4. 2019年3月16日(土)①
文字数 2,608文字
一度行ったことがあるとはいえ、正確な道程 はほとんど頭に残っていない。丸多は途中何度も車を路肩に止め、カーナビの画面を見直した。
「こっちで合ってますよね」丸多が言うものの、助手席に座る北原は愛想笑いを返すだけで、結局それは独り言にしかならない。
タッチパネルを搭載した最新鋭まがいのカーナビも、殺人が起きた現場へ案内するために設計されたわけではないらしく、明らかに崖である箇所をも通行可能な道として表示している。
「前は結構簡単に行けたんですか」北原が遠慮がちに訊く。
「そうですね。前来たときは事件発生直後だったんで、割と他の車の往来もあったんです。それにパトカーも停まってましたから現場の位置はすぐわかりました。でも今はもう閑散としてダメですね。どこも同じような景色で、まるで区別がつかない」
年中人がいないのには理由がある。そこらには楠 やバオバブなど、力強さを分けてもらえるようなどっしりとした巨木は一本もない。
栄養を奪い合い痩せ細った木々が、骨にまで染み込んでくるような湿気を従えつつ、周囲の陰気臭さに永久的な持続を与えている。少なくとも、大学の卒業記念に若い男女が胸を膨らませながら来るような場所ではない。
マップのスクリーンショットだけを頼りに車を走らせていると、右手に斜面防護用のコンクリートブロックが出現した。
「あ」丸多は見覚えのある構造物を目にし、そう声に出した。
「わかりましたか」「わかりました。この道をまっすぐです。思い出してきました。途中、脇にそれる道が何本かあって、それらを通り過ぎればもう目の前です」
蘇り出した記憶を元にそのままアクセルを踏み続けると、ブロック塀の代わりに雑草だらけの横道がいくつか現れる。その中に特徴的な轍 のついた小道が現れ、丸多はその前で車を停めた。
二人は車を降り、小道の入り口で立ち止まった。車窓から眺めることで二人が既に気づいていたことだが、未だにそこには厳重な規制線が張られていた。
「もう解かれていると思ってました」丸多は退屈そうに言った。
「跨 いで行ったらダメですかね」
「不法侵入になるんで、さすがにそれはまずいですね」
そこでは横に張られた数本もの金属棒によって通行止めが敷かれ、そしてその手前に「立ち入り禁止 山梨県警」と大きく記された立て看板が置かれている。
「東京スプレッドが言ってた」北原がつぶやく。「『立ち入り禁止の札』ってこれじゃないですよね」「絶対違います。去年の8月に私が来たときも、ここは今と同じ状態でした。この規制線は、単に警察が事件後に張ったものです」
必然的に二人はそこに立ったまま、通行止めの向こうに目をこらした。しかし、車一台分の幅のその道は、城の本丸かまたは風俗街にでも通じるかのように曲がりくねっていて、そこから目的の家屋跡を拝観することはできない。
二人の視線をはばむ樹木の向こうには青々とした稜線 がそびえ、さらにその上には筆でひいたような幾筋もの雲がたなびいている。
「前来たときも」丸多は、やはり面白くない様子でいる。「こうやって向こう側を眺めましたけど、まあ無理です。数ヶ月後に来たからといって、道が真っ直ぐになってるなんてことはないでしょうから」
「この向こうに家屋の跡があって、そのさらに向こうに『自殺者の霊が出る』林があるんですね」
北原にそう言われて丸多は車に引き返した。そして例のタブレットを携え、再び彼に歩み寄った。
「これが、ここ周辺の航空写真のスクリーンショットなんですが」
丸多が持つ機械の板を北原も覗き込む。
「家屋の位置は」丸多が説明を続ける。「一目で分かります。群生する樹木の中にぽっかりと空いた土地があって、そこに一軒茶色い家が建っているのがわかります」
「燃える前の画像ですね」
「はい。そして、カーブを描きながら車道へ小道が伸びているのも、よく見ると確認できます」
「今、僕らが目の前にしている小道ですね」
「はい。ですが、家屋から車道の逆方向に」
