27.山を降りる日
文字数 3,259文字
朝から晩まであれだけ疲労を溜め込んだというのに、日付が変わるか変わらないかくらいまで、みんなとわいわい盛り上がった。
そして気がついた時には、山小屋の食堂で1人寝込んでいた。
粧子の術がまだ続いているからか、寒さで凍え死ぬことはなかったが、筋肉痛は抑えられるわけでもない。
重い身体を長椅子から起こすと、昨夜古いカレンダーを使ってみんなで作った紙ヒコーキや鶴なんか、廃れたカウンターの上に並んでいた。
体内時計によると大体午前7時。
天気は晴れ。
眩い朝日が誰もいない部屋を照らしている。
雪の精霊達は、例外がない限り日中は行動しない。例えば大雪で昼でも薄暗い日とか、どうしてもしなくてはならない用事がある時とか。
そんな彼らに面倒をかけまいと、夜のうちに挨拶を済ませておいた。
思い残すことは1つあるけど、その気持ちは墓場まで持っていくことに決めている。
少し寂しさは込み上げてくるが、この場所へ戻ってくることはもうないだろう。
もし戻ってくるとしたら、それは俺が諦めてしまった時だ。
人生の楽しさも辛さも、この山をきっかけに知ることができた。死ぬ日はいつか必ず訪れる。そんなことは知っている。でも自ら命を絶つ行為だけは2度としない。そう決めた以上、もうこの廃墟へは戻らない。
「俺は、もう逃げない。」
1人でぼやいて、光差す出口から廃墟の山小屋を出る。
景色は相変わらず白銀で、美しい雪景色と眩い光が幻想的な朝を作り出していた。
別れを惜しみつつ覚悟を胸に秘め、粧子から教えてもらった帰り道を進み始める。
進めば進むだけ彼女との思い出が心に広がってきた。
それは、最後に一言、気持ちを伝えられなかったことも含めて。
雄大な景色で気を紛らわせ、筋肉痛の足腰で雪を掻き分けながら、リフトが故障したかつてのゲレンデを登り始めようとしていた。
その時、後ろから急に声をかけられる。
「麓まで送るって!!」
「ビックリさせんなよ。」
粧子は、日の光を浴びているというのに、今回はピンピンしている。
「どうせ1人じゃ山降りれないでしょ!送ってくよ!」
「降りれるから。1人でも...。」
「その身体で?」
「あ、うん。」
「へー、じゃあここでお別れかー。」
粧子は寂しそうに、どこまでも続く青い空を見つめていた。そんな彼女の姿を見ていたら、強がり続けることができなかった。
俺は、彼女が山から出れないことを知っているから、その刹那さに負けてしまった。それっぽい理由を自分に言い聞かせて、話を切り出していく。
「下まで送ってよ。やっぱり1人で降りるの寂しいから。」
それを聞くと、粧子が手を叩いて楽しそうに笑ってくる。
「やっぱ!寂しんじゃん!」
うるさい奴だ。でも、このうるさいところが、ある種で俺の心の支えになっている。
俺の左手と彼女の右手が絡み合い、不思議な距離感で繋がれた感覚が、手の重なった部分に生まれた。
そして彼女の存在が原動力となり、なんとか急斜面のゲレンデを登りきる。そこから例の山とは反対の、所々に木が立ち並ぶさっぱりとした森へ進んでいく。
今日は天気が良くて運が良かった。視界良好でどこに何があるかよくわかる。
俺たちが来た道も、遥か先にチラホラ見えるゲレンデも、そこでスキーやスノボーを楽しむ人々の姿も。
◆
順調に進み森を抜け、麓の集落に近い小さな小道に出た。木も伐採されていて、これまで以上に開放的な場所だ。
小道へ出た時、粧子が立ち止まる。
「ここで本当にお別れね。」
別れるのが辛くて、山から連れ出したいくらいだけど、それが無理なことはわかっている。彼女は人ではなく、雪女なのだから。
「そうだな。」
「じゃあ、これで!」
「待って!!」
離れかけた心の距離を、もう一度繋ぎ止めるように、俺は彼女に言葉を投げかける。
「何?」
「俺、やっぱりこれだけは伝えたい。」
「ん、何かな?」
緊張がほと走る。でもやらない後悔よりも、やった後悔を選びたい。それにもう会うことがないのなら、せめて知っておいてほしい気持ちがある。
