第37話 置き土産

文字数 6,580文字

 九重、そして畑口を失った加藤は、残された日にちをどのように過ごすか悩んでいた。普通に考えれば辞めるつもりなのだから、そのままサボッてしまえばいいと思われるが、変な所に真面目な加藤にはサボるという選択肢は頭に全くなかった。

(後2ヶ月弱……既契約の挨拶まわりも終わったし、何やろうかな……最後くらい、営業部長のよく言ってた地区の既契約者にお伺い訪問でもしておくか……)

※地区の既契約者=自分が契約を取った人ではなく、知らない誰かが契約をとったもので、同地区内で担当者がいない(殆どの理由が担当が辞めた為)契約者の事。

 今までの加藤は主に新規飛び込みメインの仕事をしていたが為、全くといっていい程既契約者巡りはしていなかった。(新規飛び込みにおいて偶然既契約者だったというケースは多々あるが) というか、既契約者を回る時間を取れなかったというのが正解である。

 自分のお客さん・見込み客巡りが終わり、独りになって時間を持て余した加藤は、皮肉にも営業部長が率先してやれ! といっていた既契約者巡りをする事になったのである。

 1件、また1件──
 何事もなく、現在の既契約の確認・説明という訪問が続く。当然といえば当然ではあるが、ここ数ヶ月であったような皮肉な契約に結びつくケースは1件もなかった。

 それでも、加藤はその活動が新鮮に思い、これはこれで楽しく感じていた。契約に結び付く事はなくとも、丁寧に既契約の説明をした際のお客さんのお礼の言葉は、ちょっとした充実感すら覚えた程である。

(感謝されるって、気分いいな……こういう仕事の仕方もあったんだ……もっと早くこうやって動いていればもしかしたら未来も──)

 一瞬、頭の中で想像する。毎月のノルマに苦労しながら、少ない給料に愚痴を言いながら生きていく普通の人生……普通に言われた通りにやっていれば、普通になれたのかな……と。みんなの輪の中に入れたのかな……と。それが幸せだったのかな……と。

 みんなが笑ってる。営業部長も、支部長も、勝野さんも、小橋さんも……九重も、畑口も……そして美幸も、美子ちゃん達も……みんな……

(──ま、それはないか……俺なんかが普通に憧れるなんておこがましいよな……欠陥人間だし……疫病神だし……死神だし……悪魔だし……)

 と、加藤は苦笑しながら想像を自ら打ち消していた。

 契約を取る気は──当然ながらさらさらなかった。欲という欲も皆無だった。何があろうが3月で会社を去る気だった。せめてそれまでの間、ただただ善人でありたい──心底そう思っていた。

 1日30件のペースで10日間は何も起きなかった。が、11日目のとある企業にて、まさかの出来事が起きる。


「こんにちわ、○○生命の加藤と申します。総務ないしは社長さんはいらっしゃいますでしょうか?」

 この企業──地元ではそれなりに有名な企業であり、加藤もその名を知っていた。が、別に新規で契約を狙う訪問という訳でもなかったが為、加藤自身も信じられない程リラックスして飛び込みを敢行していた。

 窓口にて呼び出してもらって、応接間にて待つ事5分弱。さっそうと登場したのは、意外な事にその企業の社長であった。(本来、全くアポイントなしの初めての訪問時は面談を拒否されるないしは、出て来てもせいぜい総務止まりというのが普通である)

「ほぅ、○○生命かね。珍しいなぁ。で、何かね、要件は」

「はい、現在○○生命既契約者の方全員に、今加入されている契約内容の説明にて回っていますす。お時間は大体30分程度頂きますが、お時間は大丈夫でしょうか?」

「ん? まぁ今日は特に用事ないからいいよ」

「では、早速──」

 既に100件以上同様の流れで説明で回っていた加藤は、非常に流暢に丁寧に、説明をしていった。全ての話が終わった時、社長が質問してきた。

「ん~、なる程。何だかよく分かったよ。ところで、終身保険とは単体で加入できるとかいっていたが、仮に55歳の場合で10年払いだとどれくらいの保険料になるかね?」

「えぇ、このケースですと──(端末を取り出し、ササっと参考例を作成しみせながら)こういう感じになります。こちらが解約返戻金になりますね」

「ほほぅ……」

 まるではじめて保険の事を真面目に聞いたかのような反応を見せた社長は、これを機に様々な保険に対する質問をしてきた。そして、それに丁寧に答える加藤。このような質疑応答の繰り返しにて、気がつけば3時間近くが経過していた。そして──

