ACT13 「天使君の行方」

文字数 1,630文字

「単刀直入に申し上げますが、このままゼロの試用実験を続けていただきたいのです」

 司馬井さんの申し出に、兄貴は「ええっ?」と声をあげた。

「久遠博士にとっては悪い話ではないと思いますが」
「そりゃそうだけど。あんなに問題が生じたらすぐに回収するといい続けていたのに?」

「もちろん今もそれは変わっていません」
「おいおいおい、変わってないってことはないだろ。サクにゼロの正体がばれただけでも大変な問題だろうが。マヤだってゼロの腕が折れたところを見ていただろ? ばれて壊れて、俺が言うのも何だが、弁解の余地もない事態だぞ?」

 兄貴はあごに手をあててじっとりと司馬井さんを見る。

「さては、何か裏があるな」
「察していただけると話が早いです」

 あっさりと認めて司馬井さんはわたしを見た。思わず背筋を伸ばしてしまう。

「ゼロは自らリセットを望みました」
「え?」
「全て忘れてしまうということです」

 うまく呑みこめない。じわぁっと視界がにじむ。

「こ、こら、マヤ。サクを泣かすな」
「申し訳ありません」

「しかし、それは一体どういうことだ?」

 どういうことも何もない。わたしが天使君の心を傷つけてしまったからだ。
 哀しそうな目が焼きついている。あれが最後なんて嫌だ。
 これまでのことがリセットされるなんて、忘れられるなんて、絶対に嫌だ。

「ゼロはなんて言っているんだ」
「大切な人を傷つけてしまった。だから全て忘れてしまいたいと」
「大切な人?――まさか」

 兄貴と司馬井さんがこちらを向く。わたしは涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をあげた。

「そう、サクさんのことです。わたし達もまさかこの短期間で、ゼロにそこまで深い感情が生まれるとは考えていませんでした」

 司馬井さんがわたしに真っ白なハンカチを差しだした。わたしは戸惑いながら受け取って、ぐいぐいと顔をぬぐう。兄貴の顔は、見るに耐えないくらい輝いていた。

「すごいぞ。すごいことだぞ、それは。ゼロが恋をした。今日は最高の記念日だ。やったー、やったー」

 変人がわたしの手をつかんでぶんぶんと上下に振り回す。どこまでも能天気な男だ。力の限り突きとばして司馬井さんを見た。

「だけど、天使君は忘れたいって言っているんですよね。本当に全てリセットされてしまうんですか?」
「私達と致しましても、試用実験の成果としては予想をはるかに超えた結果ですので、ぜひこのまま継続していただきたいのですが」

 向こう側に倒れこんでいた兄貴がむくりと起き上がってきた。

「継続すればいいじゃないか。何か問題でもあるのか?」
「実は、――ゼロが機能停止しました」
「な。なんだってぇ?」

 変人はびっくりするぐらい素っ頓狂な声をあげた。

「な、なんで? どうして? どうしてなんだ? いったいゼロに何があったんだ?」

 ここまでうろたえるところを見ると、尋常な事態ではなさそうだ。不安だ。また胸が苦しくなってきた。

「それがわからないのです。損傷した左腕修復のために、念のためバックアップを行おうとしたのですが、どうやら全機能が停止したまま起動しないようです」

「ままま、まずい。それは非常にまずいぞ。再起動と同時に思考回路がリセットされる可能性がある」

 目の前が暗くなる。
 天使君は本当に忘れることを望んだのだ。
 あの哀しい顔が最後。わたしはこのまま天使君を失ってしまうのだろうか。

「こ、こら、サク、泣くな。そんな縁起でもない。マヤ、すぐにゼロのところまで連れて行け」
「もちろんそのつもりです。それを相談に参りました」

「そんな悠長なことをいっている場合か」
「わ、わたしもいく」

 ずびっと鼻をすすりながら兄貴と一緒に立ちあがった。

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