丸多はつい早口になるのを何とか抑えた。「何か道が伸びているかというと、何とも言えません」
北原はさらに画面に顔を近づけ、丸多が示す箇所を見つめた。北原が顔を上げてから、再び丸多が口を開く。
「樹木が重なっていて見えないだけかもしれません。ただ、はっきり道だと断定できる箇所はこの画像だと確認できません」
「あいつらが言ってた『立ち入り禁止の札』の向こうは、木が生い茂っていて」
「おい」怒鳴り声がし、二人は反射的にその方向へ顔を向けた。
見ると、向かい側のガードレール脇に年老いた男が立っていた。禿げ上がった頭の側面には、短く刈った白髪がわずかに残っている。油の染みのついたスラックス、くたびれた白のスニーカー、着古して穴の開きかけたフリースジャケット、これら三点には、これまでの人生で蓄積した労苦が染み出したかのようであった。
癇癪 を起した男は、不快感を隠さずわめき続けた。
「くだらない動画でも撮るために、こんなところまで来たんだろう」
「いえ」
丸多に反論の余地を与えず、男はなおも怒声をあげる。「最近やけに騒々しい。ここ数年でお前らのような輩が増えてきたんだ。山奥まで来て騒ぐのがそんなに楽しいか」
二人は呆気 にとられ、返す言葉を失った。
「用がないんなら、とっとと出ていけ。ここはお前らの遊び場じゃない」
そこまで言葉と不満を吐き出した男は踵 を返し、丸多らが来た方とは逆へ歩き出した。丸多は咄嗟に、その背中に声をかけた。
「あの、付近住人の方ですか」
男は少しだけ振り返り「当たり前だろ」と吐き捨てるように言った。そしてまた向き直り、「騒ぎが静まったと思ったらあれだ。全く嫌になる」と、文句を言いながら道の奥へ消えて行った。
「きっと」丸多は肩でもすくめたい心地でいた。「我々が心霊スポットの動画でも撮ろうとしている、と勘違いしたんでしょう」
「まさに目の前にありますからね」
車に戻ると、北原が心配そうに尋ねた。「これからどうするんですか」
「そうですね、今の男の人が行った方へ行ってみましょう。ネットのマップで調べたんですが、ここから200メートルほど北に小規模な集落があるんです」
「そんなとこに行って、また怒られませんか」
「公道を車で走るくらい問題ないでしょう。あれです、文句をつけられたとしても、六本木ヒルズに行く途中で道に迷ったとでも言えば、それまでです」
「こっちで合ってますよね」丸多が言うものの、助手席に座る北原は愛想笑いを返すだけで、結局それは独り言にしかならない。
タッチパネルを搭載した最新鋭まがいのカーナビも、殺人が起きた現場へ案内するために設計されたわけではないらしく、明らかに崖である箇所をも通行可能な道として表示している。
「前は結構簡単に行けたんですか」北原が遠慮がちに訊く。
「そうですね。前来たときは事件発生直後だったんで、割と他の車の往来もあったんです。それにパトカーも停まってましたから現場の位置はすぐわかりました。でも今はもう閑散としてダメですね。どこも同じような景色で、まるで区別がつかない」
年中人がいないのには理由がある。そこらには
栄養を奪い合い痩せ細った木々が、骨にまで染み込んでくるような湿気を従えつつ、周囲の陰気臭さに永久的な持続を与えている。少なくとも、大学の卒業記念に若い男女が胸を膨らませながら来るような場所ではない。
マップのスクリーンショットだけを頼りに車を走らせていると、右手に斜面防護用のコンクリートブロックが出現した。
「あ」丸多は見覚えのある構造物を目にし、そう声に出した。
「わかりましたか」「わかりました。この道をまっすぐです。思い出してきました。途中、脇にそれる道が何本かあって、それらを通り過ぎればもう目の前です」
蘇り出した記憶を元にそのままアクセルを踏み続けると、ブロック塀の代わりに雑草だらけの横道がいくつか現れる。その中に特徴的な
二人は車を降り、小道の入り口で立ち止まった。車窓から眺めることで二人が既に気づいていたことだが、未だにそこには厳重な規制線が張られていた。
