誰?(5/10)

文字数 901文字

鏡に映る見覚えのないオジサンは誰なのだ
初めて気になり、無性に気になる
僕は誰なのか?
誰が僕なのか?
トーストにバターを塗りながら考える
向かいに座る妻は僕が僕であることを疑っていない
というよりも
そもそも関心がない様子で欠伸を繰り返す
妻は妻である
妻が妻なのだから、夫である僕は僕なのだ
本当にそうなのか?
妻が妻である確証が持てなくなる
僕らが夫婦であるとは限らない
夫婦でないからこんなにも無関心でいられるのではないだろうか?
今朝のトーストは焦げていないから
妻は妻でないのかもしれない
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
立ち上がらずに右手を軽く振るので
妻は妻であるような気がする
駅前でチラシを配るおじいさんが親切そうな佇まいをしている
「僕は僕なのでしょうか?」
「とんちかい? 年寄なら物知りだと思われると困る」
チラシを配りながらも相手をしてくれるのでとても良い人だ
良い人を困らせるのは本意ではない
頭を下げて交番へ向かう
「すみません、僕は僕なのでしょうか?」
「免許証は持っていますか?」
財布から免許証を抜き出して、警官に渡す
二度、三度と念入りに写真と実物を見比べる
「お名前は?」
「吉山司です」
「あなたは吉山司さんで間違いありません」
「言い切れますか?」
「言い切れます」
僕は吉山司で間違いないようだ
でも、吉山司は誰なのか?
通りすがりの大学生に聞いてみることにする
「僕は僕なのでしょうか?」
「オジサン、誰?」
「僕は僕なのでしょうか?」
「知らねぇな、そんなこと」
立ち去る若者の背中を見送る
僕が僕であろうとなかろうと
そんなことはどうでもいいことなのだ
誰もそんなことには興味がない
鏡に映ったオジサンは誰なのか?
たぶん僕なのだろう
おそらく吉山司なのだろう
きっと、みんな疑わしいと思って生きているのだ
誰もが確証を持てないまま過ごしているのだ
僕は寄り添ってほしいのではなくて
突き放して欲しかったのだと思う
「知らねぇな、そんなこと」
知らねぇな、に救われ
そんなこと、で揺さぶられた
駅トイレの鏡に映る見覚えのあるオジサンは
僕なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない
でも、そんなことは知ったことではない
早くしないと電車に乗り遅れてしまう
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