「実は……な」

 今までと打って変わって真剣な表情を浮かべ身体を少々前のめりにしゃべる社長に、思わず加藤も同じ様な体制になり、耳を傾ける。

「そろそろ、うちも役員退職金制度を作成してみようかと思っているんだよ。今の話を聞いて大体大まかには理解したつもりなんだが、一応額が額だから、他の役員とも話し合わなくてはいけなくてな。少し先の話になると思うし、もしかしたら他でやるかもしれないけど、相談に乗ってくれるかね」

「は、はぁ……ただ、役員退職金を終身保険で考える場合には正直うちよりも外資等の他社さんの方が条件良くなりますよ。うちで検討して頂けるのは光栄ですが、貴社の利益を、と考えると他で検討された方がいいでしょう」

 企業の社長さんが保険の案件を持ち掛けてきてくれたにも関わらず、自社を一切勧める事なく企業にとってメリットの大きい他社を勧める──退職を決めた人間……いや、完全に契約を取る気がさらさらない加藤にしかできない究極のトークであろう。

 この無欲さが……皮肉にも……

「ふははは! 気にいった! 今まで色々な営業マンを見て来たが、ここまで素直に正直に、自社を売り込む事なく適切なアドバイスをする営業マンは見た事ない! 何、ちょっとしたカマかけだったんだよ。この話はな、最初から大手国内生保にお願いしようと決めていたんだよ、他より多少不利な条件でもな。ただ、仮にここでデメリットを一切いわず売り込むようだったら、即座に断わるつもりだったがな」

──と、社長の心をがっしり掴む結果に。

「──え? た、ただ……自分、辞めるかもしれない……ですよ……?」

「ん? ま、君みたいな人なら例え辞めても利益抜きで動いてくれるだろうから、構わんよ。ま、最初の契約さえキチっとやっておけば、別に後に誰が担当になっても変わらないし、な」

 当然、即決という話にはならないような話である。この手の企業の場合、ある程度会社の役員会議(?)等で話し合いの結果、契約となる。大体早くて2ヶ月程度の時間を要する事が過去の経験より把握できていた加藤は、何とも複雑な気持ちになっていた。

(契約がまとまる頃には俺は……多分いないな。当然、手数料も入る事はない……か。ま、恐らくこれが最後の大きな契約になるから……引き継ぎはちゃんとしておかないとな。色々理不尽な事、去年から色々あって結果的に退社を決意したけど、それまでは会社に世話になった……よな。まぁ、そう大きな土産という訳ではないだろうけど……ちょっとくらい営業所に置き土産を残すのもアリか……!)

 考える事数秒、取りあえず頭を切替え、次回契約の具体的な額の設計書をもってくる事を約束し、その企業を後にした。


 帰社後、加藤は営業所全体を見渡し──先ほどの企業案件の引継ぎ相手を探していた。

(だ・れ・を・ひ・き・つ・ぎ・に、し・よ・う・か・な、と。……木村さんでいいか)

 木村という人物、いままで物語には殆ど登場していないが、殆ど加藤と入社時期が同じであり、数少ない同僚に近い人物であった。それ程仲がいい訳──以前に全く接点もなく話すらした事がなかったが、営業所内で流行っていたマルチに参加していなかった数少ない人物であり、黙々と仕事をするという姿勢に加藤は密かに好感を持っていた。

(木村さんなら、引き継ぎとして問題ないな、多分)

そう思い、木村さんに早速声をかける事に。

「え……? あ……か、加藤さん? ど、どうも……」

 木村は非常にビックリした表情を浮かべていた。よくよく考えたら、木村に話し掛けるのはもちろんの事、今まで一言もしゃべった事がなかったので当然といえば当然の反応である。少々バツの悪さを感じた加藤であったが、構わず話を続けた。

