16.覚悟はあるか
文字数 6,162文字
例の分かれ道を下山ルートと真逆に進むと、間も無くして道に迷うことになった。
もちろん、視界は既に回復していて悪くなく、山の山頂部分は見える。だけども粧子曰く、この山の厳冬期は散策難易度が高くて、正しい道を進まねば滑落して即死することもあり得るらしい。
クレバスやらなんやら、辺り足元の危険を確認しながら、細心の注意を払って前進を続ける。
視界いっぱいに悠々とそびえる樹氷は、似たような形が並び、先に進んでいるのか戻ってきているのか、毎回不安になってしまう。
その不安を更に煽るのが気温。粧子の術の効き目は12時間。最後にかけてもらったのが昨日の晩だから、気づいた時には生身の体温へと戻っていた。
おかげで寒さが半端なく、凍死を望まなくとも勝手に凍死してしまいそうだ。
粧子の術のおかげで極寒の世界をあまり意識しなかったが、いざ術の効力が途切れると、マイナス30度の恐怖が津波の如く押し寄せてきた。
山小屋の倉庫に昔使われていた防寒具が収納されていたので、それを重ね着して耐え忍ぶ魂胆であったけど、甘い考えは通用しない。
少しでも動いていないと死んでしまいそうだ。
◆
樹氷の森を抜けると、だだっ広い雪原が姿を表す。雪原は山の上層部へと続いており、ゲレンデで例えるならなら上級者コースだ。
雪崩でも起きたら1発アウト。
恐怖を紛らわす為に足踏みをしながらじっくり観察していると、遥か上の方で雪煙が立っているのがわかった。
まさか雪崩の前兆か?そう思い煙を凝視してみる。すると何やら複数の影が動き回っていた。
こんな雪山で誰だろうか。まず東北地方にヒグマがいるはずがなく、狼というものも絶滅している。なら人か。いや、粧子達なのか。
立ち尽くしていても死ぬだけなら、その異変を確かめよう。
深さ何メートルかわからない積雪へ身体を時折埋らせながら、体力を振り絞って山を登る。
何時間かかるかわからないけど、進むべき道はこの山の上にしかなさそうだ。
数十メートル上がった辺りで、それらの影が雪の精霊達であることがわかる。中心には、険しい表情を浮かべながら、雪の精霊達へ指示を出している五右衛門の姿があった。
彼の身体には、先程受けていた傷もなく、体調の方は元に戻っているようだ。あれだけやられたのにすぐ行動を起こせる姿勢は、流石としかいえない。
「五右衛門さん!!」
俺が声を大にすると、彼が鋭い目つきでこちらを睨む。よほど集中していたようで、機嫌が悪そうだ。
「ん、関係ないんじゃなかったのか?」
彼の強い言葉に怯まないように、俺も気持ちを絞り出していく。
「やっぱり俺は...」
俺が言い終える間もなく、五右衛門が冷めた目で俺の心に氷柱を突き刺すような言葉を言い放つ。
「女々しい奴は使い物にならん!早く帰れ!」
彼の口調は厳しい。俺は、この手の言われ方がどうしても苦手で、つい優柔不断に陥ってしまう。帰った方が良いのかな、そんな感じで。
しかし、迷っている間にも、五右衛門がなんでピリピリしているのかがハッキリとわかってきた。
彼の指揮下にある雪の精霊30体、その向かい側に血色の悪い雪の軍人達がいて、お互い雪玉を投げ合いながら取っ組み合いを続けている。
「我らが大将を連れ去った悪霊共を許すな!!」
五右衛門が激を飛ばすと、雪の精霊達は柄にもない歓声を上げ、血色の悪い雪の軍人達へと突撃を続けていく。
それらを眺めていると、血色の悪い雪の軍人が持つ銃剣から発せられる雪玉が、1体の雪の精霊へ命中。精霊は、苦しそうにうめきながらその場に倒れ込む。血色の悪い雪の軍人は、そこを3人がかりで取り囲み、一切に銃剣で突き刺した。
