28.雪女の涙
文字数 4,044文字
「先輩。なんで、なんでこんなところにいるんですか?」
「なんでって...探してたんだよ。東根のこと。」
先輩は、よほど必死で探してくれていたのか、感極まっていた。
いつも雰囲気が大人びている先輩をここまで変えてしまったことを、大変申し訳なく思い、返す言葉が見当たらない。
「行方不明でニュースにもなっていたから心配だったんだ。会社でしょっちゅう詰められているのを知ってたから、万が一があったらまずいと。」
「すいません...。でも、なんでここってわかったんですか?」
「大切な人のお父さんから聞いたんだ。会社の後輩が事件に巻き込まれたかもって話題をたまたま上げたら、同い年くらいの男を垓下スキー場の山奥で見たって言われてさ。ちょうど今日この山へいく用事があって有給取ってたから、もしかしたら見つけられるかもと思って。」
「粧子の...お父さん...。」
「そう粧子の...。え、東根がなんでその名を知ってるんだ?それに、そのニット帽...」
先輩は、優しくて男前の目つきを、考え事をしている時のように若干尖らせる。
なんと言えば彼に話を信じてもらえるだろうか。粧子は彼の大切な人。余計な一言は言い出しにくい。
悩んでいる間も、先輩が真剣にこちらの様子を伺ってくる。これはもう、信じてもらえなかろうが嫌われようが、ありのままに全部話すしかなさそうだ。
「先輩。俺は、自殺をする為に会社をバックレ、この雪山までやってきました。当初は、使われなくなった廃コースのゲレンデで、薄着になって寝て死のうとしていました。しかし、そこで雪女に出会ったんです。その雪女は言いました、私は人を救う為にこの山にいる。あなたを絶対に死なせないって。それから幾多の冒険の中で、彼女から生きることの大切さを学び、こうして無事に山を降りてきました。その雪女の名前は粧子。先輩の彼女である蔵前粧子さんでした。」
話を聞いた南陽先輩は、呆然とこちらを見つめている。
「信じられない。粧子が雪女で人助け?意味がわからない。そう思いたいけど、東根が被っているニット帽を見て、嘘だと言い切れなくなった。その帽子は、4年前の冬に彼女が被っていたお気に入りの...。」
南陽先輩の目は鋭い。俺は本当のことを話しているが、雪女がどうかなんて話は、知らない人からしてみたら胡散臭い話でしかない。その上で死別した最悪の恋人が雪女になったなんて話をされたら、気分が良いものではないだろう。
気まずくなって、後ろにいる粧子へ目を向ける。すると案の定、彼女は呆然と魂が抜けた顔でまじまじの先輩を見つめていた。
彼女にとっても、ずっと待ち望んでいた最愛の男性との再会。どうしたら良いのか戸惑うのは当たり前だ。
もちろん、南陽先輩がそれに気づくはずもない。というよりも見えていないのだ。俺は偶然にも粧子を見ることができているが、普通の人は見えないことの方が多いのだから。
「先輩、あの!」
俺は、なんとしても理解してもらいたくて、話し続けようとした。しかし先輩は、会話を遮断しようとしてしまう。
「止めてくれ!それ以上、言うな。」
「でも俺は、彼女の気持ちを先輩にも伝えたい。彼女が成仏できずにいるのは、ずっと先輩が助けに来るのを待っているからなんです!」
粧子に何か言われることも承知だ。でも俺には、彼女が不憫でならなかった。
確かに雪山で楽しく暮らしているけど、成仏できないのは未練があるから。その未練とは、あの廃墟の部屋で見つけた彼女の記憶。
先輩が交わした約束なんだ。
未練とはすなわち納得してないこと。心の奥ではきっと苦しみ続けているはずだ。だからできるのであれば、恩返しの意味も込めて、俺の力で彼女を未練から救い出したい。
俺は、刺し違える思いで先輩と向き合う。そして先輩も憤りを露わにしていた。
「東根!いい加減に...。」
そう言葉を発しようとした先輩だったが、予期せぬタイミングで爆発しかけた怒りが自然と引いていくことが目に見えてわかった。
同じくして粧子の右手が、俺の左手を掴んでいたこともわかる。
すると、先輩が目を泳がせながら、見えないはずの粧子を見つめている。
「粧子...、なんで...。本当に粧子なのか...。」
驚いた。さっきまで気づいていなかった先輩に、粧子が見えるようになったらしい。
これまで何度も雪女の術を見せられてきたが、これもその1つなのだろうか。
俺は、とにかくこの場にいることが気まずかった。
「日那斗...、そうだよ、私だよ。」
「なんで...、粧子はもう...。」
「信じられないだろうけど私、雪女になっちゃったの。」
2人は、お互いまだ信じられないといった感じだ。
でも、信じられなくても、再会できたことには大きな意味があるのかもしれない。
隣に立つ粧子の髪色が、黒髪から茶色へ変わりだす。この変化について、本人に聞いてもわからないと言っていた。
でも俺には1つの仮説があった。
それは、心が限りなく人間に近づいた時、彼女は生前の姿に戻りかける。ただし、限りなく近いところまでしか来れないのだけども。
