第24話 ジキルとハイド

文字数 3,702文字

「たくみ君、今からいいところに連れていってあげる♪ フラれたショックなんてあっという間に吹き飛ぶから♡」

 と、意味深な事を言う九重に連れられ、加藤は家近くのちょっと洒落たショットバーに歩を進めていた。……そこで、加藤をさらにどん底に落とす出来事が起きる事も知らずに……

 九重と2人でショットバーに入ると……カウンター奥に女性と談笑する1人の見慣れた男の背中が目に入ってきた。トレードマークのオールバックの髪形、後ろ姿からでも一目で分かる程の異様なオーラを放つこの男──かつての加藤の上司であり、そして最も慕っていたあの勝野であった。こちらに気付く様子がなかった為、入り口付近のカウンター席に座り2人共シャンディガフを注文し軽く喉を潤していると……勝野の声が自然と耳に入ってきた。

「──アイツ程、危険な男を俺は見た事ないね。ここ数ヶ月だけで一体何人アイツの毒牙にかかった事か……俺はホントとんでもない化け物を育ててこの世に放ってしまったよ」

……完全ではないものの、ろくでもない話をしている事は伺い知る事ができた。その危険な男とはきっと加藤の事を指しているのであろう。

(……この人、年がら年中俺の悪評流しているんだ……何て暇人な……)

 思わず苦笑いをする加藤。その様子を見て何を勘違いしたのか、九重が勢いよく席を立ち、勝野の元へつかつかと歩きだしていく。

(──?! ちょ、何しようとしてるんだよ!)

 慌てて九重を制止しようとするものの、時既に遅し──九重は勝野の斜め後ろにたどり着き、そして──

「いいか! アイツだけには関わるな! じゃないと、九重みたいに──」

「どうも~、その九重で~す。そして、超危険人物のたくみ君で~す」

「──?! よ、よぉ……」

「……俺の変な噂、流さないで下さいよ……勝野さん」

「い、いや~、悪い、悪い。軽いジョークだって。そんな顔するなよ~。ここ、奢ってやるから機嫌を直して、な!」

 少し気まずそうにしながらも何ともフレンドリーに話しかけてくる勝野に加藤は怒りをすっかり忘れ、思わず笑顔になっていた。そして……流れで一緒に飲む事になった。

 今までの1年半は一体何だったんだ? という程、何のわだかまりもなく楽し気な勝野との飲みでの会話は、非常に楽しかった。あの頃と一切変わらぬ勝野の加藤への話っぷりは、嫌が応なしに加藤に望みに望んだあの夢を見させていた。

(これを機に、またあの頃の様に戻れたら……俺は……)

 時間にして1時間くらい経過したであろうか、加藤は思わずあの「夢」を口にした。その時の会話は……加藤の記憶に一生刻まれる深い傷となる。

「勝野さん、俺と久しぶりに勝負しません? 残り一週間で、どれだけ──」

「冗談言うなよ、俺がお前みたいな化け物に勝てる筈ないだろ? 誰が負けると分かってる賭けなんかするかよ」

「……え? そ、そう……ですか」

「短い間だったけど、お前を指導できたことが俺の誇りだよ。これから●×※△#$──」

 その後の会話は……全く頭に入ってこなかった。この時、隣にいた九重の存在すら……記憶に残っていない。辛うじて作り笑いを浮かべながら生返事をしていた事だけは覚えている。

 加藤が長い間ずっと思い描いた憧れや望みや夢は……音をたててガラガラと崩れ去り、深くて暗い闇が視野を、そして心を包み込んでいった。

(何だよ、それ……あんた……あんただけは……そんな事言うなよ……俺はずっとあんたに憧れて……少しでも追いつきたくて……一緒に競いあって……ずっと……ずっと夢みてたのに……何だよ、化け物って……何だよ、誇りって……何だよ──)

(何でこの程度の差で諦めるんだよ……何で追ってきてくれないんだよ……何でそんな遠い目するんだよ……俺を化け物って……特別って決めつけるんだよ……何で俺を孤独にするんだよ……何で俺がこんな気持ちに……何で──)

(……もう、いいや……これが現実ってヤツ……か。だったら……なってやるよ。あんたが望んでる、誰もが望んでる、誰からも恐れられる正真正銘の……本当の化け物に……! こんな世界……俺の闇で全部ぶっ壊してやる……!)