「実は、木村さんを見込んでちょっとお願いがあるんです。とある企業契約の引き継ぎをしてもらえないですか?」

「──え? ど、どういう事です? 加藤さん自身でやればいいじゃないですか」

「……まだ誰にも内緒なんですが……俺、3月一杯で辞めるつもりなんですよ」

「え……えぇ?! な、何でですか?」

「まぁ、色々と事情がありまして。だから、俺が扱う事が恐らく不可になると思うんです。木村さんなら信用おけると個人的に思ったので、俺の代わりに契約をお願いします」

「え、えぇ……まぁいいですけど……それだと加藤さん自身は手数料入らなくてマル損じゃないです?」

「ま……そうですけどね。誰にも知られる事なく、置き土産でも残せたらいいかな、と思いまして……」

 遠い目をしながらしみじみと語る加藤を不思議そうな顔で見る木村。結局は、狐に包まれたような気持ちであったが、加藤の話に了承をした木村であった。

(ふぅ……これで大丈夫……かな……)

 引き継ぎ(?)の了承を得た事で、ひと安心する加藤。が、この最後の「置き土産」が時間と共に非常に大きな、大きな問題として、営業所を、いや、支社を揺るがしていく事となる。


 数日後、加藤の携帯がなった。この間の企業の社長である。電話に出た途端、加藤は耳を一瞬疑うような言葉を聞く事になった。

「おぉ、加藤君かね。確か今日来てくれる予定だったよな。この間言っていた保険金の10倍と20倍のもの、今からいう人数分作成して持って来てくれよ」

「──え? 10倍と20倍ですか?」

「じゃぁ、メモちゃんと取ってよ~」

 名が出て来たのは合計5名。それと同時に、会社契約以外の個人のものも作成して欲しい旨を聞く事に。電話を切った後、思わず加藤は簡単な足し算をわざわざ電卓にてゆっくりと検算し直した。

(こないだのが、5000万だったから……5億と10億。5億×5人で……25億……下手したら50億の終身……? それに個人まで合わせたら……最高で60億……? な、なんじゃこりゃ?)

 60億という数字は、当然個人レベルの年間数字から大きく外れており、営業所全体での年間ノルマの何分の一、というとてつもない数字である。仮に退社時期を後2ヶ月遅らせていたら、加藤は巨額の手数料を得た事になっていたであろう。そして、仮にそのまま会社に残っていたのならば……確固たる地位を不動のものとして、輝かしい未来が待っていたであろう。

 が──加藤がそれを望む筈はなく……心が満たされる筈はなく……全てが虚しく……明るい未来を描く力は既に……

(ま……額が何十倍に増えようが、どうでもいいや。どうせ置き土産のつもりだったし。……さて、まだ地区内の既契約者残ってるから、全力で回るか……)

 ひたすら、がむしゃらに動いていた。まるで自分の身体を痛めつけるかの様に、自らの時限爆弾の時間を進めるかの様に……何も考えないで済む様に……あわよくば倒れる事を願って……魂が消えてしまう事を願って……ひたすらに、ただひたすらに……

 何とも悲しく狂気的な活動動機に、無意味な数字だけがまた積み上げられていった。

……──

(ハハッ……何だこれ……こんな活動で別に望んでもないのに次から次へと、ホントにもう……まさかと思うけど、これって神様による俺へのお告げ? 改心して会社に残れって? ハハッ……破壊神になろうとしてる俺が怖いんだ……こんな俺をそんなに畏れてくれてありがと。改心はしないけど、破壊神になったところでたかがしれてるから、安心して)

(それとも……俺へのお詫び? 何かの帳尻合わせ? これで勘弁してくれって? だとしたら……お詫びの方法間違ってるから。俺が本当に望んでるのは──ま、いいや、今更)

(取りあえずさ、あの契約は置き土産で放棄するからさ……その代わり、また前みたいに道端で狭心症でも心筋梗塞でもさせてよ。辞めるまでの間、がむしゃらに動き回るからさ。伊織さんやあすかの件でちょっとキツいから、できるだけ早く自然にぽっくり逝きたいんだけど……ダメ?)

