第52話 相対的な暗闇

文字数 2,479文字

 橄欖(かんらん)が今度こそはと望んだ子が流産となった。
大事を取って外出もせず、公務も控えていた矢先の出来事であった。
子の父親である入宮したばかりの四妃を廃せと主張する彼女に元老院の貴族達が手を焼き、それで、早朝にもかかわらず、十一(じゅういち)は想い人とベッドから引き離されたわけだ。
十一(じゅういち)が駆けつけて慰めると、女皇帝は落ち着きを取り戻したが、憔悴(しょうすい)しきっていた。
橄欖(かんらん)は鮮やかな花々の柄が織り込まれた寝具の乱れるベッドに突っ伏してすすり泣いていた。
十一(じゅういち)!またダメだったわ。・・・・何のために四妃を入宮させたのか・・・。役に立たない継室は不要だわ。早く追い出して・・・」
今頃、四妃にも知らされ、彼も不安になっている頃だろう。
前回、同じようにして三妃が廃された例もある。
海燕(うみつばめ)蓮角(れんかく)を呼んでいいかと訊ねた。
橄欖(かんらん)は、一度目の診察中に女官も典医達も追い出していた。
「・・・蓮角(れんかく)がお気に召さないようでしたら、他の典医でも構いません。陛下、とにかくお手当されませんと」
海燕(うみつばめ)がそう言うと、橄欖(かんらん)はまた力無く泣き出した。
「・・・・廃太子には、子供が三人いるんですって。・・・卑しい身分の女に三人産ませたと聞いたわ・・・」
蛍石(ほたるいし)と三妃との間の廃太子。
彼は貴族の女と結婚して、元老院の末席が与えられていた。
「・・・陛下、透輝(とうき)様の奥方は、那智(なち)男爵の二の姫でらっしゃいますよ」
「男爵よ?・・・本来ならば、元老院になんて数えられないわ。・・・廃されたとは言え、太子だからでしょう・・・。私が使い物にならなくなったら、すげ替えるためよ・・・」
宮廷の人間達が、しばらく前から噂にしている話題だ。
一向に出産に至らない女皇帝を疑問視する声は、いかに海燕(うみつばめ)が遠ざけようが、橄欖(かんらん)の耳に入ってしまう。
海燕(うみつばめ)が悲しそうに女皇帝を垣間見た。
だいぶ追い詰められているのが分かり、心が痛む。
そして今回の悲しい事件は、また口さがない宮廷の人々にとったら格好の餌食。
「・・・お父様がまた悲しまれるわ・・・」
今は離宮で暮らす皇太后を思って、橄欖(かんらん)はまた涙を流した。
十一(じゅういち)橄欖(かんらん)の肩をそっと抱いた。
「・・・陛下。まずはどうぞお心安らかに。何より陛下の御身が第一と存じます。・・・他のことは後で考えましょう。・・・蓮角(れんかく)に診察をお許しくださいますか?」
十一(じゅういち)が、柔らかな寝具を胸にかけて寝かせると、橄欖(かんらん)はやっと頷き、その華奢な手を差し出した。
十一(じゅういち)はその手を取り、また優しく毛布をかけてやった。
日が窓に差し込み、橄欖(かんらん)が眩しそうに目をすがめたのに気づいた海燕(うみつばめ)が静かにカーテンを半分だけ引いた。
丁度、十一(じゅういち)の影になる自分を、今日ほど悲しく情けなく思ったことは無かった。

 典医の蓮角(れんかく)が何とか診察を終えて、総家令の海燕(うみつばめ)に報告をしていた。
「・・・お体はね、時間をかけて戻っていくでしょう。勿論無理はできないけれど。・・・お気持ちがだいぶ混乱してらっしゃるから、宮廷にいらっしゃるよりはご静養にお出かけになった方がいいかもしれないわよ」
海燕(うみつばめ)は悲し気に首を振った。
「・・・・貴族のご友人達をお連れになるのでしたら休まらない」
彼女は、常に貴族の友人達と行動を共にしているから。
「それがね、この度はしばらくご友人を遠ざけたいらしいそうよ。・・・元老院の貴族方の一部の、橄欖(かんらん)様を退けて、皇帝に蛍石(ほたるいし)様の廃太子の透輝(とうき)様をって話ね。あれがやっぱりね」
廃太子という経過はあるが、太子や皇女が臣下に降るのは珍しい事でもない為、そう抵抗もなく受け入れられていた。
更には、彼にはすでに男子が一人と女子の子供が二人いる。
「・・・蓮角(れんかく)姉上まで何を言うんですか」
咎めるように海燕(うみつばめ)が小声で言った。
「・・・お前、これが牽制で済めばいいけれど。・・・橄欖(かんらん)様のご状況はだいぶ悪いという事よ。皇帝の義務は、早目に後継者を確保する事、前線を守る事、神殿や聖堂に置いて滞りなく神事祭礼を行う事よ。・・・・橄欖(かんらん)様は、現状としてどれも満たしてないのだから」
それは、と海燕(うみつばめ)が言葉を呑んだ。
後継者は望めず、A国の動乱、事実上の崩壊により前線の状況は混乱を極めて小競り合いも多い。
前線を任されている八角鷲(はちくま)も先が見えないと言って寄越していた。
更には、特に重要視されている神事祭礼に関しても、現在は家令の尾白鷲(おじろわし)が出向しているが、女皇帝が十一(じゅういち)を手放したがらないおかげで、潔斎にも入れず、神殿(オリュンポス)での長期の神事にも携われない状況なのだ。
五位鷺(ごいさぎ)が私財で蛍石(ほたるいし)に贈与した見事な大聖堂は、多くの人々の心を掴んだが、それによって更に力を得た聖堂(ヴァルハラ)の聖職者達の発言権も増していた。
元老院達とも繋がりが深く、廃太子を擁立せんと動いているのは彼等だとも言われていた。
彼女に対する無責任な評価は、女皇帝の耳に入ってくるだろう。
蓮角(れんかく)は、このまま宮城にいては橄欖(かんらん)の体調は良くならないわよ、と念を押した。
「・・・離宮には十一(じゅういち)を伴いたいというご意向。早目に用意させて。・・・今は遠方に滞在するのは嫌がるでしょうけど」
高貴なる人質として召し出されていた残雪(ざんせつ)がA国の動乱に巻き込まれて帰国して半年になろうとしていた。
A国政権、国体が崩壊した事により平和条約の存在意義も無くなりお役御免となり帰国、で済めば良いのだが、立場上知りすぎてしまっている。
「・・・雪様が高貴なる人質として出向された事で、陛下も元老院もお赦しになるのではと言う話でしたが。難しくなりましたね」
海燕(うみつばめ)は離宮で過ごした経験は無いが、それでも彼女や五位鷺(ごいさぎ)との時間は大切な思い出だ。
彼女がいかに宮廷に巻き込まれた人生であるか、その過酷とも言える日々を思い、どうしても心が痛む。
“オランジュリーの薔薇”の身元お預かりとして、十一(じゅういち)が東目張家をと自薦した時は、ほっとしたものだ。
橄欖(かんらん)は多少不快を示したが、どうせ数ヶ月の命と、それほど拘らなかった。
つまり、元から残雪の刑は決まっていたのだ。
だが、あの兄弟子がいる事で、何とか彼女を助けられるのでは無いかと思う。
橄欖(かんらん)帝も、残雪(ざんせつ)も。
救われて欲しいと思う。
しかし、蓮角は首を振った。
「・・・そうね。・・・でも、違う。・・・そうしたのは十一(じゅういち)なのよ」
蓮角(れんかく)が小さくため息をついた。
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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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