11.見せたい景色があるんだ
文字数 5,133文字
でも、まだ死ぬことを諦めたわけではない。生きながらえたところで、楽しいことなんてないに決まっている。それに粧子は、リア充だったからあんな綺麗事が言えるのだ。俺はまだ、そんな風に考えていた。
山小屋へ戻ると、五右衛門が雪の精霊達と一緒に陸軍式雪合戦を行なっていた。俺も雪の精霊に誘われたから、粧子と一緒になって混ざる。
雪合戦の最中、雪で作った陣地に隠れていると、五右衛門が真横に腰を下ろす。彼は、合戦中だというのに、呑気にため息をついて夜空を見上げる。
「お前も粧子に助けられたか?」
「え?あ、はい。」
五右衛門は、合戦相手の精霊達に隙を見せないように小声で笑う。
「ははは、あいつ凄いだろ。俺も粧子に救われた1人だ。」
「元々、刺客だったんですよね?」
「おう。俺は粧子を封印しようと狙っていた。」
彼は、不意をつくように飛んできた雪玉をあっさり交わして、相手チームの雪の精霊に1発食らわした。そして再び身を隠す。
「どうして粧子を狙ってたんですか?」
「それが当たり前だからだ。」
そう言った五右衛門は、防弾の為に積まれた雪の影から顔を出して、右往左往している雪の精霊の背後から2発雪玉をぶつけた。そして俺を連れて次の雪の塊の影へと進む。
彼は様子を見ながら、さっきの話の続きを語った。
「俺たち雪の精霊は、別名雪男と雪女。人間の敵ではないが味方でもない。だが、どちらかと言えば敵だ。だから人間の味方をするようなことはまずよく思われない。また、この山を取り仕切っている雪女が、人を人生という名の生き地獄から救い出すというスローガンを掲げた。だから、背く行いを繰り返す粧子は狙われて当然だと考えられている。」
「この山の常識なんですね。」
「それに雪の精霊達は元々人間だった。だが、理不尽な事故や自殺、事件に巻き込まれてこの山で命を落とした者が殆ど。憎しみを覚え、怨念と執念で魂だけ現世に留まる亡霊と考えるのが正しい。そうなってくると、この山の主達が掲げたスローガンは、彼らのアイデンティティを多いに盛り上げるものとなる。逆を言えば、背いたら敵意を向けられて当然だ。」
五右衛門が話を続けようとした時、勢いよくレーザービームみたいな雪玉が飛んできた。俺がかわし切れそうにないのを見極め、五右衛門はバシッとそれを素手で掴み取り俺を守ってくれた。
「話が終わってないんだ。」
彼はそう言うと、自らの過去を話してくれる。
◆
この軍服からも想像がつくだろう。
元々俺は、大日本帝国陸軍の名誉ある軍人だ。今から100年以上前、日露戦争に備えた訓練の為、この山を訪れていた。
訓練の目的は、寒冷地の長期戦に備えた物資運搬調査。当時の大日本帝国陸軍は、寒冷地での戦いに慣れていなくて、ロシアと戦う前に環境へ慣れておく必要があった。
俺は鹿児島県出身。雪国の事情など詳しくもなく、本で読んだ情報くらいしか頭になかった。だから、特に何か意見することもなく、上官に言われるがままに行軍訓練に従った。
それに豪雪地帯とはいえ行軍距離も短く、内容も物資運搬。目的地が温泉ということもあって、気が緩んでいた。
俺だけではなく仲間たちも同様で、楽な任務だとたかを括っていた。そのせいで、下調べも全て上官に任せ。
それが命取りだった。
上官も含め、全員が雪国に慣れない南国育ち。その上に少佐も大尉も態度がデカく、地元の人の忠告など一才耳を傾けない。
結果、雪山で遭難して多くは凍死。100人いた仲間で生き残ったのは3人だけだったらしい。
みんな、お国の為に戦う前に雪山の餌食となった。
そして俺や他の死んだ兵士達は、気づいた時には恐ろしい雪女と落武者の格好をした灰色の雪男達に取り囲まれていた。
奴らの狡猾で怨念の力のこもる説得で、1人、また1人と彼らの傘下に入る。
奴らは、『生』から人を救うという名目を掲げ、当時から自殺幇助という殺人を繰り返していた。
俺も、雪山で苦しみながら死んだ1人だから、遭難者に対する安楽死という彼らの考えに賛成して行動を共にするようになった。
それから100年、何人もの人を説得しては安楽死に追いやり、自分らの仲間に引き入れた。
