第37話 口当たりの良い甘い毒
文字数 3,619文字
グラスに注ぐと、貴腐ワイン独特の蜂蜜色に甘い芳香。
一口に含んで、蕩けるように甘く、香りだけ残して消えていく味わいに感嘆の思い。
「・・・・やってくれたな・・・」
勿論これは称賛であるけれども。
元首の妻が所有するワイン畑で醸造された初の貴腐ワイン。
その実は
フィンの元にも母親からワインを煮詰めてアルコールを飛ばしたシロップで漬けられた果物の瓶詰めが山のように届いており、彼はどれほど心付けられた事だろう。
デスクの上の残雪からの報告書と日報を眺めながら
蜂蜜色のワインは国際的な高い評価を得て、随分売れたそうだ。
自らの手でそれまでの文化産業を半分以上破壊してしまい、まだたいした産業も無い、常に国庫が空っぽに近いA国は随分潤った事だろう。
これは間違いなく
今やフィンは異国から来た小貴公子として宮廷で受け入れられていた。
逞しさで言ったら
《希望の星の味、ご賞味されたし》とメッセージカードが付いていた。
ワインは希望の星という名をつけられたらしい。
しかし、確かに希望の星とは、まさに波乱を越え未来を掴みたいA国に一番必要なものだろう。
しばらくすると
高貴なる人質の随伴としてA国に赴いた娘と息子から話は聞いている事だろう。
「ああ、
「あら!話題の希望の星ね!」
グラスを渡すと
「なんていい香り。・・・
「・・・まあ、大丈夫だろ。参道あたりまで降りてこりゃ」
「神官が参道で酒飲んでたら外聞が悪いわよ。・・・それはそれとして。
ドアに女性の姿があった。
「よろしいかしら?」
柔らかな薔薇色のドレス姿で、可愛らしい小犬を抱いて、花束のように畳んだ傘を持っている。
最近の宮廷の貴族の間で流行りの犬種らしい。
雨でも無いし日差しも強くは無いが、小ぶりの華やかな傘を室内で持つのも流行らしい。
内廷の
信じがたいが、この兄弟弟子は初婚のほぼ新婚だ。
「・・・ああ、陛下のお招きかい?」
「ええ。陛下に園遊会のお話をお聞きしたの」
そう言うと、ソファに座る。
「来月でございますね。準備も進んでおりますから、お楽しみくださいますように」
「・・・マダム、ごきげんいかがかな。・・・家令の部屋なんかに来てはいけないよ」
妻を名前ではなく敬称で呼ぶのは貴族の習慣だ。
「貴方のお部屋だわ。お帰りにならないし、なかなかお会い出来ないから来てみたの」
結婚と同時に用意した邸宅には、しばらくを訪れて居ない気がする。
「ああ、すまなかったね。明日にでも行ってみるよ」
「行ってみるではなく、貴方のお帰りになる場所でしょう?・・・皆が言うように陛下のせいなの?」
女皇帝は妊娠7ヶ月に入ってから、友人と小旅行に出かけた先で、夕食後に突然に早産で分娩を果たしたが、その子は朝を迎えられ無かった。
家令の
それ以降、女皇帝は情緒不安定になる事が多くなり、以前にも増して
総家令の
「・・・陛下より、あの傷物の
一年以上経つがその兆候は見られない。
「そんな事あるわけがない」
優しい言葉に、
「では、なぜ?陛下でも無いなら」
夫とのこの距離はなんだ。壁はなんだ。
自分に至らないものというのは何なのだろう。
「妻として、女性として、君が満たない物なんか何もないよ」
「じゃあ、貴方、なぜ・・・」
余計分からないと顔を上げ、視線を合わせて、一瞬押し黙った。
答えを得たのか、彼女は顔色を変えて立ち上がりそのまま部屋を出て行った。
君が満たない物なんてない。
ただ、君じゃ自分は満たされ無い。
そう言う事。
ドアの外で見送りの礼を済ませた
「・・・呆れたことね。アンタ、そのうち刺されるわよ」
「貴族なんか、家令なんかこんなもんだろう?自分だって、さっさと
痛い所をつかれて、
「2本、いえ、5本程頂いておくから。それから、雪様にお礼状書くついでに告げ口しておくわ」
関係が決定的になったのは、
弟弟子の
無類の馬好き、馬気違いとして有名な貴族の邸宅の一角。
あれ程の気難しい馬の引き取り先はここであろうとは思ったが、彼でもやはり手を焼いたようだ。
自慢の厩舎のあちこちが壊れ、乱れ、壁には血の染みが付いている。
彼は、妻同様、女皇帝の取り巻きの一人。
個人的にそれほど交流は無いが、同じ階級に属している訳で当然知らぬわけでは無い。
「全く困ったものだ。早く引き取ってくれ」
蹴り飛ばされ、更にあちこち
「
「繁殖の時期でなくて良かった。彼女はすでに
「なんだそれは!?化け物か!?」
「しかし、私は何も知らされていなくてね。手離すつもりは無かったのだけど」
そう言うと、
「・・・卿、私も知らなかった事であったとは言え、どうかこの事は陛下には内密にして欲しい。ご夫人の立場もまずかろう」
女皇帝が、貴族家令の
妻とは言え、彼の財産を無断で処分しようとした等、まずかろうと言う事。
「いや、二人も負傷させているのに、殺さないでくれて、感謝ばかりだ。怪我人はこちらで治療させて頂けないだろうか。典医の
「宮廷の御典医をと言われれば、ありがたい話だ。・・・実は、母の容体が思わしく無い。一度、診て頂くことは可能だろうか」
彼は、母親が病を得て長く無いとは言われているが、全ての治療も拒否してただ伏せっている様子がどうにも辛いのだと言った。
「・・・そうだったのか、それは勿論。あの
「・・・大変苦労をかけたな。今度は人間の雄を二人殺し損ねたって?お前、やっぱり馬じゃ無いんじゃないか?とても草食ってる生き物とは思えない。本当は虎とか、山猫なんじゃないか?」
冷暖房完備、新開発のサスペンションで揺れも大幅軽減。大好きなリンゴもパイナップルもセロリも角砂糖も山のように用意され、VIP待遇。
黒毛の牝馬は、馬運車を覗き込み、まあ、それならば顔を立ててやらんでもない、と諾々とした様子で歩き出した。
その数日後、