第47話 最後の牡鹿

文字数 2,348文字

 朝食時に、残雪(ざんせつ)が家令の姉弟と湖に白鳥を見に行ったと聞いて、私も行きたいとサマーが言い出し、ケイティとコリン、駒鳥(こまどり)が出かけて行った。
では、我々は少しのんびりできるかな、と茶化しながら、アダムが残雪(ざんせつ)にワインの試飲をしようと言い出した。
「全く。ファーギーは浮かれてる事だろう」
アダムは言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに言った。
蜂鳥(はちどり)が試し飲みとして開けたワインをアダムと残雪(ざんせつ)に差し出した。
ぶどうというのは果実の中でも発酵が早く、いわゆる新酒(ヌーヴォ)を数ヶ月で試す事が出来る。
「穀物から醸造するお酒ではこうは行きませんものね」
残雪(ざんせつ)は前日の晩餐でも飲んではいたが、改めて口に含んだ。
まだ青く若い。ざらりと舌に残り刺激する酸味と香り。
しかし、時間をかけて熟成させれば、これが独特の風味になるであろう期待が持てた。
「・・・・粗削りだけれど、野性味があって。ここの環境そのまま凝縮したみたいな仕上がり」
「先輩に及第点頂けてよかった」
アダムが笑った。
「・・・・今のこの国そのままのようだろう?」
そう言って、優しく微笑んだ。
ああ、終わりが近づいて来ているのか。
残雪(ざんせつ)は小さく頷いた。
昨年から、かつて小国として存在していた地方や、その外側の小国群の動きが活発になって来ていた。
あちこちで小さな反乱、蜂起が起きてはその度に、軍未満の平定隊が争乱を納めに出かけていた。
コリンもその度に出動していた。
今回は久々の休暇として、残雪(ざんせつ)と共にこの私邸に招かれたのだ。
「・・・・雪、少し聞きたいことがある」
改めて言われて、残雪(ざんせつ)が静かに頷いた。
ケイティが不在の時の今だ。
きっと、彼女には知られたくないのだろうとは思っていた。
「・・・近隣の国の小競り合いが頻繁に起きているのは当然耳にしているだろう。地方都市ではまた大規模な動乱が起きて、ようやっと先月平定された。コリンには苦労をかけたよ」
恋人同士になったと聞き、喜んだもののすぐに離れる事になった二人には申し訳なく思っていた。
「・・・アダム。お大変な心労と思います。・・・・ケイティも少しお痩せになった」
そうだな、とアダムが痛みを感じるような表情で頷いた。
「雪、君は後どのくらいだと思う?」
残雪(ざんせつ)は、ちょっと考えて悲し気に口を開いた。
「・・・・私の感覚だと、春まで保たないのではないかと思うの・・・。でも、この子達は、もっとシビアだと思う。蜂鳥(はちどり)、貴女、どう思う?」
「・・・申し上げます。クリスマスはなんとか迎えられると思います。でも、年を越せるかは疑問です」
あと二月(ふたつき)もない。
アダムは少し顔色を変えたが、そうか、と短く呟いた。
「改めて。私共はそのまま宮廷に伝えるだけです。その先の判断は我々は出来ません。けれど、伝える事は出来ます」
遠回しに、亡命を希望してはどうかという提案だ。
「・・・・ありがとう、蜂鳥(ハミングバード)のお嬢さん。・・・雪、頼まれてくれないだろうか。妻と娘をなるだけ安全な場所に移したい」
残雪(ざんせつ)が頷いた。
「・・・・身勝手で困難な事を言っているのは承知の上で頼みたい。・・・フィンは・・・最悪の場合は、その生死は問わない」
絞り出すような声であった。
残雪(ざんせつ)が首を振った。
「いいえ。私が無事ならば、フィンだって無事よ」
「閣下。私共の兄弟姉妹弟子(きょうだいでし)が、御子息をお守りしておりますので」
「分かっているよ。でも、この先の状況次第では、あの子の立場では持て余され憎まれる事もあるだろう。それを押して助ける事で、君たちや、我が国の負債になってはいけない」
これは母親であるケイティには聞かせられないはずだ。
かつての自分の状況と重なり、残雪(ざんせつ)は息苦しくなり、ため息をついた。
「・・・それから。我々はひとつの思想を掲げて立ち上がった世代に賛同した知識階級だ。つまり、君の女皇帝陛下や父君を殺したメンバーの生き残りとも言える。なのに、君とコリンがこうなってから言うのは卑怯だと思う。だが、どうか、ファーギーを見捨てないでやって欲しい。あいつはね、まだ小さい頃に父と兄を殺されて。母親と姉は亡命したものの行方知れず。混乱した時代だったから、未だに彼女達の追跡が出来ないんだけれど、おそらく・・・」
おそらく、生きてはいまい。
「コリンの父と兄は、我々の精神的な支柱だった。ファーガソン家の男は、皆、牡鹿(おじか)のようだと言われていた。牡鹿(おじか)は昔から神が人間に遣わした使いだと言われているだろう?精悍で優しく賢く。特に、私達夫婦はコリンの父には感謝しきりでね。フィンの父は優秀な医師で、彼の助けがあって我々はサマーとフィンを授かったんだ。彼の弟子達も何人かは投獄され処刑されたし、残りは今も散り散りでね。・・・そう、我々はコリンの父も兄も見殺しにした。恩人なのに。・・・あの末息子はどうか殺さないでやって欲しい。あいつは最後のファーギーだ」
そう言って、アダムは決然と顔を上げた。
残雪(ざんせつ)もまた覚悟を決めてその視線を受けてから微笑んだ。
「・・・確かにまことに身勝手で、卑怯ですね。でもあなたは鈍感ではいらっしゃない。その上で分かってお話しになるのですものね。・・・閣下、奥方様とご令嬢の御身はお約束します。コリンの事も彼が望むならば手放さない。けれどどうか、フィンの事も諦めないで。私、必ずあの子をママの元に返して見せます。・・・私が初めてこちらに来て、あなたとケイティに会った時、奥様は私に、娘がいるんでしょ、私必ずあなたを無事におうちに返すからねと言ってくれたんだもの」
あの時、元首夫人(ファーストレディ)は耳元でそう囁いたのだ。
高貴なる人質を返すなんて、下手すれば平和条約を反故にすると思われかねない発言だ。
アダムは驚いて目を丸くした。
「勇ましい奥様をお持ちで旦那様は幸せね」
「ええ。家令にスカウトしたいくらいですわ」
残雪(ざんせつ)蜂鳥(はちどり)がそう言ったのに、アダムもまた微笑んだ。
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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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