第20話 運命のいたずら

文字数 4,847文字

 時は11月1日。加藤は地区でなじみの人達に退社の旨を伝える挨拶まわりをしていた。午前中は3件のみの訪問、この数だけを聞けば非常に効率が悪いと思われるであろうが、うち2件が成約に結びついた事を考えればむしろ非常に効率的な動きであったと言えるであろう。加藤は退職の挨拶回りをするごとに契約が舞い込んでくるという皮肉な成果に戸惑い、悩んでいた。

契約が取れてしまった……これって、保険屋をやめるな、続けろっていう神様のお告げなのか? 何て意地悪な……)

 加藤がこう思うのも仕方がないであろう。11月戦が始まって2週目頭のこの時で──実質活動日数わずか3日程度で、既に8件もの契約が積み重ねられていたのだから。

 このまま活動を続けたらまた契約が取れてしまう……聞く人が聞けば激怒しそうな程贅沢な悩みを抱えた加藤は、また無意識に1本外れの通りの商店街を歩いていた。9月以降、週2-3というペースで来ているこの通り──そしてあの場所は……全く変わる事なく光り輝き、加藤を優しく包み込んでいた。

「──お疲れ様です。今日はどうでしたか?」

 満面の笑みで出迎えてくれる絶世の美女──かつて第三の拠点として通い詰めたあの花屋の日高百合が、加藤の心を躍らせ……決心を鈍らせて……苦しめていた。

(またここに来てしまった……俺は……どうしたら……?)

 日高百合──彼女こそ、加藤にこの上ない贅沢な悩みを与えている張本人であった。

 時は9月初旬に遡る。


──畑口との出会いの数日前

 紆余曲折あって、結局当初の予定通りに退職を決意した加藤は顧客への挨拶回りを始めようとていた。ただ、退社の意を伝えるのに回るのは、一抹の不安を感じていた。自意識過剰ともいえるかもしれないが、自分が辞める事に対し酷く悲しんだり、無責任だと怒る人が少なからずいるであろうと思っていたからである。

 最初の一歩が……中々踏み出せない。思わず無意識のうちに1本外れの通りの商店街を歩き……気が付いたら、かつてのオアシスの目の前に来てしまっていた。

(……あ! し、しまった……何でここに? いくら何でもここに来ちゃいかんだろ、俺……何考えてるんだよ……)

 自分自身の無意識の行動に戸惑い驚きながら、慌ててその場を去ろうとしたその時──彼女は以前と変わらず、満面の笑みで優しく加藤を迎え入れてくれた。

「──お久しぶりです。お元気でしたか?」

 久しぶりに見る彼女の満面の笑みは……一瞬で加藤の時間をあの頃に引き戻し、心に光を宿していた。

「(クスッ)また私に見惚れてたんですか? 加藤さん、変わってないですね」

「い、いや……久しぶりに見るとホント、異次元なキレイさだな~って。思わず心臓が止まるかと思ったよ」

「www 相変わらずですね。……また来て下さって、ありがとうございます」

「──え?」

「……加藤さんが来なくなって、寂しかったですから」

「ま、またまた~……日高ちゃんも相変わらず男を喜ばす事、言うね~」

「また……前みたいに来て頂けると……嬉しいです」

「え、えっと……来たいのは山々だけど……だって、俺──」

「これからもよろしくお願いします」

「は、はい……こちらこそ」

 この様にして絶世の美女、日高百合との関係は……あっけない程簡単に復活した。あの頃と変わらず──いや、それ以上に輝きを増した彼女に加藤の退職してFPを目指すという決心は早くも揺らいでいた。この再会がなければ、小橋の引き止めをきっぱり断り、畑口との出会いもなかった……かもしれない。

──トレーナーになってこのまま会社に残るか、辞めていばらの道を進むか

 畑口との物語と同時進行で……もう一つの日高との物語が始まっていた。


■皮肉な成果

「何? 加藤君、辞めるの? そりゃ良かった。もしも他社にいって、今入ってるのよりいい商品があったら是非教えてよ」

「おぉ、辞めるのかね? そりゃ良かった。実は今の保険、ちょっと家計が厳しくなってたから減額でもしようかと思ってたんだけど、加藤君に悪いかな、と思って中々言い出せなかったんだよ」

etc…

(……退職を伝えたら逆に喜ばれるって……そういうもの……なのか?)

