21.家族
文字数 5,989文字
改めて見渡してみれば、ピッケルを駆使して登った崖と別方向は、崖と称ぶに近い山肌が広がっていた。そして麓には、粧子が命を落とした道路のヘアピンカーブが見える。
粧子は、事故現場から目を背けるよう後ろを向く。そして、夕日の光をうっとおしげに浴びつつ俺に言う。
「五右衛門達の所へ向かお!最悪の事態も考えられるから!」
俺は、荒ぶる息を落ち着かせつつ、背後から迫り来るお扇の様子を伺う。そして粧子と共に、例の戦場の方へと駆け出そうとした。
しかし、先に言い出した粧子が突然立ち止まる。俺が振り返ると、彼女はあれほどまでに嫌がっていた事故現場を呆然と見つめるのだ。
何をこんな時にと思い、焦りながら同じく崖の下の道へ目を向ける。
すると視線の先では、1台の乗用車と人影が見えた。そして人影は、ヘアピンカーブの片隅に献花をしているようだ。
目を凝らして見ていると、母親と大学生くらいの息子らしき2人がしゃがみ込み、寂しげに手を合わせていた。
彼らは、黙祷を終えたのち、花の隣にマフラーとニット帽、それに缶ジュースなどを置いている。
「母さん、
2人がお供物を終えてから、今度は車から降りてきた長身の男性が、花束の前で手を合わせている。
「父さん...。」
あの人達は、粧子の家族のようだ。それに思えば今は2月。粧子の命日と被る時期だった。
粧子は周りが見えなくなったように、遠くで献花している家族を見つめていた。俺が声をかけても、頷くばかりで塩対応。
彼女にとって、命と同等に大切にしている家族との再会。雪女として生きていく強き覚悟が、大切な人を前に揺らぎ、『生』を追い求める人間の性が出てきているように見えた。
「おい!早くしないと五右衛門が!それに奴が追ってくる!」
洞窟の入り口をチラッと見ると、激しい暴風雪とともに、呪いビデオのような罵声が迫っていた。足がすくみ、つい自分だけ逃げてしまいたくなる。
だが、粧子を助け出し五右衛門達も助けると決めた以上は、何がなんでも彼女を連れ出さなくてはならない。
とは言うものの、そんな隙を与えないくらい、どんな言葉をかけても動く気配がない。
彼女があのヘアピンカーブの見える場所が嫌いな理由。
死んだ日のことを思い出すことも然りながら、家族と再会することで自分の意志が粉々になってしまうことへの恐れ。
説得に戸惑っていたら、鋭い氷柱が粧子の首元目掛けて飛んでくる。俺は無意識で粧子を突き飛ばし、自らが氷柱の犠牲となった。
「痛い!なんなのほんとに!!」
文句を言った粧子であるが、肩にするどい氷柱が刺さり倒れ込む俺を見て、表情が青ざめていくのがわかる。
「え、しっかりして!!春太郎!!」
彼女は、覚悟を決めて俺に刺さった氷柱を引き抜く。それから、血がドロドロ噴き出す俺の肩に顔を近づけ、ふうっと冷気を一息吐いて止血してくれた。
雪女の吐息は、人を殺す凶器である一方で、使い方によっては人の命を救うこともできる。粧子はそれをよく知っていた。
傷口が凍りつき、俺は一命を取り留める。
意地悪雪女のお扇が、この光景を見て馬鹿にするように笑っている。
「ばっかじゃないの、人間を助けるなんて。気持ち悪っ!!」
お扇もだいぶ冷静に戻ったのか、呪いビデオみたいな声から、多少まともな訛りのある声へ戻っていた。
俺は、改めてお扇の意地悪そうな顔へ恐る恐る目を向ける。
綺麗な長い黒髪、白い肌、そこら辺は粧子と同じだが、これが雪女のフォーマルなのだろう。でも違いといえば、目は切長で
美人よりではあるけど、粧子には到底及ばない顔だ。