途中で粧子と同じように、彼らの活動にいささか疑問を抱くこともあったけど、その時には既に手遅れ。俺の心は、この雪の世界の常識を受け入れ、手の施しようがないくらい薄汚れていた。
しかし、変わり目というものは突然現れるものだ。
それが粧子という存在だ。彼女は、堂々と我々の意向に背き、人を助ける道を突き進んだ。
当時の俺は、100年選手のベテラン雪男として複数の部下を率いており、年配の雪女から頼まれ粧子を追い込む任務に参加をしていた。
年配のお局雪女曰く、粧子のような前例が大昔の江戸時代に一度だけあったらしい。
その際に方針に背いた雪女は、洞穴に封印されて、孤独と永遠の痛みを味合わされ続けているという。
死んでもなお拷問を受け続ける。成仏させられることもなく、雪の精霊として生きることもなく、ただ洞穴で現世のような心の痛みだけを味わいながら永遠に。
俺は、粧子を捕らえようと何度も試みたが、彼女もやり手でなかなか上手くいかない。それだけではなく、我々の仲間を改心させていく姿も目撃した。
初めのうちは、秩序を乱す彼女に激しい憤りを覚えていたが、ある時を境にその思いが打ち砕かれる。
それは、無理心中しようとした陸上自衛隊の隊員を粧子が助けた姿を目の当たりにした時だ。
その際に出た、あの事件の話。
彼女は、どこで教わったのか、俺達が死亡した雪中遭難事件の話を出した。
『多くの軍人が、人を守る為の訓練で人を守ることなく命を落とした。あなたはまだ生きている、守る者がいるはず。その責任を放棄してここで死ぬのは、先人達に失礼だ!』って。
となりで正気を失った顔をしていた自衛官の母子。どうやら彼女らは、ここに来た本来の理由を聞かされていないようだった。
粧子の熱い想いに観念した自衛官は、感情をぶち撒けるように詳細を語る。
彼は、お国の為に働きたいという志を胸に自衛隊を志願したという。だか実際に入って待ち受けていたのは、上官からの酷いいじめだったそうだ。日常的な暴力や卑猥な行為の教養、それから同じ部屋の同性の男達からのセクハラなど。そのストレスから深刻な鬱になり、お国の為に捧げた志を自ら断とうと考えていたらしい。
死にたい、いなくなりたい。そうやって家族の前で泣き言を上げる彼を、粧子は真っ向から否定する。
粧子の悪いところは、デリカシーに欠けるところだ。でも良いところは、濁さない本音を相手の気持ちへ直球できるところ。
自衛官は、怒鳴り声を上げたが、彼の本心を知った母子がそれを諌める。そして数時間語りあってから、彼らは納得して山を降りた。言わずもがな粧子は、本来雪女が降りないような麓までお見送りをしていた。
生きる意味を見出した自衛官の顔。それを今でも忘れることができない。なぜなら生前の俺のような、誰かの為に生きていく力強いエネルギーに満ち溢れていたからだ。
つい感動して泣きたくなったけど、雪男も泣くことができないのだ。俺は、湧き出た感情を心の中で整理しながら悩み、またそれがきっかけでこれまで自分がしてきた自殺幇助という行いを恥じた。
そして強く正義を渇望するようになる。俺も誰かの為に戦いたい。自殺幇助なんかじゃない、今を生きる人を救いたい。
樹氷の森で1人で想い悩んでいると、それを嗅ぎつけたのかのように、今まで散々やりあった粧子が現れた。
どうやらナイターを楽しんでいただけで、この遭遇は偶然だったそうだ。
彼女は警戒していたが、俺が土下座をして謝罪する姿を見て、心を開いてくれたらしい。
もちろん初めは疑われ、容赦なくボロクソ言われたが、話を終える頃には意気投合するまでに至っていた。
そこから俺と粧子は、改心した雪の精霊達と共に薄汚れた雪の精霊達と戦いながら、雪山を舞台に多くの人を助け出すようになったのだ。
◆
雪合戦は、五右衛門と粧子が互角にやりあって、最後の最後でこちらは負けてしまった。
五右衛門は凄く悔しそうにしていたけど、俺的には勝負などどうでも良かった。2人の過去を知ったことで、なぜか少しだけ自分の気持ちと向き合うことができた気がしたから。
そんな五右衛門と粧子の過去を知った日の夜。粧子が俺に言ってきた。
