2. 2019年3月2日(土)⑩
文字数 2,880文字
「本当に」すっかり閑散とした店内に、丸多の声が反響した。「本当に感謝します。詳しいことを教えていただいて」
「いえ、丸多さんは変な人じゃない、ともうわかってるんで」
丸多はその後の事件までの繋がりを、持っていた情報と結びつけることで明るく見通すことができた。その完成度は、それまで持っていた貧弱な情報の連なりとは比較にならず、最も手近な人にひけらかさずには居られなかった。
「北原さん、すると、シルバさんがGINGから改名したのがその後ですね」
「そうです」
「いつまでも沈鬱な気分でいるわけにいかず、心機一転再スタートする必要があったわけですね」
「まさにその通りです。活動を自粛して、それを自ら解いた、ええと、確か2017年の8月あたりですかね、あいつはシルバとして再び動画投稿を始めました」
丸多は聞きながらタブレットに触れ、〈シルバ〉のチャンネルのページを開いた。
〈シルバ〉が再始動したときのイメージが薄れないうちに、その頃上げられていた動画を確認したかったのである。目に飛び込んできたのは、屋内で撮影されたある動画のサムネイルだった。
そして。
そこにおまけのように加わった面々を見て、忘れかけていた邪悪な印象が甦 った。
「ありがたいことに」タブレットを睨む丸多をよそに、北原が言い出す。「動画コメント欄には、多くのあたたかいメッセージが届きました。シルバの人気は衰えず、中には『必ず人気者になれる』とか、『そのうちスターになる』とかいうコメントまであって……どうしたんですか、丸多さん」
丸多は硬直した顔を上げ、タブレットに映されたサムネイルの一つを指し示した。
「東京スプレッドが初めてシルバさんの動画に出たのが、ちょうどこの時期ですね」
丸多に言われ、北原もタブレットを覗き込む。表示された動画の投稿日は2017年8月13日、タイトルは「高校の後輩が遊びに来た」。ほんの十秒程度の長さで、ただ部屋の中でくつろぐ〈東京スプレッド〉のメンバーを映すだけの内容だった。
「この部屋って」と丸多。「シルバさんが最初期に居た部屋とは違いますよね」
「ええ、美礼のこともあって、この頃にあいつ気分転換に引っ越したんです。と言っても、部屋のグレードはそれほど変わってません。上野の安アパートです」
「東京スプレッドが初めて姿を現したのは、この動画が撮影された頃ですか」
丸多がそう聞くと、北原は途端に口ごもってしまった。この日、丸多が彼から受けた第一印象が再び戻ってきたのである。この男は〈東京スプレッド〉の話題を得意とはしていないらしい、丸多はそう確信した。
「北原さん」しかし、ここまで情報を引き出した丸多は、客に気兼ねする思いをほとんど持たなくなっていた。「東京スプレッドを初めて見たときの印象など教えていただけませんか。あいつらはどのようにシルバさんに近づいたんでしょう?」
「あいつらは」北原は声帯を使うのを惜しむように話し出した。「いつの間にか、僕たちに近寄っていました」
「いつの間にか?僕たちっていうのは、北原さんとシルバさんですね」
「はい。知らない間に僕たちの間にいた、っていうか」
北原はそこで一旦、言葉を切った。丸多がさらに詳しく訊こうと息を吸うと、それを待たず北原がまた言った。
「僕はちょうど一年前くらいに、今の専門学校に入学したんです」
「ええ」
「その半年ほど前にシルバは、さっきの話の通り動画投稿を再開したわけですけど、その辺りから僕は専門学校進学を考え始めたんです」
丸多は無言で頷きながら、北原の顔を直視した。北原はその視線を避けるようにして続けた。
「美礼のこともありましたし、復帰後も変わらないペースで動画を撮るシルバのサポートに対して疲れを感じてたのかもしれません。それに、動画の編集をしていく中で、映像製作への興味も湧いてきました。なので、試験勉強っていうほどじゃないですけど、専門学校の映像科に入るための準備をそこから少しずつ始めました」
「なるほど」
「その頃ですね、それまで僕が担当してた動画撮影とか編集とかの作業を、東京スプレッドの連中が引き継いだのが」
「徐々に北原さんは、シルバさんの活動から遠ざかっていった、というわけですか」
「そう言っていいと思います。だから、いつあいつらがシルバと懇意 になったかということは、正直よくわからないんです」
「なるほど」丸多は再びそう言った。
「そこから僕は全くシルバたちと関わらなくなった、というわけでもないです。たまに動画撮影を手伝うことはありました。だって、丸多さんに出ていただいた動画なんかは、僕が撮っていたわけですから」