この女の悪質さに苛立ちこんな分析をしていたが、奴の冷酷な目と目があった時、俺は怖くて身動きをとれなかった。
一方で粧子は、間を置いてからお扇を睨みつけ、挑発的な口調で容赦なく食いかかる。
「生きている人がそんなに羨ましい?」
お扇の表情が歪む。
「んなわけあるか!!!生きることほどくだらないことはないわ!」
「じゃあなんで雪女としてこの世に残ったの?未練があるからでしょ?『生』に対して。」
「バカか?私はね、人に生きることの愚かさを教える為にこの世に残ったのさ。お前みたいな、想い人を待つだのゲスい理由と違ってねえ。」
「ふーん。凄いね。でも私は、あなたみたいに崇高な使命掲げてまでこの世に残らない。崇高な使命よりも大切だったあの人に、もう一度会いたくてこの世に残った。どうせこの世に残るなら、少しでも誰かの役に立ちたい。ゲスのついでの偽善。ただそれだけ。」
「ははははは!気色悪!やっぱあんたは雪女失格ね。」
「勝手にすれば?雪女の地位とか、私は興味ないし。」
この答えを聞いたお扇は、戦慄な目つきで粧子を見つめた。感情が落ち着いている時と明らかに異なる怨霊の目つきだ。近くにいるだけで背筋が凍り、全身震えが止まらない。
そして奴が突然に奇声を上げた。
「この私を!!!この私をバカにしやがって!!!!!知っているんだぞ!お前の大切な物がなんなのかをなぁ!!!!!全て奪い取ってやるわ!!!!!」
「ちょ、何する気???」
お扇が身体を反転させ体を浮かせながら、勢いよくヘアピンカーブへ向かっていくことがわかった。見え透いているが、粧子の家族を狙う魂胆だ。
粧子も慌てて向かおうとするけど、太陽に当たり続けていたからか、思うように身体が動かないようだ。数時間なら日の光に耐えられるとは言え、夜間に比べて力が衰える。
この窮地を脱するため、彼女の力になりたい。
俺は、改めて立ちはだかる崖に目を向けた。
◆
スノボー上級者コースを上回る急所。悩んだ果てに切り出す。
「氷でボードを作るくらいできるか?」
「できるけど、なんで?」
「ここを滑り降りる!」
粧子は俺の目を伺うように見つめた。俺は、目を一切逸らさずに、もうこれしか選択肢が無いという意思を示す。
すると彼女は頷き、ふぅっと雪に息を吹きかける。そして丁寧に手際よく板の形を作り出した。
氷のヤスリをこれまた一瞬で作り出し、その器具を使って板の凹凸を取り除く。そしてあっという間に、綺麗な氷のスノボー板が完成した。
俺はそれに足を固定して、ふらふらしている粧子の腕を引いた。粧子が腕を引かれながら、ちゃかすみたいに尋ねてくる。
「改めて聞くけどバカなの?春太郎じゃ死ぬだけだよ!」
でと俺は、何も迷いなどない。死ぬかもしれないけど、粧子の大切なものをこれ以上奪わせたくはなかった。それに恩返しもしたい。だから俺は、深く頭を下げる。
「サポート頼んだ。」
彼女は、フッとため息をつくと、ニヤっと微笑む。
「任せなさいっ!!」
運動音痴の俺主導の上級者コース走行である。成功は一か八か、結果は神のみぞ知るだろう。
でも逃げるくらいなら、信念を貫いて死んでやる。
俺は彼女を引き寄せ、ズタボロの身体に無理を言わせて背中に背負い、自分で驚くほど手際よく滑る準備整えた。
そして、粧子が俺の背中に乗ったのを確認してから、始めの恐怖を押し殺して滑り降り出す。
ここに、前代未聞のスノボーの2ケツが始まったのだった。
ターンすらまともにできないのに、時速十数キロを叩き出しながら、ほぼ垂直にヘアピン付近へ向かっていく。
