2. 2019年3月2日(土)⑦

文字数 3,513文字

「それから五年くらい経ったときですかね。高校で学年が一つ上だったシルバが、僕に声をかけて来たんです」
「たしか、お二人は弓道部に所属してましたね」
「そうです。あいつは弓道部の主将で、僕はただの一人の部員に過ぎませんでした」
「結構仲は良かったんですか」
「良かった、と言えると思います。よくシルバが他の部員も含めて、高校の近くのファミレスへ食事に誘ってくれましたから。
 それで、あいつが卒業した後、お互い会うことはほとんどなくなったんですが、僕が家で引き込もっていたある時、向こうからメールが来たんです。用件は、動画投稿を始めるから撮影を担当してくれないか、ということでした」
「突然、撮影を担当するよう依頼が来たんですか」
「いえ、突然と言っても、あれです。最初は『最近何してる?』みたいな些細(ささい)な内容が主でした。そこから何度かメールのラリーを繰り返すうち、僕も近況を詳しく報告して、そうすると向こうが『それなら報酬を払うから、アルバイト感覚で動画撮影をしないか』と持ちかけて来たんです」
「なるほど」

 事件に直接関係ないとはいえ、ネット上では決して獲得できなかった新たな情報を与えられることで、丸多の頭は自然と熱を帯びた。
 〈シルバ〉と北原に親交があった頃を想像しながら、丸多は思いついた質問を口にした。

「シルバさんはその約五年の間、何をしてたんですか」
「シルバは、えっと」北原は少し考えたあと答えた。「職を転々としていたみたいです。あいつは勉強ができるタイプではなかったんで、大学進学は最初から考えてなかったはずです。地元の板金工場とか自動車整備工場とか色々回ったけど、結局どれも長続きしなかった、って言ってたのを覚えています。それで就職を諦めた後はしばらく、実家でごろごろしてたんだそうです」

 丸多は「どっちも元ニートなんですね」と言いかけたがやめた。もう少し北原と親しければ、その文言も相手を傷つけない軽口として成立したかもしれない、などと考えるうち、次の彼の一言で随分驚かされることとなった。

「実家に居た頃、あいつは生放送配信に夢中になってましたね」
「えっ」
 思いがけずその事実が耳に入り込んで来て、丸多は北原の顔を直視した。
「生放送って、インターネット生配信ですか」
「はい」
「シルバさんは動画クリエイターを始める前から、そういった配信活動をしていたんですか」
「はい。その頃あいつは『GING(ぎん)』っていうハンドルネームを使ってました。それほど大手の配信者ではなかったですから、丸多さんが知らなくても無理はないです」

 〈GING〉。〈シルバ〉の前のハンドルネーム、全く知らなかった。
 丸多は、ネット上で手に入る〈シルバ〉関連の事柄はほぼ把握していると密かに自負していたが、今やそれは崩壊しつつあった。知らないことはまだある。

「詳しく聞かせてください」丸多のこの言葉は懇願に近かった。一方、そう言われた北原は、おかしそうに少しく笑った。
「そんなに大層なものじゃないですよ。と言っても、僕もGING時代のあいつの配信をしっかり観たことはないです。今でも『GING』で検索したら、いくつか動画が出てくるんじゃないですかね。確か、他の配信者に『喧嘩(とつ)』ばっかりしてたと思います」
「喧嘩凸って何ですか」丸多の知らない言葉が立て続けに出てくる。また、北原の緊張は徐々に解けているようで、顔には愉快そうな表情まで(にじ)み出ていた。

「喧嘩凸っていうのは、他の生放送配信者とネット通話でつないで、それで口喧嘩を仕掛けることです。喧嘩って言っても、無内容なものがほとんどです。何かしら言いがかりをつけて、(ののし)り合いをするんです。そうしたら閲覧数が増えるんですよ。目的はそれです。
 もちろん口論で相手を打ち負かしたり、日常の不満をぶちまけたりする目的もありますけど、多くは派手な言い合いを披露して閲覧数を稼ぐのが狙いです。そうやって、うまく行けば『大手』配信者になって、有名になれるんです。喧嘩凸配信で有名になって、その後動画クリエイターに転向する人も中にはいます」

