第15話 花
文字数 2,209文字
「ハル、あなた何をしているの?」
寒風吹きすさぶ季節、川辺の雑草の中で埋もれているハルに、舞踊稽古帰りのミヨが声を掛けた。
「あっ、奥様。お帰りなさいませ」
「挨拶が上手くなったじゃないの。でもそうでなくってよ。あなたは、そこで何をしているの?」
ハルは、泥だらけで皺くちゃの着物をぱん、ぱんと手で払いながら、川岸の傾斜地を上がる。両腕いっぱいに小さな萎 れた花や何やらの実を抱えていた。
「色が足りなくて、採りに来たんでござりんす。でも小 っさな花しかなくて」
「あら、今は工房で鰻の絵を描いているのでは? 絵具はあるのでしょう」
「これはトモ……お嬢様にあげる花の絵を描くためで。綺麗な色の花が見つからなくって変てこな色ばかりになってしまうんであり……ごじゃります」
「花の絵ねぇ。どんなお花の絵を描くの?」
「どんな? ……憶えてる花を……なんとなく……」
「それじゃあ良くないわね。あなた花言葉を知っていて?」
「花言葉でありゃんすか。聞いたことがあるような気がするでありまんす」
「あなたは花言葉の前に、話し言葉をなんとかしないとね」
ミヨはふっと微笑み、街の方に目をやる。
「雑草はそこに置いて、ついて来なさい」
ミヨはハルを引き連れて、近くの花屋を訪ねた。広い土間にたくさんの切り花や鉢植えの花が並べられている。白、赤、黄、橙色に桃色、青色と、綺麗に咲き誇る花々にハルは驚き、笑顔を見せた。
「こんな寒いのに、立派に花を咲かせるもんなので、すね」
「この大きい花は、何かしらね。初めて見るわ」
「それは、カガリビバナですよ、奥さん」
腰の曲がった初老ほどの店主がふたりに声を掛けた。左目が悪いのか閉じたまま、右目だけを開けて優しく微笑み、花を撫でる。
「最近、欧州から入るようになった品種です。高価だが冬でも綺麗な花を咲かせるので、これから広まっていくと思いますよ」
「花言葉は?」
「さぁ……まだ入りたての花ですからね。これから付けられていくのではないでしょうか」
「そう、こんな鮮やかな色なら、素敵な花言葉が付くのでしょうね」
ハルは、店内をきょろきょろと見廻して、ミヨに尋ねる。
「トモみたいな花はあるんでしょか?」
「トモみたい? あなたが花の絵を描いてトモにあげるのでしょう。あなたがトモのことをどう想っているか、それが花言葉ですよ」
「あちきが、トモを……。むむ」
そこでハルは腕組みして目を瞑り考え込んでしまう。トモが自分にとってどんな存在なのか。改めて表現しようとすればこれほど難しいことはない。そう思った。
「なにも、難しく考える必要なんかないよ。端から見てれば一目瞭然なのだから」
「……どんな風でござりんすか」
ミヨはハルの手を引き、とある低木の花の前に立った。それは桃色で、花冠が三層連なり丸く、数えきれないほどの黄色い雄しべが生えている。
「これね、山茶花 っていう花よ。桃色の花言葉は、永遠の愛」
「あ、あい?!」
ハルは途端、顔を真っ赤っかにして俯いてしまう。
「愛というのはね、なにも男女の交際や結婚のことばかりでなくってよ。相手を大切に想う気持ちや、離れたくない、優しくしたいっていうのも愛なの。まだあなたには早かったかしらね」
「大切……トモはあちきの大切な人です。ずっと一緒にいたいって……思います」
「そういう気持ちを、花を贈ることで伝えるのが花言葉というものですよ。私も何本か切り花を買うから、桃色の山茶花も買いましょう」
「あ、ありがとうごぜぇやす! 大切にしやす!」
「大切にするのは贈られたトモの方でしょ。まったくもう」
ミヨは困り顔で、少し笑った。
「もし、奥さん。随分と花に興味がおありのようで」
「いえ私は、それほどでも。この子が花で色を着ける、変てこな絵の描き方をするんです」
「ほぉそれはそれは、面白いことをなさる。では変てこなお子さんには、変てこな事を教えてあげましょう。しばし待たれよ」
店主は、腰を曲げたままひょこひょこと奥に引っ込んで行き、古びた紙を持って戻って来た。
「この地図に、丸で囲まれた場所。そこは低い山にあって開けた地で、不思議な場所です」
「不思議な場所、とは?」
「寒い時季であっても、夏の花が咲くのです。商売になるほど数はありませんが、楽しむ程度であれば十分だと思いますよ」
「それは、確かに面白そうですね。でもどうして私たちに?」
「さぁ……。その子の花のような笑顔に心を動かされた、ということにしておきましょうか」
そう言って店主は、にこりと笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「変なお方でござんした……」
ハルは、切り花の束を抱えて、ミヨの後ろを歩く。
「そうねぇ。どうもハルが私の子供だと思っていたようね」
「えっ……と、それは、困ったことでありんす。奥様の子供はトモだけなのに」
「……ハル、あのね、私は……」
「奥様ァ!!」
ウメが大声を上げながら、息を切らし走って来た。
「どうなさったの、ウメ」
「ぜぇ……ぜぇ。で、電報です! こちらに……げほっ」
ミヨは、ウメが握りしめて皺くちゃになった電報紙を広げる。
『サブロイキマス』
「三郎さんが、来る? でもどうして電報なのかしらね」
「はぁ、はぁ……。急ぐ用事じゃあないでしょうか」
ミヨは、ハルの顔を見た。どうにも事態を飲み込めていない表情をしている。
「ハル、早く戻りましょう」