……────

(今日、木村さんと例の企業一緒に行ってきたけど……PCによる簡単な資料、電卓まじりの説明等一時間……どうやったらそんな事ができる様になるんですか? って……利回り・商品比較等ごく一般的な話をしただけなのに……唖然としてたなぁ……これくらい、ちょっと勉強すれば誰でもできる様になるから、ま、頑張って!)

(そういえば、こないだ退職願を営業部長に出したけど……エイプリルフールにはまだ早いぞって……まともに取り合って貰えなかったけど、大丈夫かな? 手続き上はこれでいい筈だよな? 何か書類書かなくていいのかな? ま、いっか)

(あ……勝野さんや小橋さんに報告──別にいっか。小橋さんには絶縁されたし、勝野さんも……もう……他に報告する人は──いないか。気が付いたらあすかも伊織さんも会社いなくなってるし……誰もいないじゃん……ハハッ……)

……────

(やっぱあの契約、今月中に間に合わなかったか~。会社契約だし、額が額だからしょうがないか。取りあえず例の会社の最後のツメの設計書、木村さんに渡したけど……大丈夫かな? 何か額見て青ざめてたけど。ま、大半の話は済んでるから、設計書渡すだけだから、それくらいできるか)

(それにしても木村さん、これで一気に支社で注目される様になるだろうな~。プレッシャーも相当なモノになると思うけど、めげずに頑張って。多分、俺より素質はある筈だし、ちょっと頑張れば俺以上に余裕でなれるから)

……────

 そして月日は流れ──退職する日がやってきた。


■3月25日

──今日でここに来る事は……二度とないのか。4年間、短かった様な長かった様な……色々あったな……ちょっと感慨深いかも。

 結局……誰にも惜しまれる事もなく、悲しまれる事もなく、知られる事もなく……去る事になったか。ま、こんなもんか……会社っていうのは、社会っていうのは。

 多分、俺のせいだよな……こんな寂しい最後になったのは。……どこで間違ったんだろ? ま、俺は社会不適合者って事……なんだろうな。

 取りあえず社会人生活に未練は特にないけど……一度くらい男の後輩を連れて飲みに行く経験はしたかったかな……って、俺にはどうやっても無理だったか。

 明日から……朝早く起きなくていいんだ。スーツも着なくていいんだ。身だしなみも気にしなくていいんだ。……人目を気にしなくていいんだ。

 せいせいするよ。

 でも……人と話す事、会う事、なくなるんだ。北さんのマンションから出ていって……この街から出ていって……外に出る事もなくなって……一日中、パソコンとにらめっこの日々が始まるんだ……これからずっと……死ぬまで罵声を浴びまくって……1人きりで……

……本当にやっていけるかな……1人で耐えられるかな……いや、早く順応しなくちゃ。

 あすか、ごめん、約束守れなくて。ロクな人生、見せる事できなかったわ。ま、お前はお前で俺の事なんか忘れて、これから誰もが羨む幸せな人生歩んでよ。

 伊織さん、ごめん、俺、壊れなかったわ。普通の人なら精神やられてるかもだけど、俺、欠陥人間だからさ……何か耐えられちゃったよ。せめて、心筋梗塞にでもなって倒れたらと思って動き回ったけど、身体持っちゃったよ。ま、数年もすれば壊れて消えるから……地獄逝くから、それで勘弁して?

 美子ちゃん達、大丈夫かな……いや、どうにかなるか。多分、今ある残りの預貯金を全部送れば学費分にはなる筈だし……俺がいない方が絶対いい筈だし……

 できれば美子ちゃん達が無事大学に進学した姿を見たかっ──身の程知らず過ぎか……

 美幸、もうすぐそっち逝くよ。待ってて──って、無理か。俺、地獄逝くし……会えたとしてもあすかの件でボロクソ言われそうだし……ごめん。

 さてと……そろそろ行くか。

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