第22話 千里を走る
文字数 2,852文字
ほんの手前すら見えない。
別にそれでいい。
どうせ、この暗闇だもの。何も見えないのと一緒。
残雪は一人、夜の雪原を騎乗で進んでいた。
全身の血液ごと体を燃やすようにして走る馬の肌すら凍る程の寒さ。
どうか、走りきる事ができるようにと願った。
そうでなければ、自分は
長距離を走る、頑丈で寒さに耐える強い馬を。
多少の
その条件で用意された馬は格別に馬体の大きな黒毛の
友人が繋げてくれた馬主は、これは競走馬にはならなかったのだと言った。
「何せ気性が悪い。一度子供を産んで落ち着くかと思ったけど、ますます荒れる。奥さん、信じられるかい?
レディにひどい言い様よね、と残雪は笑った。
夜になり、天候もますます荒れる中、出発したのだ。
獣が唸るような風雪の音に馬は何度も怯えた。
その都度、
「怖いよね。私も。・・・でも、怖いだけ。大丈夫、大丈夫」
怖いのは、理由にならない。
残雪は美しい馬体を撫でた。
誰にも見つかるわけにはいかない。
止まるわけにいかない。
見咎められないように空白地帯の前線を抜けて、国境を越えなければならない。
早朝、前線基地の門扉に馬影が近づいた。
兵士が止まれと駆け寄ったが、巨体は難なく人の頭も門扉も飛び越えてしまった。
しばらく旋回するかのように同じ場所で走った後、騎乗の人影が時間をかけて馬を止めさせた。
兵士が緊張し慌てて銃を構えた。
「朝早くにごめんなさいね!」
場にそぐわない呑気な言葉、そしてそれが女だと分かり、兵士は更に驚いた。
「
彼女は決然とそう言った。
再会は二年ぶりだろうか。
お互いに受けた傷はまだ浅からぬ状況だけれど、それでも時間はある程度の落ち着きを与えていた。
防寒具、数カ国分のかなりの額の現金の札束、
驚いたのはライフルが一丁。しかもいわゆるダムダム弾だ。
「・・・銀行強盗でもしたのかね」
「まさか。違う。・・・もし、怪我をしたりしたら、間違いなく馬を死なせてあげられるように」
残雪はそう言うと、美しい七宝飾りの装飾のケースに入った
体が温まり、呼吸が楽になる。
外ではあまりの寒さに飲むそばから冷めてしまった。
物足りないと言う顔に気付いた
頭がおかしくなりそうだ。
「今現在、貴女は我が国の領内に入れないはずだ。I国にいるはずでは?どうやって来たんだ?
「大丈夫。
お尋ね者が、国境破りか。
「どちらの警備隊にでも見つかったら、銃殺だ」
いかに危険かを
「自然保護地区条約があるでしょ」
「あんな場所・・・。あそこを来たのか?」
険しく、天候が厳しく、湿地や岩地が続く荒野。
だからこそ豊かな動植物が生息していると学者達が立ち上げた団体が国際条約を結び、非戦闘地区となっている。
彼女は、C国境からここまで単騎で夜間に120kmの距離をやって来た事になる。
「国境破りだもの。自家用飛行機も無理、自動車では目立つしどうせあちこちで止められる。越境するなら、徒歩か自転車か馬がいいと思って。徒歩は無理だし、私、自転車乗れないの」
「バカな事を。なんのつもりだ。どのみち
母親はギルド長から、父はギルド議員長を降ろされ、
更に、その海外にいる母子は帰国が許されていない。
「実家に戻りたくて来たわけではないの。
準王族の身分である彼には特別許可があり
「・・・
「随行員で
「何の為に。・・・もう
彼等の遺体を引き取って来たのは
あまりにも酷い状態の亡骸に、長い軍隊経験の彼も言葉を失った。
通例通り女皇帝は霊廟に納められ、総家令は
泣き出しそうなのを堪えている目をして。
「・・・知ってます。別にお墓に行きたいわけじゃない。ならば私の愛しい人達が死んだ場所に行きたいの。・・・でないと」
一度だけ苦しそうに呼吸をしてから顔を上げた。
「でないと。私も、愛しい人のところに行けると言う夢に食われそうになる」
私も後を追うでもなく、死にたいではなく。
この女は、夫と恋人が殺されたと聞いた時も取り乱す事なく、彼等の子供達を連れて国を出たそうだ。知らせを受けて3時間もかからずに。
数日たっていれば、恐らく新皇帝一派から命が脅かされていただろう。
皇帝の命令とは言え、地球の裏側まで行き
月の
今や皇太后となった
周りに居た家令達ですら、気丈な方、頼もしいと言うより、少々薄ら寒いものを感じた程に。
しかし、別に特別気丈な訳でもなく、冷静な訳でもなく、ただ
それでも堪えられない叫びを聞いてしまえば、もはや自分もまた動かされるものがあった。
しかし、同意は出来なかった。
あまりにも危険な賭けだ。
今更もう、傷付かなくともいい。
「・・・・部屋を用意させるので出ないように。ここは前線の基地。君の居場所ではない」
残雪は不当に叱られた子供のように膨れて、ぷいと顔を背けた。