刺された雪の精霊は少しずつ変色して、至る所が白から薄汚い灰色へと変わる。
五右衛門は、彼を助け出す為に自ら銃剣を手に突き進み、血色の悪い雪の軍人達を薙ぎ倒す。しかし、薙ぎ倒しても所詮は雪の塊。復活してまた襲い掛かってくる。
これでは、一向に戦いが終わらないではないか。疑問を胸に戦いを眺めていると、右方向からザクザクと雪をかき分けながら誰かが走ってくる音が聞こえた。
「人間だー!彼を安楽死させろ!」
血色の悪い雪の軍人達が、一斉に白く勢いある息を俺へ吹きかけてくる。エグいくらい冷たい吐息は、周囲の雪を一瞬で氷に変えてしまう。すると足元も凍おりつき動けなくなる。
これでは安楽死どころじゃない、痛みを伴いながら死ぬことになるだろう。
焦りに焦って助けを呼ぼうとしたら、すぐに五右衛門が駆けつけてきて、血色の悪い雪の軍人達の首を跳ね飛ばした。
首の形をした雪の塊が、どさどさと雪原に落ちる。
「優柔不断が1番の命取りだ!!逃げるのか、戦うのか、ハッキリしろ!!」
「そんなこと言われても俺...。」
敵の攻撃に怖気付き、はいと言えずに再び躊躇してしまう。その時、五右衛門の頭を灰色の弾丸がかすった。彼は苦しそうに額を抑え、その場で塞ぎ込む。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ!それで春太郎、改めて聞くがお前はどうしたい!戦うのか?それとも冷やかしか?」
まだ怯えている俺がいる。
でも俺は変わりたい。
心の中の俺に、はたまたはどこかの誰かに、お前は無理をしているからやめておけ、お前じゃできない、そう言われ続けると思う。
だとしても俺は変わらなくてはいけない。心を入れ替えて、彼女を必ず助け出したい。
「俺は、粧子を救う為にここへ来ました!!だから戦いたい!俺にも戦わせてください!元々自殺する為に山へ入ったんです。どっちみち死ぬのであれば、大切な人の為に死にたいです!」
これを聞いた五右衛門は、スイッチが入ったように目つきが変わり、雰囲気が余計に鋭くなった。そして激怒する。
「馬鹿野郎!!お前が死ぬことを粧子が望むわけないだろ!!!」
「じゃあどうしろと言うんですか!俺はもう逃げたくないんです!!!」
「死ぬなんて言葉、二度と口にするな。それと少なくともこの山を出るまでは、一切弱音を吐かないこと!」
「ど、どうしてですか?」
「意思は行動に比例する。這いつくばってでも生き抜いてやるくらいの気持ちがないと、この雪山からは生還できない!」
言い争っている間にも、血色の悪い雪の軍人の手によって、雪の精霊達が1人2人と雪原に沈められていく。
チラチラ戦場を見ていたら、五右衛門が俺の服を引っ張る。何事かと思い彼へ向き合うと、真剣な眼差しで教えてくれた。
奴らに勝つには、粧子を救い出す以外に方法がないということ。
それがどういうことなのかというと、大前提として雪の精霊が死ぬことはない。いくら殴られようが蹴られようが、身体が雪である以上復活することができる。
それは敵も我々も一緒だ。
ならば、永遠に負けることもないのではと思うかもしれない。
だが、それは違うようだ。
奴らが使うグレーの武器には、精神的苦痛を与える術が刷り込まれている。
雪の精霊、雪女、彼らの生命力は精神力。それが0になって死ぬことはないけども色が薄汚くなる。
わかりやすく説明するなら、白い雪の精霊は正の存在。薄汚い雪の精霊は負の存在だ。
敵の攻撃を喰らうとネガティブな感情が増築され、最終的に薄汚い雪へと変色してしまう。
ようするに、雪の精霊が消えてしまうことはないが、奴らに屈服してしまうことはあり得るということ。
