愛《あい》~ 第4話

文字数 605文字

さて、このように書いてきますと、教会にはあふれかえってむせかえるばかりに「愛」が充満してるように思われますが、不思議なことに、信者たちの告白はむしろその逆で、「私たちには愛がない。神さま、どうか愛を与えて下さい」と祈ったりするのです。

いったいなぜ、このような祈りが出てくるのでしょうか。
その理由は三つあるようです。

① 『神は愛なり』という、よく知られた聖書のことばがありますが、このことばは、神の性質やあり方それ自体が「愛」である、という意味です。

そのような完全な愛である神を信じる信者たちは、自分たちの愛が、T.P.O.によって変化したり、我が身大事であったりすることを恥とし、自分たちも、自分たちの性質やあり方自体が愛であるような、完全な者になりたい、と望むようになります、まあ、それが可能かどうかは別問題として、です。
これが、ひとつ目の理由です。

② 信者たちには、神に愛されていることをいつも確認しておきたい、という欲求があります。ところで、これまで説明してきましたように、神の愛は、無価値な者をも愛する愛である、という特徴があります。

それで信者は、自分のことを、神も人も愛せないような、みじめで情けなくて無価値な者であると自覚することで、「自分はこのように無価値な者なのだから、神は大いに自分を愛してくれるはずだ」という論理の展開を通じて、神の愛を再確認しようといたします。
これが、ふたつ目の理由です。
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