明け渡し《あけわたし》~ 第4話

文字数 776文字

⑥神にゆだねる
ふつう信者たちは、全面的に自分のせいだと言うほどお人好しでもなく、かといって、神やほかのもののせいにしたり自分に落ち度はないと主張したりするほどあつかましくもなく、また、無視したりやめたりするほど思い切りよくもないものです。そこで、ふつうはこう考えます。

『結果の良し悪しは限られた人間の判断力では計れないものだ。ゆだねた結果が良くないと思うのも、私の身勝手な判断なのだ。神は愛の方なのだから、私に悪を謀ることはしないはずだ』
要するに、自分中心の早計な判断をせず、それさえも神にゆだねてしまうのです。

そして、『つまりこれは、神が良かれと思って私に与えられた訓練にちがいない(これは教会用語で『試練(しれん)』とか『(こころ)み』とか呼ばれます)。あとになれば、すべてが神のおはからいであり、私にとって益となったことがわかるのだ。だから甘んじて訓練をうけよう』というふうに考えるのです。

ときどき、信者でない人が、信者たちの生活や言動について、”受動的である”とか、”その場限りの無責任”だとか非難することがあるようです。
でも信者たちにすれば、自分たちの生活や言動は、すべて神に明け渡されゆだねられたものなのです。
彼らは、主権者である神からの動機づけで神の意思を行ない、神の与える結果を甘んじて受ける、という高度の宗教性をもった生活をしています。これは信者の極意ともいえるもので、信者でない人の生活とはまったく趣を異にするものなのです。
そういうわけで、信者でない人が理解に苦しんでしまうのも無理はありません。

このようにして、信者たちにとっては、すべてのことが神から発し、神によって成り、神に至るのであり、『心を尽くして主に拠り頼め、自分の悟りにたよるな』(旧約聖書 箴言3章5節)ということになり、ただ神に感謝し、神に栄光を帰する、ということになるのであります。
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