12

文字数 1,296文字

 ある日、ボスに呼ばれて彼のオフィスに向かった。
 今度製作するドラマの主人公の相手役に決まりそうだという話を聞いた。
私は思わず歓声を上げた。
「すごい。有難う御座います」
彼はそんな私を穏やかな目で眺め、そして「実はもうひとつ大事な話があるんだ」と言った。

「実を言うと、僕は君が気に入っている。だから君と結婚をしたいと思っているんだ。君をとても大切に思っているんだ。・・・君はどうだろうか?」

私は唖然とした。

彼は続けた。
「僕は君の事を良く知っているし、君をここまでサポートし続けて来たのは僕だ。君は僕の伴侶になれば、この先もずっとこの業界で成功を収める事が出来る。僕は男としても人生の指南役としても君を満足させられる人間だと自負している」

彼は私よりも20も年上だった。
妻とは離婚し、今は独り身だった。
確かに見た目はスマートで年よりも若く見える。それに金持ちである。
20も離れた夫婦も、勿論世の中には沢山いるだろう。だが、私は彼をそんな目で見た事は無かった。有り得ないと思った。

 彼は馬鹿みたいに口を開けて突っ立っている私を微笑んで眺めながら「いや、返事はすぐでなくていい。自分の将来を良く考えてみて、それから返事をして欲しい」と言った。
そして「話はそれだけだ」と言った。

私は思わず「私には恋人がいます」と答えた。
彼は私をちらりと見ると、「そんなのは関係が無い。僕は君に自分の将来を考えろと言った。
その男と僕とどちらを選ぶかは君の自由だ。僕は君がまた誤った選択をしない事を祈るよ。
君の未来の為に。言って置くが僕は自分を裏切った者は許さない。・・・まあよく考えるんだな。ほら、早く行きなさい」
そう言うと、彼はデスクの上の書類に目を落とした。

私は黙って一礼をすると部屋を出て行った。
その夜、考えてみたが、どう考えても有り得ないと思った。有り得なさ過ぎる。
「あのオヤジと結婚・・・??」
ないわー!
私は声に出して言った。

で、次の朝一番で彼のオフィスに行って、
「私の事をそう思ってくださるのは大変有難いのですが・・・。申し訳御座いません。私は社長を伴侶という目で見る事は出来ません」と言った。


 彼は強張った顔で「そんなに早く結論を出していいのか?もっとよく考えなさい。君は少しは賢くなったかと思ったが、やはり世間知らずの幼稚な女のままだ。一体誰のおかげで復帰できたのと思っているのだ?」と言った。
それでもうんと言わない私を見て
「君は恩知らずだ。君があくまでもそう言うのなら、ドラマの話はB子に回しても・・」と言った。

 私は「分かりました」と言った。
「今の仕事を終えたら、私は事務所を辞めさせて頂きます。今まで有難う御座いました」
そう言ってお辞儀をした。
ボスはあっけに取られた顔をしていたが、すぐに苦々しく「愚かな女だ。君は今度こそ未来を失ったな」と言った。
 私は心の中で「うるせえ。この勘違い野郎」と毒づきながら、さっさと部屋を出て行った。
そしてその足で池神社に来たのである。


そんな訳で。
音君と会う約束をしていた、その一週間前。
夏越祓の頃。
私はさばさばした様な、虚しいような気持ちを抱えて独りで池神社にいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み