 この後、加藤の頭の中から勝野の存在は完全に消え去り──以後交わる事は……二度となかった。

 加藤の中に目覚めつつあったハイドの性質が……完全に覚醒した瞬間であった。

 その後、九重のしてくれたとある事によってかろうじてジキルの性質を残す事になり、完全なる破壊神への変貌には至らずに済む。が──その代償は……あまりにも大きなものになる事を、加藤は5年後に知る事となる。


■九重がしてくれた事

──帰宅後

「たくみ君、お願いごと1つだけ聞いてあげる、何がいい?」

「え~っと、どういう事?」

「今日のお詫び。私、とんでもない事しちゃったな~って思って」

「ん? 別にいいって~、そんな気にしなくても」

「気にするに決まってるじゃない! あの子の事はともかく、勝野さんと会ってからのたくみ君……普通じゃないよ……」

「気のせいだって~。ホント、別に何とも思ってないから。あすか、知ってるでしょ? 俺が感情鈍いヤツだって。自分でもびっくりするくらいケロっとしてる──」

「私にそんな嘘が通用する筈ないでしょ! どれだけたくみ君を見てきたと思ってるのよ。私の前では……心の内、さらけ出してよ……少しでいいから……!」

「ホント、何もないって~。……ま、お前との約束は、多分果たせそうだよ。びっくりするくらい……面白い未来を見せてやるから、期待しててよ」

「無理に明るいフリしないで! ホントは凄い傷ついてるんでしょ? 辛いんでしょ? それくらい、分かるんだから!」

「……うるせぇな……今の俺に……構うなよ。元々俺、頭おかしい異常者だから……化け物だから……手始めにお前を……滅茶苦茶犯してぶっ壊すぞ!」

「それが望みだったら……いくらでもいいよ。それで……少しでもたくみ君がラクになるなら」

「……冗談だよ。真に受けるなよ……お前も軽はずみにそんな事、言うなって……来月結婚して幸せになるんだろ? 万が一があったらどうするんだよ……俺なんかに構ってる暇があったら、フィアンセと1秒でも長く会っておけって」

「今のたくみ君を放っておける訳ないじゃない! フィアンセとたくみ君なら、断然たくみ君を優先するから!」

「お、お前……バカ? どこの世界に翌月結婚するフィアンセより他の男を優先するヤツがいるんだよ! もしバレたら──」

「そんな事、最初から覚悟してるに決まってるでしょ! じゃなきゃ、一緒に住む筈ないじゃない! このバカ!」

「い、いや……そんな思いっきり開き直られても……お前、自分で自分が何を言ってるか分かってる? 取りあえず落ち着こっか、な?」

「落ち着いてるわよ! もっとはっきり言った方がいい? フィアンセとたくみ君だったら、私は断然──」

「それ以上は言っちゃダメだって。……ありがと。……その気持ちだけで十分だから。……ごめん、心配かけて。俺はホント、もう大丈夫だから──」

「────────」(無言で強く抱きしめの図)

「あ、あす……か?」

「私の胸の中で、思いっきり泣いて ……いいから。……全て受け止めてあげるから」

「…………」

「……夢、叶わなかったね……」

「……ぅぅぅ────ッ」

「……やっぱり……全然大丈夫じゃないじゃない……バカ」

「俺……あの勝野さんにまで……化け物扱いされて────ッ」

「……うん……」

「ホントはずっと一緒に……ぅわぁぁぁ────ッ」

「……そっか……」

「ずっと憧れだったのに……置いていかれないようにって……少しでも追いつけたらって……ただ一生懸命がむしゃらに……いつか前みたいに戻れたらって────ッ」

「……うん……」

「俺は……欠陥人間だから……限度も分からず……何、本気でやってるんだってドン引きされて……嫌われて────ッ」

「……そんな事、ないから……」

「何をやっても嫌われるなら……とことん嫌われて……本物の化け物に……全部壊して……ぅわぁぁぁ────ッ」

「……うん……」

「ぅわぁぁぁ────ッ」

「……少なくとも私は……例え世の中のみんながたくみ君の敵になっても……ずっと味方でいてあげるから……一生、傍にいてあげるから」

「……バカ! 嘘でもそんな事言っちゃ……フィアンセに──」

「嘘じゃないよ……望むなら、今から別れてくるよ……フィアンセとたくみ君だったら──私は断然たくみ君を選ぶから」

「……バカ! バカ!────ッ」

「……どうせ私はバカですよ~だ……」

「────ッ」

────……

 闇に完全に染まってしまいそうな中、一筋の光を照らしてくれたのは、感情を残してくれたのは……九重だった。少し痛くて息苦しい程の強い抱擁は気が遠くなる程長く続き、そして──罪が積み上げられていった。

 一体何が正解だったのだろう?
 誰が悪かったのだろう?

 加藤?
 九重?
 勝野?
 それとも……?

──得たものも大きかったが、なくしたものも大きかった。

 僅かに人の心を残した破壊神の物語は……この日から始まったという事を後に知る事となる。
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