全員が屈服してしまえば、それすなわち奴らの勝利。この戦いは、肉弾戦に見えて、実は精神世界の戦いなのだ。
「しかし、粧子と勝利の関係がいまいちわからないのですが?」
五右衛門は、俺に待ったをかけてから、戦場へ再び身体を向けた。それから勝利を信じつつも苦しそうに悶える雪の精霊たちに、大声で指示を出し直した。
そして、彼らが再び立ち向かう姿を確認してから、また俺の方を振り向いた。
「粧子は変わり目だという話をしたな。」
「はい、彼女は他の雪女とは一味違うんですよね。」
「彼女には、絶望へ屈することがないパワフルな精神力が備わっている。彼女がいるだけで、俺たちは無敵でいられるのだ。」
「絶望することがないから、あちら側へもっていかれることもないと。」
「そうだ。攻撃を受けた時にわかったが、並外れた精神力がなければ、奴らに負けることも時間の問題。俺がいくら鼓舞し続けても、いつかは押し負かされる時が来てしまうだろう。だからこそ、彼女を助け出すことが大切なのだ。」
「でも仮にこちらが無敵になれて、無敵と無敵が戦っても勝つことは不可能ではないでしょうか?」
五右衛門がフッと鼻で笑うと、首をゆっくり横へ振る。
「それが勝てるんだ。俺や雪の精霊達が、元々は薄汚れていた話をしただろ。それを更生させてくれたのは紛れもなく粧子。つまり彼女には、薄汚れた奴らを白に変える力が存在する。俺たちを支え、奴らを変える力があるんだ。」
「それなら勝ち目は出てきますね。ですが、その力を持つのは彼女だけなんですか?」
「俺たちにもできなくはない。だだ、彼女ほどの力は持ち合わせておらず、かつ劣勢の状況でそれを成し遂げる力は残っていない。」
彼女を助け出さなければ戦いに勝てない理由は把握できた。しかし、この状況からどうすれば良いのだろうか。倒しても倒しても復活する敵。数もこちらの倍以上は居て、突破できそうな兆しも感じられない。
「何か作戦はないのですか?」
すると、五右衛門が北東の崖を睨みつける。それから少し思い悩みながら、その目を俺に向けた。
◆
「春太郎、命をかける覚悟はあるな?」
彼は何をさせるつもりなのだろう。怖くなり、目をキョロキョロと動かして黙る。すると五右衛門が追い討ちの喝を加えてきた。
「命を賭けられるか!!!?」
俺と五右衛門が真剣に向き合う傍で、雪の精霊達の悲鳴が次々と響く。この明らかな劣勢を前にして、悩んでる暇はない。
俺は、心の中で決意の賽を再び投げた。
「わかりました。俺は、粧子を助けたい。みんなの力になりたい。そして、過去の弱い自分と決別して、強く生きていきたい。だからこそ、この正念の場に命を賭けます!!!」
「男の一言に嘘はないな?」
「ありません!」
五右衛門は、安心したようにふうっと白い息を吹き、目を見開いて淡々と指示を出し始める。
「あの崖が、共に山を登ったルートに続いている。人1人通れる道を突破したら、例の洞窟が姿を見せるだろう。だがそこには入らず、山肌を沿うように右へ進んでいくと、奥の山へと続く尾根が姿を表す。尾根を伝った先にある山は、冬季登頂最難関、垓下山地最奥の名峰
「でも、どうやって助け出すんですか?粧子を助ける前に雪女に殺されるかもしれないですし...」
五右衛門が括り付けられた鞄から、袋に入ったライターと水筒のような物を取り出して、こちらへ突き出してくる。
「その水筒には、雪山でたまたま見つけた灯油が入っている。ライターもまだまだ新しい。雪女の弱点は、太陽、そして火だ。襲われた時は、そいつで返り討ちにしてやれ。」
そんなことを言われても、自分より立場の弱い人間にすら怯える俺が、人間を超越した怪物に勝てるのか。全くイメージが浮かばない。
