愛《あい》~ 第1話

文字数 772文字

なんといっても、教会用語の最も重要なことばのひとつでしょう。なにしろ信者の生涯は、愛が出発点であり、基準であり、源動力であり、また目的である、といわれているほどで、ここでも少しくわしく説明してみたいと思います。

さて、このように重要な「愛」ですが、これは、まず神が人間に示した愛であり、その神の「愛」は、人間的な恋愛や友愛や親愛などとは異なるもの、といわれています。それは、大ざっぱに言って、次のふたつの特徴があるようです。

A.愛される価値のないものをも愛する愛である。

人間的「愛」は、例えば、美しいとか、強いとか、また金持ちだとかいうふうに、愛されるに足る価値のあるものを愛するのですが、神の「愛」は、見栄えもせず、弱く、愚かで、欠点だらけで・・・というふうな、無価値なものをも愛する「愛」なのです。
   
B.一方的な自己犠牲の愛である。

人間的な「愛」は、愛した分だけ、いや、それ以上に愛されることを、つまり<見返り>を期待するのですが、神の「愛」は、見返りや報酬を期待しない、愛しっぱなし、捧げっぱなしの一方的な自己犠牲の愛なのです。

新約聖書ローマ人への手紙5章8節には、『私たちがまだ罪人(つみびと)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』とあります。

人間たちは、自分たちを創造し、生命を与え、自然の恩恵をもって自分たちを生かしてくださっている神に対して、その神に感謝したり、神を信じたり、愛したりするどころか、神を知らず、いや、それ以上に神に反逆して、自分勝手な罪深い生き方をしています。

しかし神は、そのような絶望的で無価値な人間を救うために、大切な大切なひとり子キリストを殺すことをも厭わなかったのです。神の「愛」は、そういう絶対的な「愛」としてとらえられています。
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