下の方を見ると、お扇が粧子の家族に近づこうとしていた。だからこそ、スピードを上げて奴を轢き殺す。そのような過激な目標を掲げ、鋭いドリルみたいに奴を目指す。
ある程度降りた頃、粧子の弟がこちらを指差してたのがわかった。彼らに雪女は見えないかもしれないけど、生身の俺のことならハッキリと見えるのだ。
頭に張る冷んやりシートみたいに、ピッタリ背中にくっつく粧子。彼女は、家族に自分の姿が見えていないことを知っている。それが故に一度ため息をついて悲しみを抑え込み、改めなおして作戦を告げた。
「私がお扇をなんとかするから、春太郎は3人を逃して!」
人見知りかどうかなんて、今の俺に悩む暇もない。一足遅れれば、粧子の家族がお扇の手によって氷漬けにされてしまう。彼らを救うためにも、最上級者コースを完走しなくてはならない。
粧子のアシストもあり、邪魔な障害物を無我夢中でかわして先へ進む。それにしても、この氷のボードは何キロくらい出しているのだろう。きっと障害物に衝突したら即死だ。考えるだけで恐ろしい。
凄まじいスピードでお扇に追いつきそうな位置まで辿り着くと、粧子がグッと俺の肩を掴む。ついでに耳元で囁くようにして、ボードの上手なブレーキのかけ方を伝授してくれた。
聞いただけじゃわからねえと言いたくなるけど、彼女の言葉はなぜかスルスルと鼓膜に染み込んでいく。
雪女は、冷気を見に纏い風のように浮いて移動することができる。力が回復してきた彼女は、バランスを崩さないまま、スッと俺の背中から離れた。
速度が何キロ出ているかわからないこの板から、宙に浮く術で距離をとり、そのまま風のようにお扇を追いかけていく。
粧子の移動は鮮やかで、雪煙もさして立てずにお扇との距離を詰める。
俺は、美しい彼女に目を取られすぎて、迫り来る大木に気がつかなかった。ほんの少し判断が遅れていたら、粧子の家族を助けることすら叶わなかっただろう。
火事場の馬鹿力というやつを使い、慣れないターンを駆使して大木をかわす。ついこの間まで木の葉滑りしかできなかったのに、本気を出したらなんでもできるのかもと余裕をこいてみる。
そこからは、見渡す限り白銀の平らな急斜面が続いていた。谷底へ向かう斜面をかわすように山肌に添いながら滑り、粧子の家族の見守る道路付近へとやってくる。
激しい雪煙を立てながらターンを繰り返し、粧子に教えてもらった方法で、道路の脇にボードを停止させた。
◆
止まらない手汗と達成した喜びに浸りたい気持ち。それらを抑え込み、呆然とこちらを見つめる粧子の家族に声をかけた。
「早く逃げてください!ここにいたら危ない!!!」
粧子の父は、突如として崖を降りてきた得体の知れない俺に対して、不信感と怒りを覚えているようだ。
「君は誰だ!?」
彼は、家族を守るように最前に立ち、きつい眼差しでこちらを睨む。同じく粧子の母と弟も、警戒していることが肌で伝わってくる。
どう説明すれば伝わるのだろうか。悪い雪女が命を狙っているなど伝えても、信じてもらえるはずがない。こうなると、訴えかけて感情で理解してもらうしかないのかもしれない。
「もう日も暮れます。早くここを離れてください。」
粧子の父の拳に力が入る。
「得体の知れない君に、突然立ち去れと言われた身になってみなさい。不信感しかわかない。そもそも君は何者だ?」
「俺は...。」
粧子の友達だと言ったら、逆に怒りに触れてしまう可能性が高い。それに俺は、スマホを捨てて全ての連絡先を遮断した男。きっと今頃は行方不明者になっているはずだ。自分の名前を口にすることすら、大きな混乱を招きかねない。だから得意ではないが、嘘を突き通すことに決める。