 全く他の業界への転職という事ならば展開は違ったのかもしれない。が、同じ業界に居残るという事により、意外な程歓迎を受けた加藤はある種の戸惑いすら感じていた。


(さて……と。次の既契約の人は……ちょっと場所離れてるな。ん? ここから数件、なじみで通ってるところが続くじゃん。……ま、そう時間かからないだろうから、ついでに挨拶で回っておくか)

 既契約者への挨拶回りのついでになじみ先(まだ契約を取っていないいわゆる見込み先)も挨拶しておくか、と軽く考えて行動した事で、全く想像しえなかった出来事が起こる。

「こんにちわ、○○生命の加藤です。今日は御挨拶にお伺いしました。実は……今年一杯で今の会社を辞める事になりまして……」

「──え? 加藤君、クビになるの?」

「あ、い、いや。クビになる訳ではないんですが、色々ありまして……他社へ行くか独立しようかと思いまして」

「あ、な~んだ、今の業界を辞める訳じゃないんだね。なら安心だ」

「──は?」

「いや、実はいつも加藤君が来るのをちょっと楽しみにしていたんだよ。で、仮に業界が変わるとなると、今みたいに来てくれなくなるかな、と思った訳だけど、同じ業界ならまた同じように来てくれそうだし」

「あ……も、もちろん来てもいいのならば、絶対来ますよ」

「ん? なんで加藤君が来るのを拒まなくちゃいけないのさ。是非来てよ」

「あ、ありがとうございます!」

 意外な話であった。

 加藤はあくまでも自分は生命保険会社のいち営業マンとして認識されているだけで、会社という看板があるから出迎えてくれている、話を聞いてくれている、と考えていた。あくまでも自分の存在はおまけに過ぎないんだ、と。が、その認識は間違っていて、今ではむしろ会社がおまけで自分自身と会うのを楽しみにしてくれている人もいるんだ、と……

 さらに加藤の全く想像しない話が続く。

「──で、丁度良かった。ちょいと保険の話を聞きたいんだが……」

「え? お、俺……辞める人間です……が?」

「だからいいんじゃないか。客観的な意見、聞けるだろ? 客の立場としては、さ。どうしても会社に所属しているうちは、自社商品のいい事しか言えないだろうけど、今の立場なら自由に言えるだろ?」

「……!」

 意外な話ながらも、的を得ているなと思った加藤は、今まで以上に丁寧に、素直に、客観的に保険の話をした。

「ほぉ、なる程なぁ。この商品だとこっちのが値段は安くて、こっちだと加藤君の今の会社のがいい訳……か。いや~、これだけ素直にメリット・デメリットを客観的に言われると、気持ちいいもんだなぁ。よし! ま、面倒だから今加藤君にお願いしちゃうよ!」

「……は?」

 繰り返しになるが、加藤は今年をもって退社を予定している。その挨拶をしに来た人物から契約する、というのだから加藤が酷く驚くのも無理はないであろう。何よりも、デメリット(値段の高さ)を比較して提示したのにも関わらず、入るという心情が加藤は理解できず、思わず質問した。

「で、でも……お、俺は辞める人間ですし……しかも、デメリットもお伝えしましたよね? な、なのになんで入るんです?」

「ん? 逆にデメリットというのも聞いて判断するのが一般的だと思うんだけどね。今までどこの営業もデメリットについては語らなかったから、契約は躊躇してたんだけど、これだけキパっと言ってくれる人からなら、入る価値は十分あるな、と。加藤君なら、全く違う業界にいったとしても、電話したら来てくれそうだし」

 何という事だろうか、契約が取れてしまった。それも今まで全くといっていい程、保険加入する気がなさそうであった人が。ここまで言われて契約を交わさない訳にもいかず、何か狐に包まれたかのような思いで、契約を交わした。