 丸多は今すぐ「GING」で検索したい衝動を何とか抑えた。もし〈GING〉時代の〈シルバ〉の動画を見つけでもしたら、没頭してしまい、客を放っておいたまま閉店時間を迎えてしまうに違いない。
「初めて聞きました」と丸多。「家に帰ったら検索してみます」
「ぜひ観てみてください。ネットに残ってるかはわかりませんけど」

「すると、シルバさんは」丸多が話の支流を本流に戻す。「動画クリエイターを始めたとき、シルバと名を改めたわけですか」
「いいえ」
「違う?」もはや主導権が北原に移りかけていた。
「ええ、確かあいつがシルバと名乗り始めたのは、あの事故の後じゃなかったですかね」
「あの事故というと……あ」
 丸多の頭の中で、電話帳のように分厚い〈シルバ〉関連の資料をめくるイメージが湧く。
「わかりました。美礼さんが亡くなったときですね」
「そうです。さすが丸多さん。よくわかりますね」

 丸多の脳の回転が徐々に加速していった。手に入れた情報を順次更新しようと努めたが、まさに異物としての矛盾が見つかり、すぐに北原に確認した。

「北原さん、私はネットにアップされたシルバさんの動画は一通り観ました。だけどその中で、シルバさんの口から『GING』という言葉が出たことはなかったように思えます。美礼さんが『階段から落ちた』と言ったのが、ええと」
 丸多が言いながら、先ほどずっと眺めていたタブレットを取り出した。そして、機械のような恐るべきスピードで人差し指を動かし、ネットから然るべき情報をすくい上げた。
「2017年の5月ですね。美礼さんは、怪我をした姿を動画で公開した一ヶ月後、どうしたことか亡くなってしまいました。それで、シルバさんが動画投稿を初めて行ったのは」
 続けて〈シルバ〉のチャンネルに移動する。「2016年の1月です。これは最も古い動画の投稿時期ですが、北原さんの今の話からすると、シルバさんは2016年の1月から翌年6月あたりまで、動画投稿者としても『GING』というハンドルネームを使っていた、ということになります。それはどういう」

「ええ」北原は落ち着き払った声で答えた。「その頃のことはよく覚えています。懐かしいですね。結論から言うと、初期の動画を後で編集し直したんです。その作業は僕が直接行っていました」
「そんなことできるんですか」
「簡単です。切り取りたい部分を削除することならすぐにできます。動画をよく観てみるとわかりますが、初期の動画では、シルバは冒頭で名乗らずすぐに企画に移ります。『シルバ』っていうテロップが、あいつの姿に重なって数秒映るだけなんですよ」

 丸多は言われて、その最も古い〈シルバ〉の動画を再生してみた。すると北原の言う通り、室内で自撮りしながら口を動かす〈シルバ〉とともに、いかにも後から付けたような「シルバ」の文字が数秒間映し出された。
「こんな細かいところまでは気づきませんでした」丸多の口調は反省の弁を述べるときのそれであった。

「すると北原さん、こういうことですね。美礼さん死去以後の動画の冒頭では、シルバさんは『シルバです』と名乗ります。そして、それ以前の動画では『GINGです』と名乗っていた。
 しかし、思うところがあって、その部分を北原さんに削除させ、代わりにこのテロップを挿入させた」
「その通りです。僕がシルバの動画制作に関わり始めたのは確か春頃、2016年の4月あたりだったと思います。当初は順調に進んでいたんです。シルバが部屋で、蛍光塗料塗った乳首にブラックライト当てて踊ったり、そんなくだらないことやりながらもチャンネル登録者数は徐々に伸びていきました。
 あれですね、あいつは元々素質があったんだと思います。企画が馬鹿々々しくても、それに魅力を加えるような喋りのセンスとエネルギーがありました」
「企画は、GINGさん、シルバさんどっちでもいいですけど、彼が考えてたんですか」
「そうですね。発案者はどの動画の場合でもシルバです。近くであいつを見ながら、よくオリジナルの企画をほぼ毎日一人で考え出せるな、って感心してました」
「ちなみに場所はどの辺だったんですか」
「最初は台東区の安アパートの一室でした。ああ、何か、思い出すとちょっと涙ぐんでしまいますね」
「あ、いいですよ」と丸多は鞄からポケットティッシュを出し、北原の前に置いた。しかし北原は、やはり涙を見せまいとする単純な男のプライドを感じたのか「いえ、大丈夫です」と言って、ティッシュの入ったビニール袋を片手で退けた。
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