耳鳴りシューゲイザー

文字数 1,225文字

「う、うん……」

意識が戻る。そろそろと右目を開ける。頭を殴られているかのような痛み。体をねっとりと覆いつくす倦怠感。脳内をじりじり侵食し続ける耳鳴り。窓から刺す陽光に少しずつ右目を慣らしてから、フッと左目も開けた。
 時計はアラームをけたたましく鳴らしながら、7時45分を示している。同じベッドに寝ていたはずのマキは、もういない。おそらく仕事に行ったのだろう。昨晩、あれほど二人で酒を飲んで、あれほど二人でヤリまくって、何度もイカせまくったのに、全く元気なこった。
 呆れながら俺はベッドから出て、ふらふらの足取りで台所へと赴いた。隅に置かれているゴミ箱には、昨日飲み干した酒の空き缶がきちんと納まっている。マキのやつ、出勤前に片付けてったんだな。ほんと、俺にはできすぎた女だ。そう思いながら冷蔵庫の取っ手を引く。牛乳の紙パックを取ろうとして考え直し、その隣のお茶のペットボトルを手に取った。もうほとんど残っていないのを確認して、直接口をつけて飲み干す。心地よい冷たさが唇、口内、喉、腹中へと滑り落ちていく。空になったペットボトルを捨て、少しだけシャキッとして部屋に戻った。

「どうせバイト、午後からだしな」
未だ治らない頭痛や気だるさに負け、俺は再びベッドに横たわった。

 目を瞑り、右腕で両眼を隠すようにして光を遮る。視界が失われたせいだろうか、頭の痛みがじわりと大きくなった。その頭痛とリンクして入り込んできた耳鳴りに、意識の大半が支配される。と、その耳鳴りの中から、「トクン、トクン」と別の何かが聞こえ出す。自身の心音だと気付くのに、そう時間はかからない。
 鳴り響き続ける耳鳴りは、いつの間にか世界を覆い尽くす大轟音となっていた。その中にあっても、規則正しく聴こえ続ける心音のパルス。二つが絡み合い、溶け合って魅惑的な旋律が奏でられていく。他の全て、何もかもが追いやられ、永遠そのもののような旋律が聴覚を占めていく。

 目眩、脱力。全てがゆがむ。溶ける。墜ちる――。

 たゆたう感覚。暗転する視界。
 そこは宇宙。

 沈むと思えばどこまでも沈下。
 浮かぶと思えばどこまでも浮遊。

 少しずつ、ゆっくり。
 記憶、曖昧に。失われる。

 光。

 近づいてく。

 『ヒト』ではない。
 『ナニか』。

 全能?

 回帰?

 虚無?

 吸い込まれる。

 『ヒト』ではなく

 『ナニか』に

 なる……

 なっていく……。


「……起きてっ! ほらっ! 起きろっ!」

いきなり刺し込まれるわめき声に、感覚がリセットされる。気づくとそこには、すっかり暗くなった部屋とマキのむくれ顔。

「もう、またバイトサボった。明日からちゃんとしてよ。あ、もうすぐ晩ご飯できるからね」

マキはそう言って台所へ戻る。

 俺は、バイト先に謝罪の連絡をしようとしてスマホを手に取る。そのとき、さっきの耳鳴りと心音が織りなす旋律が、自分の耳に鮮明に蘇った。

 マキには苦労かけるけど、「やっぱ俺、音楽で飯食ってくしかないな」と、改めて思った。
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