「俺、これまで一度も彼女いたことなくて、それで散々馬鹿にされて、自殺までしようとして。」
粧子の座った目線が、ブレることなく俺に注がれる。わかっている、俺はこんなことを伝えたいのではない。
「雪山を彷徨ってる時、まさか君が会社の先輩の彼女だったことも知って。衝撃的で...。」
「あ、そういえば日那斗の...」
「これまで人生で負目を感じたり、誰かに遠慮して言えなかった言葉をお前、いや君に送りたいんだ。君は雪女だけど。」
悪い癖で前置きを長くしてしまう。それくらいテンパっていた。けども、テンパるくらい気持ちは本気だった。
粧子がそのパッチリした目でジッと見守る中、これまでの全てを彼女へ投球してみる。
「俺は、君のことが好きだ。」
俺の中で世界が終わってしまったような気がした。まだ人生がリスタートしたばかりだというのにも関わらずだ。
目を合わせ続けているだけでも、真夏の砂浜なんじゃないかってくらい汗が湧き出てくる。
なんて言われるのだろう。
付き合えるわけでもないのに、返ってくる言葉が気になりすぎた。
すると粧子は、口角を上げて優しそうな笑顔を見せた。あまり見せたことがない、いつものふざけた感じでも、カッコ良い感じでもない。優しい、女性らしさ溢れるような、温かくて綺麗な陽だまりのような笑顔だ。
「ありがとう。私なんかを好きになってくれて。」
俺は、手足がワナワナするのを誤魔化しながら、彼女の言葉を聞いていた。
「てか、日那斗の後輩なんだっけ!?」
「ああ、南の島で話したかもだけど...まあいいや。そうなんだよ。だから2人が付き合ってたこと知って衝撃で。」
話をはぐらかされた。そう思ったのは俺の早とちりだったようだ。彼女は落ち着いた口調で尋ねてくる。
「もし私が生きてて、まだ普通に日那斗と付き合ってたとしてだよ。春太郎が今この状況に至ったら、それでも同じことを私に言える?」
難しく考えれば難しい質問だ。ただ、自分の気持ちに素直になれば、ものすごくイージーな問いかけだろう。俺は、温め続けた想いを込めて、揺るがない気持ちを伝えきる。
「例え先輩の彼女でも、気持ちを伝えずに拗らせるより、気持ちを伝えて嫌われたい。そんなふうに生きていきたいよ。」
粧子は、ふぅっと白い溜息をつく。それから自分が被っていたブランドのロゴが入ったベージュのニット帽を俺の頭に被せる。
「あげる!これが私の答え。実はさ、日那斗もそう言う真っ直ぐなところあってね。もちろんイケメンで背も高くてスポーツできて人望あって、そう言うところも好きだったよ。けど、今の春太郎みたいな真っ直ぐなところが1番好きだった。」
俺は、彼女の言葉を良い意味にとらえ、ついしどろもどろしてテンパる。
「え、どういうこと。もしも雪女じゃなかったら付き合ってくれてたって認識で良い?」
粧子は、澄ました顔でこう答える。
「それはないなー。」
「なんだよ。」
彼女は、澄ました顔を少しだけニヤつかせる。
「やっぱりステータスは大事だから!!」
「ちくしょ。じゃあなんで帽子くれたんだよ?」
午前中の新鮮な日差しが、彼女の姿を神々しく照らす。
「今は無いけど、もっと成長した春太郎となら可能性あるかもってこと。それに、私を何度も助けてくれたから、友人の証ってことで。」
俺はつい、ふっ、と鼻で笑って強がった。
振られたけれども、惚れた女性から初めて認められたような気がして、大きな自信という思いもよらない手土産を受け取ることができた気がした。
顔を火照らせながら、もう少しだけこの気持ちに浸っていたかった。
だけども、これ以上長居をしていてはまた雪山へ戻ってしまう気がして、自分から別れを切り出すことにした。
「そろそろ行くね。」
慣れ親しんだように彼女に声をかける。
彼女もコクリと頷くと、別れの言葉を口にしようとする。
しかし、彼女から声が返ってくる前に、別の誰かから声がかかる。
ハッと後ろを振り返ると、そこにはなんと、南陽先輩が立っていたのだった。