「俺は、このスキー場をパトロールしている遭難救助隊の一員です。先程は夕方の特殊任務中でした。驚かせてしまい申し訳ございません。」
嘘をつくことに気は引けたけど、偽りのヒーローを演じ切るしか方法がない。俺は、勢いで乗り切ろうと声を張って伝える。
「聞いてください!今夜は山の天気が急変して、酷い暴風雪に見舞われます!また、さっき雪の調査をしてわかったことがありました。それは、このヘアピンカーブ周辺で近々大きな雪崩が起こるということ!つまり、ここに長居することが命取りになるのです!」
粧子の父は、疑う姿勢を崩さない。
「本当か?今夜の天気は晴れて満天の星空が見えると、ニュースでやっていたが?」
「本当です。本当に天気は...崩れます...!」
遠く背後で何やら争う音が聞こえて来る。きっと粧子が、お扇と小競り合いを始めたに違いない。こちらに音が近づいているとなると、粧子が現在劣勢の可能性が高いだろう。
何はともあれ、早く粧子の家族に帰ってもらわねばならない。俺は、より感情に力を込めながら、3人を見つめて語りかける。
「今夜は、いち早くここを立ち去るべきです。できることなら、今すぐにでも山を降りたほうが良い。」
粧子の父は、雰囲気からしてしっかり者だ。それも頑固親父とかそういうのではなく、正真正銘の良い父親。頼れる父と言った感じだ。
だからこそ、簡単に信じてくれないかと諦めかけていた。
しかし彼は、なぜだか浮かべていた疑心の眼差しを次第に和らげ、俺の気持ちを見透かすように握った拳を離す。そして、真っ直ぐに俺がいる方向を見つめながら言った。
「そういうことか...。わかった、君の言う通りにしよう。」
彼の隣にいる粧子の母と弟が、目をまんまるくしている。粧子の父が2人を車へ乗るように促すと、粧子の弟は態度を変えた父に疑問を抱いたみたいだ。
「父さん。あの人なんなの?」
粧子の父は、当たり前のことを言うように彼を諭す。
「さっき彼が言っていたろ。遭難救助隊の方だと。粧子にも顔を合わせたし、ここに残る理由はもうないさ。」
粧子の弟と母は、父を心配しながらも車へと乗り込む。粧子の父は車から数歩ばかり離れ、改めてこちらへ向き合ってくれた。そう思ったけど彼が見ていたのは、遥か後方に現れたドス黒い雲だったようだ。
「君の言う通りかもしれないな。山の天気はすぐ変わる。一足遅ければ大変なことになるかもしれない。教えてくれてありがとう。」
俺は何も言わず、彼が早くここを立ち去るのを待っていた。別に彼は、知り合いでもなければ、顔見知りでもない。余計な会話をする必要もないだろう。
俺が最後まで嘘を演じ切ろうと必死になっていると、粧子の父が後ろを振り返り車へ戻っていく。運が良いのか悪いのか、俺のハッタリが事実へと変わるように雪がパラつき始める。1分、2分立つごとに降雪は強まり、風も吹き荒れだす。
「早く行ってください。今夜は荒れますから。」
俺が見送り程度の声をかけたら、粧子の父は立ち止まり背を向けたまま、こちらへ聞こえるように伝言を残す。
「粧子に伝えてくれ。心配してくれてありがとうと。」
やっぱり彼には粧子が見えるのだろうか。俺にはそんなことわかるよしもない。ただ、そういう言い回しなのかそうでないのか、彼の口から粧子という名前が出たのは確かだった。
粧子の父が振り返らず車へ乗り込む姿は、堂々としていて逞しく、話を理解してくれたことが姿勢から表れているようにも思えた。