「は、はいっ!」
三人は、早足で水野家へ向かう。
はらりはらり、雪が舞い始めていた。
寒風吹きすさぶ季節、川辺の雑草の中で埋もれているハルに、舞踊稽古帰りのミヨが声を掛けた。
「あっ、奥様。お帰りなさいませ」
「挨拶が上手くなったじゃないの。でもそうでなくってよ。あなたは、そこで何をしているの?」
ハルは、泥だらけで皺くちゃの着物をぱん、ぱんと手で払いながら、川岸の傾斜地を上がる。両腕いっぱいに小さな
「色が足りなくて、採りに来たんでござりんす。でも
「あら、今は工房で鰻の絵を描いているのでは? 絵具はあるのでしょう」
「これはトモ……お嬢様にあげる花の絵を描くためで。綺麗な色の花が見つからなくって変てこな色ばかりになってしまうんであり……ごじゃります」
「花の絵ねぇ。どんなお花の絵を描くの?」
「どんな? ……憶えてる花を……なんとなく……」
「それじゃあ良くないわね。あなた花言葉を知っていて?」
「花言葉でありゃんすか。聞いたことがあるような気がするでありまんす」
「あなたは花言葉の前に、話し言葉をなんとかしないとね」
ミヨはふっと微笑み、街の方に目をやる。
「雑草はそこに置いて、ついて来なさい」
ミヨはハルを引き連れて、近くの花屋を訪ねた。広い土間にたくさんの切り花や鉢植えの花が並べられている。白、赤、黄、橙色に桃色、青色と、綺麗に咲き誇る花々にハルは驚き、笑顔を見せた。
「こんな寒いのに、立派に花を咲かせるもんなので、すね」
「この大きい花は、何かしらね。初めて見るわ」
「それは、カガリビバナですよ、奥さん」
腰の曲がった初老ほどの店主がふたりに声を掛けた。左目が悪いのか閉じたまま、右目だけを開けて優しく微笑み、花を撫でる。
「最近、欧州から入るようになった品種です。高価だが冬でも綺麗な花を咲かせるので、これから広まっていくと思いますよ」
「花言葉は?」
「さぁ……まだ入りたての花ですからね。これから付けられていくのではないでしょうか」
「そう、こんな鮮やかな色なら、素敵な花言葉が付くのでしょうね」
ハルは、店内をきょろきょろと見廻して、ミヨに尋ねる。
「トモみたいな花はあるんでしょか?」
「トモみたい? あなたが花の絵を描いてトモにあげるのでしょう。あなたがトモのことをどう想っているか、それが花言葉ですよ」
「あちきが、トモを……。むむ」
そこでハルは腕組みして目を瞑り考え込んでしまう。トモが自分にとってどんな存在なのか。改めて表現しようとすればこれほど難しいことはない。そう思った。
「なにも、難しく考える必要なんかないよ。端から見てれば一目瞭然なのだから」
「……どんな風でござりんすか」
ミヨはハルの手を引き、とある低木の花の前に立った。それは桃色で、花冠が三層連なり丸く、数えきれないほどの黄色い雄しべが生えている。
「これね、
「あ、あい?!」
ハルは途端、顔を真っ赤っかにして俯いてしまう。
「愛というのはね、なにも男女の交際や結婚のことばかりでなくってよ。相手を大切に想う気持ちや、離れたくない、優しくしたいっていうのも愛なの。まだあなたには早かったかしらね」
「大切……トモはあちきの大切な人です。ずっと一緒にいたいって……思います」
「そういう気持ちを、花を贈ることで伝えるのが花言葉というものですよ。私も何本か切り花を買うから、桃色の山茶花も買いましょう」
「あ、ありがとうごぜぇやす! 大切にしやす!」
「大切にするのは贈られたトモの方でしょ。まったくもう」
ミヨは困り顔で、少し笑った。
「もし、奥さん。随分と花に興味がおありのようで」
「いえ私は、それほどでも。この子が花で色を着ける、変てこな絵の描き方をするんです」
「ほぉそれはそれは、面白いことをなさる。では変てこなお子さんには、変てこな事を教えてあげましょう。しばし待たれよ」
店主は、腰を曲げたままひょこひょこと奥に引っ込んで行き、古びた紙を持って戻って来た。
「この地図に、丸で囲まれた場所。そこは低い山にあって開けた地で、不思議な場所です」
「不思議な場所、とは?」
「寒い時季であっても、夏の花が咲くのです。商売になるほど数はありませんが、楽しむ程度であれば十分だと思いますよ」
「それは、確かに面白そうですね。でもどうして私たちに?」
「さぁ……。その子の花のような笑顔に心を動かされた、ということにしておきましょうか」
そう言って店主は、にこりと笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「変なお方でござんした……」
ハルは、切り花の束を抱えて、ミヨの後ろを歩く。
「そうねぇ。どうもハルが私の子供だと思っていたようね」
「えっ……と、それは、困ったことでありんす。奥様の子供はトモだけなのに」
「……ハル、あのね、私は……」
「奥様ァ!!」
ウメが大声を上げながら、息を切らし走って来た。
「どうなさったの、ウメ」
「ぜぇ……ぜぇ。で、電報です! こちらに……げほっ」
ミヨは、ウメが握りしめて皺くちゃになった電報紙を広げる。
『サブロイキマス』
「三郎さんが、来る? でもどうして電報なのかしらね」
「はぁ、はぁ……。急ぐ用事じゃあないでしょうか」
ミヨは、ハルの顔を見た。どうにも事態を飲み込めていない表情をしている。
「ハル、早く戻りましょう」
「は、はいっ!」
三人は、早足で水野家へ向かう。
はらりはらり、雪が舞い始めていた。