インレー湖② 「葉巻とホテルアイリス」

文字数 1,113文字

 ボートを下りてからは、もちろん地上の散策も堪能した。
 ふと、前方から子どもたちの一群がやってきた。
 兄にどこからの帰りなのか質問してもらった。
「葉巻を作ってたんだ。キミたちも作ってみる?」
 普段、公園で走り回っていそうな年齢層の子どもたちからあまりにも意外な言葉が返ってきて、戸惑ってしまった。
 合法なのか?
 違法なのか?
 それとも、マフィアの一味なのか?
 私と兄は顔を見合わせて立ち往生したが、気づくと子どもたちに手を引っ張られてある家まで連行された。
 だいぶあとになって知ったことだが、私たちが足を踏み入れた場所は、ミャンマーの伝統的な葉巻を作る工房であることが判明。そう、マフィアとはいっさい関係なく、それどころか公にされている仕事だった。
 しかし、当時の私は「来てはいけない場所」と思い込んでしまったため、恐くてその場を足早に立ち去ってしまった。なんて小心者なのか。

 それからまたボートで他の場所へ移動。
 そして、次に下りた場所で冒頭にも書いたふたりの少女から熱烈な歓迎を受けたのだ。
 絵を描けるなら描いてみたい風景というのは、まさにここインレー湖だ。
 先々で出会う子どもたちはみんな生き生きとしていた。彼女たちは、自然のなかで幸せを余すところなく見出しているようだった。
 私はボートに乗っているあいだ、空と海とを大きく遮るものがない長閑な風景に存分に癒された。
 目の前に広がるこの美しい空と雲と海は、数日後、学芸会の模造紙に描かれたセットのようにペロンとめくられて、騒々しいビル群にとって代わられるのかと思うと無性に切なかった。

 インレー湖では、「フォーシスターズ」という二階建てのゲストハウスに泊まった。
 朝からアウトドア三昧の1日だったので、ベッドに飛び込んだ瞬間3秒で就寝。
 そのためゲストハウスでの思い出はあまりないのだが、「フォーシスターズ」という名前は忘れたことがない。
 名前のとおり、4人の姉妹が経営していた。
 もしかしたらいまはそこに、彼女たちの子どもや孫が加わって「テンシスターズ」になっているかもしれない。
 余談だが、小川洋子さんの「ホテルアイリス」の小説を読んだとき、必ずといっていいほど私はここのゲストハウスを思い浮かべる。
「ホテルアイリス」は、ホテルで働いている少女と、翻訳者の老人との非日常的な恋愛を描いた小説だが、日本らしくない海辺沿いのホテルの雰囲気や、文章から漂ってくる夏の太陽のにおいが実に「フォーシスターズ」にマッチしているのだ。
12月末とはいえ、ミャンマーの気候が暖かったことも大きく影響していたかもしれない。
 いずれにせよ、どちらのホテルも私のお気に入りだった。
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