「こんなので勝てるんですか?」
「勝てるかはわからない。だが、火は奴らの力を半減させることができるから、なにかと役に立つだろう。それに俺たちは、粧子の術があっても15分程度しか火に触れることができない。粧子がいない状況で火を使えるのは、生身の人間のお前しかいない。つまり、雪女達に1番対抗できるのは、火が使えて、雪の精霊よりも精神が強いと言われている生身の人間のお前なんだ。どうだ、できそうか?」
山頂付近で見た恐ろしく人相の悪い雪女達の顔が、脳内を埋め尽くしていく。あまりの怖さに、足の震えが止まらない。ノーと言う言葉が口から溢れ出しそうになり、それを堪えることだけで精一杯だ。
「俺、1人で行くんですか?」
「すまないが1人で向かってもらう。」
申し訳なさそうな五右衛門に、俺は必死に訴えかける。
「みんなで向かった方が勝ち目がありますよ!」
「ここを離れるわけにはいかないのだ。」
「どうしてですか?」
「敵の大多数がここへ集結している。奴らを引きつけておくことが、粧子救出の難易度を下げる。そう考えているからだ。雪の精霊とは、この山地近辺で死亡した人間の霊だ。無限に存在するわけではない。故に、元々向こう側でリーダーをやっていた俺には、敵がどのくらい存在するのかが大体わかる。そして今、幹部の雪女達以外は全員ここに来ている。」
五右衛門が戦場を見渡し、再び雪の精霊達へと激を飛ばす。そして反転して、即座に続きを話し出す。
「それに粧子には到底及ばないが、彼女が戻るまでの間、俺が彼らの精神の拠り所でいないとダメだ。拠り所がなければ、瞬く間に敗北が決まる。だから俺も、そして彼らもここを動けないのだ。すまないがわかってくれ。」
五右衛門が深々と頭を下げ、同時に力を貸してくれとお願いしてくる。本当は彼自身も、自ら出向いて粧子を助け出したいに違いない。でも、この場所を離れることはできない。
だからこそ、粧子を助け出して勝利の光を紡ぎ出せるのは俺しかいないのだ。
また、今の俺にとって逃げるという選択肢は、人としての死を意味しているようなものだ。生き続けると決めた時から、逃げるという選択肢がそういうふうに聞こえるようになった。だからこそ、立ち向かうという選択肢一択しかない。俺がやるしかないんだ。
「五右衛門さん。1人の男として、この雪山に誓います。必ず粧子を助け出し、この部隊に勝ちをもたらすことを。」
五右衛門が顔を上げ、目つきを緩ませて答える。
「じゃあ俺もこの雪山へ誓おう。粧子と春太郎、2人が戻ってくる場所を守り抜くことを。」
ようやく心を1つにできた気がした。俺と五右衛門の心は、粧子という存在によって1つにまとまることが出来たのだ。
◆
戦場の喧騒が
敵の追撃も視野にいれ、背後を振り返っていると、五右衛門が精霊達を鼓舞する声が響いてきた。
「ここは戦場!!迫り来るは、ロシア帝国軍同等の強大な侵略者だ!奴らは、人の弱みに漬け込み殺傷を繰り返す諸悪の根源!絶対に屈してはならない!屈しなければ、負けることはない!我ら大日本帝国陸軍雪の精霊部隊の大和魂を奴らに叩きつけてやれ!この戦いは、我々の勝利で幕を閉じるのだ!突撃ー!!」」
五右衛門の気持ちが心に響いたように、雪の精霊には見合わぬ熱い喝采が湧き上がり、激しい雪煙を舞い上げながら再び混戦へ突入していくことがわかる。
この苦痛まみれの耐久戦に終止符を打ち、五右衛門達を勝利へ導く為にも、勇気を振り絞らなければならない。
既に始まりの銃声は鳴り響いている。
今度は良い意味で命を顧みず、死の恐怖の先で待っている彼女を救い出すべく雪山に挑む。