「もう解かれていると思ってました」丸多は退屈そうに言った。
「
「不法侵入になるんで、さすがにそれはまずいですね」
そこでは横に張られた数本もの金属棒によって通行止めが敷かれ、そしてその手前に「立ち入り禁止 山梨県警」と大きく記された立て看板が置かれている。
「東京スプレッドが言ってた」北原がつぶやく。「『立ち入り禁止の札』ってこれじゃないですよね」「絶対違います。去年の8月に私が来たときも、ここは今と同じ状態でした。この規制線は、単に警察が事件後に張ったものです」
必然的に二人はそこに立ったまま、通行止めの向こうに目をこらした。しかし、車一台分の幅のその道は、城の本丸かまたは風俗街にでも通じるかのように曲がりくねっていて、そこから目的の家屋跡を拝観することはできない。
二人の視線をはばむ樹木の向こうには青々とした
「前来たときも」丸多は、やはり面白くない様子でいる。「こうやって向こう側を眺めましたけど、まあ無理です。数ヶ月後に来たからといって、道が真っ直ぐになってるなんてことはないでしょうから」
「この向こうに家屋の跡があって、そのさらに向こうに『自殺者の霊が出る』林があるんですね」
北原にそう言われて丸多は車に引き返した。そして例のタブレットを携え、再び彼に歩み寄った。
「これが、ここ周辺の航空写真のスクリーンショットなんですが」
丸多が持つ機械の板を北原も覗き込む。
「家屋の位置は」丸多が説明を続ける。「一目で分かります。群生する樹木の中にぽっかりと空いた土地があって、そこに一軒茶色い家が建っているのがわかります」
「燃える前の画像ですね」
「はい。そして、カーブを描きながら車道へ小道が伸びているのも、よく見ると確認できます」
「今、僕らが目の前にしている小道ですね」
「はい。ですが、家屋から車道の逆方向に」
丸多はつい早口になるのを何とか抑えた。「何か道が伸びているかというと、何とも言えません」
北原はさらに画面に顔を近づけ、丸多が示す箇所を見つめた。北原が顔を上げてから、再び丸多が口を開く。
「樹木が重なっていて見えないだけかもしれません。ただ、はっきり道だと断定できる箇所はこの画像だと確認できません」
「あいつらが言ってた『立ち入り禁止の札』の向こうは、木が生い茂っていて」
「おい」怒鳴り声がし、二人は反射的にその方向へ顔を向けた。
見ると、向かい側のガードレール脇に年老いた男が立っていた。禿げ上がった頭の側面には、短く刈った白髪がわずかに残っている。油の染みのついたスラックス、くたびれた白のスニーカー、着古して穴の開きかけたフリースジャケット、これら三点には、これまでの人生で蓄積した労苦が染み出したかのようであった。
「くだらない動画でも撮るために、こんなところまで来たんだろう」
「いえ」
丸多に反論の余地を与えず、男はなおも怒声をあげる。「最近やけに騒々しい。ここ数年でお前らのような輩が増えてきたんだ。山奥まで来て騒ぐのがそんなに楽しいか」
二人は
「用がないんなら、とっとと出ていけ。ここはお前らの遊び場じゃない」
そこまで言葉と不満を吐き出した男は
「あの、付近住人の方ですか」
男は少しだけ振り返り「当たり前だろ」と吐き捨てるように言った。そしてまた向き直り、「騒ぎが静まったと思ったらあれだ。全く嫌になる」と、文句を言いながら道の奥へ消えて行った。
「きっと」丸多は肩でもすくめたい心地でいた。「我々が心霊スポットの動画でも撮ろうとしている、と勘違いしたんでしょう」
「まさに目の前にありますからね」
車に戻ると、北原が心配そうに尋ねた。「これからどうするんですか」
「そうですね、今の男の人が行った方へ行ってみましょう。ネットのマップで調べたんですが、ここから200メートルほど北に小規模な集落があるんです」
「そんなとこに行って、また怒られませんか」
「公道を車で走るくらい問題ないでしょう。あれです、文句をつけられたとしても、六本木ヒルズに行く途中で道に迷ったとでも言えば、それまでです」