文字数 1,386文字

「ほら、どこを見たって橋なんか無いですよ」
彼は辺りを見渡してそう言った。
「だって、伯父がそう言ったのよ。池を三周右回り廻るとどんな厄でも祓われるって」
私はあくまでも本の事は内緒にしていた。

「橋があるって?」
「いや、橋があるとは言っていなかったけれど・・・だって、橋が無ければ池を廻れないじゃないですか?だから橋は有る筈なんです」
「うーん・・・。それって、実は現実の話では無くて、何かの比喩と言うか、何かを象徴
しているとか、そんな事じゃ無いですか?・・・・それとも単に違う神社と間違えているとか・・・・でも、きっと余程強力な厄なんですね。そんな事をしなくちゃ祓えないなんて」
彼はそう言った。

 それはきっと悪気のない言葉だったのだと思うが、私の心に突き刺さった。私はがっくりと肩を落とした。黙って下を見ていじけた。
私のそんな姿を見て彼は済まなそうに言った。
「済みません。あの・・深い意味は無くて。そんなに気にしないでください・・・」

私はそこに座り込んで膝を抱えた。
彼はそんな私を見下ろしていたが、一緒にそこに膝を抱えて座り込んだ。
私は背中を丸めて地面に小石でぐるぐると線を描いた。
彼は黙ってそんな私を見ていたが、リュックからノートを取り出すとそれをびりびりと破って、指でちまちまと何かを切り取り始めた。私は彼の指先を見る。

人の形をした小さな紙。同じものを二つ作る。
「はい」と言ってひとつ私に寄越した。
「ここに菜子さんの名前と年を書いて、それで体を撫でて、息を吹きかけ、災厄や穢れや罪を祓ってくださいと祈ってこの池に流しましょう」
彼はそう言ってボールペンはありますか?と聞いた。
私は彼の顔をじっと見た。
「ここは最強のパワースポットだから、廻らなくても大丈夫ですよ。僕が保証します」
彼はそう言って笑った。

私達は裏に名前を書いた人形(ひとがた)に息を吹きかけ、縦に二つ折りにする。
祈りを込めてそれを池に落とした。

それはひらひらと落ちて水面に浮かんだ。ゆらゆらと揺れて睡蓮の葉の所で止った。
「二枚ぐらいなら神様も大目に見てくれるでしょう。・・・まあ、いつかは水に溶けてなくなりますよ」
彼は言った。


私は何だか不思議な気持ちになった。
私、このヒト、好きだなと思った。変わっているけれど。
優しい人だなと思った。
彼といると心が穏やかになる。
心が上向きになって、今はこんな風だけれど生きていればきっといい事があるって思える感じ。
まだ何も祓ってもらっていないのに、自分の人生がちょっといい方向へ向かっている予感がした。

「冬木さん。提案があるのですが・・」
私は水に浮いたままの人形を眺めながら言った。
「もしも、冬木さんが今、好きな人がいなくて、ちょっとだけ、木曜日の午前中だけ、誰かと一緒にいたいと思うなら、私、立候補します。・・・年上だけれど」

冬木青年は一瞬、鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして私を見た。
数秒間、神妙な顔で私を見詰め、少し首を傾げた。
「それって・・・もしかして、付き合わないかっていう提案ですか?」
彼はそう言った。

「ハイ。そうです。もしも、今、あなたに付き合っている人がいないのなら、如何ですかと言う、お誘いです。あのう・・・勿論、勉強の妨げにならない程度に・・・」

「あ、いいですよ。こんな僕でもいいなら。宜しくお願いします」
彼はまたあっさりとそう言って、頭を下げた。そして照れた様に笑った。


 

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