(……ま、まぁ……こういう事も、あるよ……な)

 本来ならば喜ぶべきハプニングといえる訳ではあるが、辞めると決心した加藤は非常に複雑な心境のまま、歩みをとめる事なく挨拶回りを続けると──

「あぁ、加藤君かね……(1時間半後、同じような展開で)じゃ、入るよ」

「……は?」

 1件だけの特殊な事例ではなく、1件、さらに1件と……同じような展開が続く事に。辞めると決心、完全に利害関係抜きに説明をし、全く成果を期待せず、ただ「お客さんの為」という気持ちだけで行った行動により、加藤の成果はみるみるうちに積み重なっていく事になったのである。

 ここに来て……皮肉にも加藤の営業能力がもう一つ開花してしまっていた。


■第三拠点、再び……

(あ、そうだ……思わず日高ちゃんにまた行くよ、みたいな事言っちゃったけど、会社辞めるからな……最後の挨拶しておくか……)

 夕方、最後の挨拶という意図の元、日高の元へ出向いた加藤であったが──

「──え? 加藤さん、お仕事辞められるんですか?」

「あれから色々あってね……俺、これ以上営業できない身体になっちゃったんだよね。営業ができない以上、今の会社ではお荷物になるだけだし」

「……それにしては元気そうですよ? 先ほどまで普通にお仕事されてたみたいですし」

「あ、あれ? 言われてみれば確かに……足も普通に動いてたし、変な動悸もないや……何でだろ?」

「そんなの決まってるじゃないですか。私に癒されたからですよ」

「──え?」

「いつも私を見て充電されてたじゃないですか。私は加藤さんの栄養剤ですからw」

「た、確かに……日高ちゃんを見てから、何か心がスーッと軽くなった様な……力がみなぎってくる様な……」

「www 私と長い間、会わなかったから禁断症状が出てたんですよ、きっと。今はもうすっかり元気ですよね?」

「……びっくりするくらいに、ね……」

「お仕事の事、もう少し考えてみたらどうですか? 営業ができるなら、辞める必要もないですよね」

「た、確かに……け、けど……今日たまたま動けただけかもしれないし──」

「だったら、たまたまかそうじゃないか、試してみたらどうですか?」

「……え?」

「大丈夫ですよ、加藤さんは私に会いさえすれば、いつでも元気になれますから。いつでも癒されに来て下さい。私も楽しみにしていますので」

「けど……本当にいいの? だって、俺──」

「想い出は上書きすればいいだけですから。またこうやってお会いできた訳ですから、それで充分ですよ」

「……日高ちゃん……」

「ほら、そんな顔しないで笑って下さい。加藤さんは笑ってる顔が一番素敵なんですから。そんな顔してたら幸せが逃げていきますよ」

「笑う門には福来たる……か。いい事言うね~、日高ちゃん。ちょっと感動しちゃたよ」

「そりゃ、私、加藤さんの上司ですからね。飴と鞭を使い分けて馬車馬の様に働いて貰いますよ」

「うぅぅ、そういえばそんな事も……俺、これでも病み上がりに近いからお手柔らかにね」

「大丈夫ですよ。私、加藤さんを操るプロですから。私の手にかかれば、フルマラソンだって完走させられますよ」

「死ぬって!」

「wwwwww」

「wwwwww」

……この様な流れで、再び花屋を拠点とした活動をする事になった加藤。その結果、9月から12月までの間、実働日数は週のうちわずか2日ながら去年以上の化物じみた実績を残す事になる。退職の挨拶回りという名目にも関わらず大きな実績を残す事になったのは、開き直りによる営業能力開花が起きた他に──日高百合の存在のおかげといって過言はないであろう。

──あれだけ動かなかった足が、何事もなかったかの様に普通に動いた。

 日高百合は──加藤に再び歩みだせる足を、そして翼を与えてくれる女神そのものだった。実践する事はなかったが、恐らくは飛び込みすらやろうと思えば普通にできていた……であろう。が、その事実が加藤を酷く苦しめる事となる。
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