「春太郎に見せたい景色があるんだ」って。
どうやらこの山には、厳冬期立ち入り禁止の絶景スポットがあり、そこへ連れて行ってくれるのだという。
きっと彼女は、俺がまだ自殺を諦めていないことを見透かしているのかもしれない。美しい景色でも見て、生きる活力を取り戻して欲しい。そんなことを考えているのだろう。
俺は、せっかくだし付き合うかと、好奇心に身を投じて彼女の誘いに乗ることを決める。
そして乗り気で返答したのにも関わらず、彼女は絶景へ至るためには条件があるなどと言い出した。
まず1つ、気温がマイナス15度を下回る晴れた朝であること。
2つ、霧が出ていないこと。
3つ、生きたいと強く願うこと。
1、2を満たすことは容易いことではないが、運次第ではなんとかなるし、この山に滞在していればチャンスはある。
問題は3つ目。これは明らかに粧子が故意的に付け加えた条件だろう。
そう思い頭を抱えるそぶりを見せると、彼女がそれを見越したように、条件3について語る。
彼女曰く、生きたいと常に思い続けるくらい生きることにしがみつけなければ、厳しい自然から簡単に命を奪われてしまう。そういう場所だからということらしい。つまりは、少しの油断が命の危険を伴う事故に繋がるってやつだ。
覚悟を決めろ。そう言いたげな彼女を前に、俺は自分に嘘を付く形で生きたいと心に誓う。
そんな安易な気持ちで、チャンスを待つことにしていた。
◆
あれから3〜4日くらい経ったとある夜中。冷めた丼物を食べていた俺の前に、粧子と五右衛門が現れた。今宵、計画を実行する。そう言って、彼女が俺の手を引く。
極寒の雪山登山。粧子と五右衛門、それに雪の精霊十数名が付き添いとはいえ、怖いこと間違いない。
何も知らない人間が遠くから見たら、そこら辺が雪まみれの平坦で、簡単に登りきれそうな雪山。でも近づくにつれて、その本性は露わになる。
柔らかい雪は、滑らない分底なし沼。落っこちて埋もれた時には、怖くて涙が止まらなかった。
また進むと凍りついた岩壁、滑って頭を打ちかけること数回。生きた心地なんてしない。
その後は、足場が定かではない断崖絶壁の狭い道、一つ間違えれば谷底へ落ちる。
こんなところ、人が来れるはずがない。だからこそ未開の絶景が見れるのだと粧子が語る。
粧子と五右衛門は、まるで庭を歩くかの如くひょいひょいと先へ進む。俺も粧子の術で寒さは感じないが、疲労でついていくのが精一杯だ。
やっとの思いで崖を通過すると、誰が作ったのかもわからない謎の洞窟が姿を表す。
どうやらここを通れば、山の反対側へ抜けることができるらしい。
こんなとこ入って天井が崩落でもしたら生きて帰れない。死を望んでいるのに、天邪鬼な心配が頭の中をぐるぐる回る。
洞窟の中は、落ちてきたら一溜りもない氷柱で覆い尽くされていて恐怖そのものだ。薄暗く、粧子の腕を掴んでいなければ迷子になってお陀仏だ。
情けない俺を見かねて、五右衛門が普段は使用しないであろうマッチに火を付ける。
「火は大丈夫なんですか?」
「15分くらいならなんとかなる。」
火の光に照らされた洞窟は神秘的で、目的地に着く前に幻想的絶景を目の当たりにしてしまったみたいだ。
火の灯りを眺めながら慎重に洞窟を抜けると、急に開けた平地が顔を出した。
とはいえここは、標高2千を超える山の上。数十メートル先は断崖絶壁だ。
後ろを振り返ると、山頂への進路を遮るような、雪壁とも呼ぶべき傾斜がキツい急斜面が現れた。
その急斜面の頂上に、わずかながら山頂が見える。このあまりの壮大さに怖気付き、つい足を止めてしまった。
ぐいぐいと突き進む粧子と五右衛門、雪の精霊達も、くるりとこちらを振り返る。そして粧子は、いつも呆れたように手を差し伸べてくれた。
「大丈夫!落っこちても私がついてるから!」
そんなこと言われても、一歩間違えれば確実にあの世行きだ。やはり彼女には容赦というものが存在しない。でも、そのモデル顔負けの美しい笑顔で言われると、つい頷いてしまう俺がいた。
粧子を守れる男になりたい。ナイターで彼女へ誓った言葉に駆り立てられ、死にたかったはずなのに無駄な感情が湧き上がる。