2. 2019年3月2日(土)⑧

文字数 2,288文字

「すいません、いきなり」北原はネルシャツの袖で目頭を二三度拭いた。
「いえ、全然。お察しします」

 丸多が言った後、妙な間が空いた。
 このように相手の心が敏感になったときにかける適切な言葉を探したが、つらいですよね、などの陳腐(ちんぷ)なものしか思いつかなかった。
 実際に、目の前の男は否応なしに友人の死に直面したんだ、と丸多の頭に、この会合において本来主題となるはずの事柄が浮かんだ。

「シルバさんを信頼されていたんですね」と、丸多が被害者を(いた)むような口ぶりで話し出したとき、北原はそれを遮り「ええ、もう大丈夫です」と気丈な様子で言った。
 それは無理に取り(つくろ)っているふうには見えず、生半可な同情を無言で拒絶しているようでさえあった。丸多は「続けても構いませんか」と念押しするのも野暮に思い、そのまま事件の質問を続けることにした。

「シルバさんが改名したきっかけは、やはり美礼さんの事件だったんでしょうか」
「そうですね」北原はうつむきがちだったが、声はしっかりしていた。「先ほどの話の続きですけど、あいつが動画クリエイターを始めて一年くらい経ったとき、いきなりアパートに美礼を連れて来たんです」
「お二人が付き合い出した頃ですね」
「はい。まだ美礼のチャンネル登録者数が百万人行ってなかったときですけど、それでもその時すでに彼女はその業界では大物になっていましたから、いきなり近くで見たときはびっくりしました」
「ネットによると、二人の()()めはUMORE主催のイベントだったそうですね」 「ええ」
「それは正しいんでしょうか」
「ほぼ合ってます。僕の知る限りで、ですが」

 丸多が先ほど同様タブレットを引き寄せ、「UMORE カンファレンス 2016」で検索をかける。
 当時のイベントを紹介するサイトはまだ残っていて、そこには出演した有名クリエイターらのリストも見られる。開催日は2016年12月6日。オリジナルの歌を披露したり、ゲーム対決などしたりするクリエイターらの写真の中に、あの十八番(おはこ)の踊りで場を(あお)る美礼の写真も確認できる。

「これですよね」丸多はタブレットの画面を北原に向けた。
「そうです。これも懐かしいですね」
「北原さんも、シルバさんと一緒にこのイベントを観に行かれたんですよね。そのときの様子を撮影した動画を観たことがあります」
「ええ、丸多さんなら当然それもご覧になりましたよね。確かにそのとき僕も撮影者として同行しました。入り口のフリースペースだけ撮影が許可されていたんです」

「あのときは一般の客として参加したんですか」「はい。ただシルバもそのとき、チャンネル登録者を十万人くらい抱えていて、有名になりかけてたんです。それで、他にもUMORE所属でない有名クリエイターが何組も一般参加で来場していました。シルバもそういった、当時勢いのあるクリエイターに紛れて、イベント終了後の出演者同士の打ち上げについていったんです」
「そんなことって、簡単に出来るものなんですか」
「いえ、通常では絶対無理でしょうね。今なら下手な芸能人よりよっぽど人気のある動画クリエイターが何人もいますから。簡単に言えばコネですね。当時、無所属ながら数十万人の登録者を獲得していたクリエイターもそこにいたわけです。シルバはやっぱり弁が立ちましたから、そういう連中とも親しかったわけです。
 一方でUMOREも新たな才能を持ったクリエイターを獲得しようとしていました。なので、イベント関係者に注目されていた無所属のクリエイターたちは、自然に、そのイベントが終わった後の打ち上げに呼ばれました。シルバもそれにしたたかにくっついていった、というわけです」

「シルバさんは器用だったんですね」
「あいつは器用でした。見てるこっちが呆れるくらい。シルバが持ち前の器量を生かして美礼にアプローチしたのは、丸多さんにも想像がつくと思います」
「ええ」
「あいつの携帯には常に百人以上の女性の連絡先が入っていましたから。イベントの日も、シルバが打ち上げに参加した目的は、やっぱり美礼だったんでしょう。根っからの体育会気質の奴って、他人との壁なんて簡単に取り去ってしまうんですね。打ち上げを端っこで見ていて、気づいたらシルバは他の取り巻きの男たちの中心になって、美礼の横で精力的に『飲みコール』をしていました」

 その光景を思い浮かべながら丸多は北原の言う通り呆れ、思わずふっと噴き出した。そして、「ついていけませんね」と苦笑したまま言った。
「はい、真似しない方がいいです。下手に真似しても痛い奴になるだけです」

「シルバさんはUMOREに入ろうとしなかったんですか」
 これを聞いて北原は手を揉むような仕草をした。きっとこの質問は、これまで何人もの人からされてきたのだろう。敏感な話題で避けた方がいいだろうか、と丸多は上目遣いで正面の客を眺めた。
 しかし、北原は嫌がる様子を見せず、むしろ上等のワインでも出そうか迷うような、余裕混じりのもったいぶった態度を示していた。北原の口はだいぶ柔らかくなっている。

 丸多がそのまま黙っていると、やがて北原は「そこなんですよね」と言わんばかりに、いかにも意味ありげな口調で語り出した。
「何でしょうね。あのイベントが終わってからの数ヶ月間、シルバの周りでUMOREに入るかどうかといった話は、何度もされたようです。僕は直接聞かなかったですけど、シルバが『俺もそろそろ事務所に入った方がいいかな』とか独り言みたいに言ってたのを覚えてます。そうやってまごついてる間に」
「あの美礼さんの事故が起きた、と」
「そういうことです」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み