているの?」と世界中の信者たちに聞いたらどんな答えが返ってくるだろうか。
同じ神を信じていても、同じ国籍でも、その動機はまったく同じではないのだろう。
いつか、世界中の人々にその答えを集めるための旅に出てみたい。