「そうですよね。シルバさんの活動に参加する頻度が減ったということですね」
「はい。あのときを思い出してもらえば、わかっていただけると思いますが、シルバには知り合いが沢山いたんです。特に東京スプレッドみたいな取り巻きは、あいつの周りに常にいましたから」
「僕が出た動画には、東京スプレッドは出てなかったですよね」
「そうですね、あのときは、東京スプレッドは参加してなかったはずですね」
「すみません、失礼ですが」男の声が割って入り、二人は顔を上げた。そこには、笑顔の奥に困惑をしまいこんだ男性店員が立っていた。「営業終了のお時間ですので、そろそろ退出を願いたいのですが」
丸多はタブレットで時刻を確認した。もう十一時を過ぎている。
「すいません」二人はそう言って素直に立ち上がった。男性店員は二人の所作を見届けることなく、忙しそうにして引き下がっていった。
「北原さん」丸多は帰り支度をしながら言った。「東京スプレッドがどこに住んでるかわかりますか」
「はい、一応知ってますけど」
北原は引きつった笑顔を見せたが、あからさまな拒絶を示そうともしなかった。丸多は敢えて訳知り顔をして、力強く言葉を重ねた。
「大丈夫です。あいつらを恐れることはないです。こっちには大義名分があると言っていいはずです。任せてください。きっとうまくやりますから」
「恐れているわけじゃないですが」北原の言葉はもはや丸多の耳には入らなかった。丸多は北原の目を見ながら、強引に何度も頷いてみせた。
新宿の雑踏に北原が消えるのを見送ってから、丸多はしばらくビルの間を意味もなく歩き続けた。今日は本当に思い切ったことをしたものだな。
終わったばかりの奇妙な会合の余韻 が、丸多に余分の精気を与えたのかもしれない。とにかく無性に歩きたくて仕方なかった。
2章 年表
2016年1月 〈シルバ〉〈GING〉として動画投稿開始。
2017年1月 〈シルバ(GING)〉〈美礼〉と交際。
2017年4月 〈美礼〉のオフ会に〈東京スプレッド〉が参加。
2017年5月 〈美礼〉怪我をする。
2017年6月 〈美礼〉死去。
2017年8月 〈シルバ〉正式に〈シルバ〉と名乗る。
2017年8月 〈東京スプレッド〉が〈シルバ〉の動画に登場。
2017年8月 北原 専門学校入学を検討。
2018年8月 〈シルバ〉の死体が見つかる。
「いえ、丸多さんは変な人じゃない、ともうわかってるんで」
丸多はその後の事件までの繋がりを、持っていた情報と結びつけることで明るく見通すことができた。その完成度は、それまで持っていた貧弱な情報の連なりとは比較にならず、最も手近な人にひけらかさずには居られなかった。
「北原さん、すると、シルバさんがGINGから改名したのがその後ですね」
「そうです」
「いつまでも沈鬱な気分でいるわけにいかず、心機一転再スタートする必要があったわけですね」
「まさにその通りです。活動を自粛して、それを自ら解いた、ええと、確か2017年の8月あたりですかね、あいつはシルバとして再び動画投稿を始めました」
丸多は聞きながらタブレットに触れ、〈シルバ〉のチャンネルのページを開いた。
〈シルバ〉が再始動したときのイメージが薄れないうちに、その頃上げられていた動画を確認したかったのである。目に飛び込んできたのは、屋内で撮影されたある動画のサムネイルだった。
そして。
そこにおまけのように加わった面々を見て、忘れかけていた邪悪な印象が
「ありがたいことに」タブレットを睨む丸多をよそに、北原が言い出す。「動画コメント欄には、多くのあたたかいメッセージが届きました。シルバの人気は衰えず、中には『必ず人気者になれる』とか、『そのうちスターになる』とかいうコメントまであって……どうしたんですか、丸多さん」
丸多は硬直した顔を上げ、タブレットに映されたサムネイルの一つを指し示した。
「東京スプレッドが初めてシルバさんの動画に出たのが、ちょうどこの時期ですね」
丸多に言われ、北原もタブレットを覗き込む。表示された動画の投稿日は2017年8月13日、タイトルは「高校の後輩が遊びに来た」。ほんの十秒程度の長さで、ただ部屋の中でくつろぐ〈東京スプレッド〉のメンバーを映すだけの内容だった。
「この部屋って」と丸多。「シルバさんが最初期に居た部屋とは違いますよね」
「ええ、美礼のこともあって、この頃にあいつ気分転換に引っ越したんです。と言っても、部屋のグレードはそれほど変わってません。上野の安アパートです」
