8. 2019年3月30日(土)⑤

文字数 2,337文字

 二人のテーブルに、もう一人来客があった。
「丸多さんと北原さんですか」低いが若々しい声がし、二人はそちらに顔を向けた。

 座席の横に、上下青のジャージを着た色黒の少年が立っていた。切ったままの短髪で、茶色い頬に上気したように赤味が差している。

「お待ちしてました。お座りください」丸多はそう言って腰をずらし、新客の座る場所を作った。
 北原の不思議そうな顔を見て、丸多が説明した。
「彼はさっきのコンビニで働いている高校生です。十日前私に、『モンブランさんが来た』という目撃情報をくれました。さっきコンビニを出た後に、会えないかメッセージを送ったんです」
 北原は聞く途中で、合点(がってん)がいったように「ああ」と声を出した。

「ありがとうございます。こんな遅い時間にわざわざ」丸多が顔を向けると、男子高校生は「とんでもないです」と、はにかみながら微笑んだ。

 丸多は卓上の呼び出しボタンを押し、ドリンクバーを一人分追加した。「せっかくなんで、あなたの飲み物でもついで来てください」
「いいんですか」高校生はただ意外そうな顔つきでいた。
「当然です。こちらから呼んだんですから」

 男子高校生がコーラをついで戻って来た。丸多はここでも、学校は休みか、といったありふれた話題から入った。高校生は部活帰りにここに寄った、と答えた。切りのいいところで丸多は話を堅くした。

「それで、何度も同じ話をして恐縮ですが、事件当日、あなたが勤めているコンビニにモンブランさんが来た、と伺いました」
「はい、来てました」
「一人でしたか」
「はい、一人でした」

 高校生は、話の間常に丸多の目を真っ直ぐ見た。汚れない誠実さを前に丸多は、自分にもこんな時期があっただろうか、と心の中で思った。また、懐かしさと可笑しさによって口元を少し緩めた。

「東京スプレッドの」丸多は続けた。「他のメンバーはいませんでしたか」
「いませんでした」
「モンブランさんは車で来ていましたか」

 やはり、先ほどの女子店員同様、この問いの後、少年も目を逸らして考えた。
「車で来てた、と思います」高校生は、あからさまに迷いを浮かべていた。

「そこに他のメンバーが誰か乗っていたか、覚えてますか」
「いや、そこまでは覚えてないです。すいません」
「いえ、全然結構ですよ」

 丸多が次の質問を探そうとすると、高校生から言い出した。
「役に立つ情報かは、わからないですけど」
「ええ、何でもおっしゃってください」
「事件のあった日、ちょうどこの店の駐車場でニックさんを見たような気がします」
「あなたがニックさんを見たんですか」丸多は顔を上げ、少年の顔を見据えた。北原も「君はモンブランを見た後に、ニックも見たの?」と訊いた。

「いえ、違うんです」彼は両手を胸の前で振った。
「モンブランさんは後日、警察と一緒に見たんですよね」と丸多。
「そうです。事件のあった日バイトは入ってなかったんで、コンビニには行ってないんです。その日学校から帰る途中、自転車でこの店の前の道を通ったんです。確か夕方だったと思います。そのとき、駐車場に停めてあった車に、ニックさんが乗っていたように思えるんです。ちょっと視界に入っただけだったんで、断言は出来ないんですけど」

 丸多が間髪入れず尋ねる。「車のどの位置に座ってましたか、そのニックさんと思われる人物は」
「運転席です。何でそんなこと覚えているかって言うと」
 高校生はここで息を整えた。丸多はそれを見て、「自由に喋ってもらって構いません。今私たちはとても大事な話を聞いてるんで、()かしたりなんかしません」

「すいません」高校生は照れ笑いしてから、後を続けた。「それで、何で覚えているかって言うと、ニックさん、本当はニックさんじゃないかもしれませんけど、彼に似た大柄な男性が運転席で奇妙な動きをしていたんです」

 丸多らは息を飲んで次の言葉を待った。
「普通だったら、車の中に人が乗っていても気にしませんよね。だけど、僕が『あれ、ニックさんかな』って思って車の中を見ていたら、運転席のその大柄な人と目が合って、そしたらその後、後部座席に声をかけるような仕草をしたんです。当然それを見て、僕も後部座席の方を見ました。だけど、そこに人影は見えませんでした」
「なるほど」丸多が言った。
「自転車で通りがかるときに見た一瞬の出来事でした」高校生はここで言葉を切った。

 丸多は三人分の会計を支払い、外に出た。高い街灯に照らされた駐車場で、北原と男子高校生が待っていた。
「ごちそうさまでした」二人は丸多に頭を下げた。
「全然、気にしないでください」

 丸多は少年との別れ際、「ニックを乗せていたらしい車」の位置を教えてもらうなどした。話していると、背後で聞き覚えのある黄色い声がした。

「カズヤじゃん、中学校以来じゃない?」
 先ほどの女子店員と、その友人たちであった。彼女らと男子高校生は旧知の仲らしく、夜の駐車場で雑談を繰り広げた。

 丸多が北原を連れ車に戻ろうとすると、女子高生の一人に声をかけられた。
「すいません、一緒に写真撮ってください」
 丸多はスマートフォンを一台手渡された。その言葉は北原一人に向けられたものだった。よく照明の届く場所で北原を取り囲み、彼らはピースサインなど楽しげなポーズをとった。丸多がその光景を一枚写真に収めると、集団の中から「もう一枚、お願いします」と声があがった。丸多は言う通りにしてようやく、ボランティアカメラマンとしての役割を終えることに成功した。

「いやあ、参りましたね」北原は助手席に滑り込んだ。
「若さというのは素晴らしいものです」丸多は無表情で言った。「人との結びつきの強弱を覆うベールとしては、十分厚いですから。まあ、今はそんなことはいいです」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み