粧子が切り出すよりも先に、南陽先輩が告げる。
「あの時の約束、守れなくて本当にごめんな...」
粧子は、限りなく近い位置から南陽先輩を見ている。まるで、心の中のシャッターが開き、2人のあるべきはずだった景色に戻ったみたいに。
「ありがとう。覚えていてくれただけでも充分だよ。私は勝手に忘れられたと思ってたから。」
「忘れるわけない。でも、君はもういない。どうしようもできなかった。どちらにせよ、俺は約束を果たせなかった。君を助けることができなかったんだ。」
「もういいって。だって今、ようやく気持ちが知れたから。そして心が晴れ渡ったの。全てが終わっていくみたいに。」
「粧子...。」
彼女の身体から、あの蛍のような光が舞い始める。粧子がこの世の鎖から解放される時が来たのだろう。それも唐突に。
俺は彼女の手を握りながら尋ねた。
「雪山は、みんなはどうするの?」
彼女は、深呼吸をしてから俺の目を見つめる。
「実は、ここにくる前に夢を見た。誰かが私を日那斗の元へ導いてくれる夢。だからさ、日那斗と再会した時が私の最後って考えていたから、覚悟を決めて雪山は五右衛門とお初に託した。何かあったら雪山をお願いって。まさか本当にこうなるなんて思いもしなかったけど。でも、これは私の運命。きっと2人もわかってくれると思う。」
粧子の姿が秒を刻むごとに消えていく。南陽先輩は、彼女へしっかり届くようにこう言葉を伝えた。
「粧子!俺は今でも君を愛してる!」
粧子は、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、チラチラと南陽先輩を見ていた。そして左手で目を擦る。
「私も、いつまでも日那斗のこと大好きだからね。」
そう言い切った粧子は泣いている。涙が出ないはずの雪女が最後の最後で泣いた。いや、粧子は成仏する寸前で人へ戻ったということなのだろうか。詳しくはわからないけど、彼女の涙を見ていたら、俺もつられて泣きたくなる。
「ねえ日那斗。私に遠慮しないで幸せになってね。これだけは言っておきたかった。いつも一途で、真っ直ぐなあなただから。」
南陽先輩は、首を振って答える。
「いや、俺のパートナーは粧子しかいないよ。これまでも、そしてこれからも。」
粧子は恥ずかしそうに涙を拭い、幸せそうに笑いながら彼に思いを伝えた。
「ダメだよ。せっかくのできる男なんだから。素敵な奥さん見つけて。これ、約束ね!」
「俺のこと嫌いになった?」
「違う違う。好きだからこそ幸せになって欲しいの!」
「ちょっと考えたい。」
「ダメ!今ここで誓って!そうしないと安心できないからさ!」
南陽先輩は、彼女の性格をよく知っている。だからこそ、気持ちを汲み取り覚悟を決め、粧子と俺の前で過去のしがらみから解放されることを誓ったのだった。
そして俺は、粧子によって勝手に見届け役に指名されてしまう。吹っ切れた南陽先輩を見るや否や、粧子が今度はこちらを振り向く。
「じゃあね。春太郎。出会えて良かったよ。」
「俺も粧子と出会えたから、こうして前を向くことができた。ありがとう。」
「どういたしまして!」
最後まで元気いっぱいな女だ。なんて思いながら、微笑ましく別れを惜しみ、彼女のパッチリした大きな瞳を見ていた。
そんな俺に対して彼女が問いかける。
「もし、また人間として生まれ変われたら、次はどんな風に出会うと思う?」
南陽先輩が隣にいるから気まずいけど、後で何か言われようとも、自分の気持ちを伝えられずに終わるよりかはマシ。
人生は楽しいものじゃなくて、楽しくするものだ。粧子を見ていたら、ついそんなことを言ってみたくなる。
俺は人生を楽しみたい。楽しむために、素直に生きていきたい。
だからこそ、迷うことなく答えを出した。
「運命で結ばれた恋人同士、だったら良いな。」
粧子はニコッと笑ってから、あっという間に光の粒になって、青空に吸い込まれるように消えてしまった。
彼女が消えたら、なぜか南風が吹き荒れた。
麓とは言え、この時期の豪雪地帯では珍しい南風。
俺も南陽先輩も、彼女がいなくなったことを認めたくなくて、しばらく風になびかれながらその場で突っ立っていた。
そんな俺達を、午前中の新しい光が、暖かく包み込んでいくのだった。
◆
今日は不思議と雲ひとつない晴天だ。雪山にしては珍しく、美しい白と青の世界。まるで彼女がもう一度行きたがっていた、遠く離れた場所にある綺麗な海みたいだ。
晴れ日の太陽は、まるで粧子が俺と先輩の人生を勝利へ導いてくれているように、この白銀の世界を照らし出している。
「先輩、なんか俺、生意気なことしてしまって...。」
すると先輩は、小さく首を横に振る。
それから、晴れ始めた世界のような綺麗な表情を浮かべた。
「あいつ、良い奴だろ?」
「はい。めちゃくちゃ素敵な人でした。」
笑顔が戻ってきた俺と先輩は、眩い日の光に照らされながら、垓下スキーリゾートを後にしたのであった。