「東京スプレッドが初めて姿を現したのは、この動画が撮影された頃ですか」
丸多がそう聞くと、北原は途端に口ごもってしまった。この日、丸多が彼から受けた第一印象が再び戻ってきたのである。この男は〈東京スプレッド〉の話題を得意とはしていないらしい、丸多はそう確信した。
「北原さん」しかし、ここまで情報を引き出した丸多は、客に気兼ねする思いをほとんど持たなくなっていた。「東京スプレッドを初めて見たときの印象など教えていただけませんか。あいつらはどのようにシルバさんに近づいたんでしょう?」
「あいつらは」北原は声帯を使うのを惜しむように話し出した。「いつの間にか、僕たちに近寄っていました」
「いつの間にか?僕たちっていうのは、北原さんとシルバさんですね」
「はい。知らない間に僕たちの間にいた、っていうか」
北原はそこで一旦、言葉を切った。丸多がさらに詳しく訊こうと息を吸うと、それを待たず北原がまた言った。
「僕はちょうど一年前くらいに、今の専門学校に入学したんです」
「ええ」
「その半年ほど前にシルバは、さっきの話の通り動画投稿を再開したわけですけど、その辺りから僕は専門学校進学を考え始めたんです」
丸多は無言で頷きながら、北原の顔を直視した。北原はその視線を避けるようにして続けた。
「美礼のこともありましたし、復帰後も変わらないペースで動画を撮るシルバのサポートに対して疲れを感じてたのかもしれません。それに、動画の編集をしていく中で、映像製作への興味も湧いてきました。なので、試験勉強っていうほどじゃないですけど、専門学校の映像科に入るための準備をそこから少しずつ始めました」
「なるほど」
「その頃ですね、それまで僕が担当してた動画撮影とか編集とかの作業を、東京スプレッドの連中が引き継いだのが」
「徐々に北原さんは、シルバさんの活動から遠ざかっていった、というわけですか」
「そう言っていいと思います。だから、いつあいつらがシルバと
「なるほど」丸多は再びそう言った。
「そこから僕は全くシルバたちと関わらなくなった、というわけでもないです。たまに動画撮影を手伝うことはありました。だって、丸多さんに出ていただいた動画なんかは、僕が撮っていたわけですから」
「そうですよね。シルバさんの活動に参加する頻度が減ったということですね」
「はい。あのときを思い出してもらえば、わかっていただけると思いますが、シルバには知り合いが沢山いたんです。特に東京スプレッドみたいな取り巻きは、あいつの周りに常にいましたから」
「僕が出た動画には、東京スプレッドは出てなかったですよね」
「そうですね、あのときは、東京スプレッドは参加してなかったはずですね」
「すみません、失礼ですが」男の声が割って入り、二人は顔を上げた。そこには、笑顔の奥に困惑をしまいこんだ男性店員が立っていた。「営業終了のお時間ですので、そろそろ退出を願いたいのですが」
丸多はタブレットで時刻を確認した。もう十一時を過ぎている。
「すいません」二人はそう言って素直に立ち上がった。男性店員は二人の所作を見届けることなく、忙しそうにして引き下がっていった。
「北原さん」丸多は帰り支度をしながら言った。「東京スプレッドがどこに住んでるかわかりますか」
「はい、一応知ってますけど」
北原は引きつった笑顔を見せたが、あからさまな拒絶を示そうともしなかった。丸多は敢えて訳知り顔をして、力強く言葉を重ねた。
「大丈夫です。あいつらを恐れることはないです。こっちには大義名分があると言っていいはずです。任せてください。きっとうまくやりますから」
「恐れているわけじゃないですが」北原の言葉はもはや丸多の耳には入らなかった。丸多は北原の目を見ながら、強引に何度も頷いてみせた。
新宿の雑踏に北原が消えるのを見送ってから、丸多はしばらくビルの間を意味もなく歩き続けた。今日は本当に思い切ったことをしたものだな。
終わったばかりの奇妙な会合の
2章 年表
2016年1月 〈シルバ〉〈GING〉として動画投稿開始。
2017年1月 〈シルバ(GING)〉〈美礼〉と交際。
2017年4月 〈美礼〉のオフ会に〈東京スプレッド〉が参加。
2017年5月 〈美礼〉怪我をする。
2017年6月 〈美礼〉死去。
2017年8月 〈シルバ〉正式に〈シルバ〉と名乗る。
2017年8月 〈東京スプレッド〉が〈シルバ〉の動画に登場。
2017年8月 北原 専門学校入学を検討。
2018年8月 〈シルバ〉の死体が見つかる。