明け渡し《あけわたし》~ 第3話

文字数 1,002文字

このことを不思議に思われるかもしれませんが無理もありません。実は信者たちさえ当惑してしまう問題なのです。
そしてその結果、”神にゆだねたのに、なぜ悪い結果が出たのか?”という問題に対して、いくつかの対応が出てきます。

①神のせいにする
『神さま、私はあなたにゆだねたのに、どうしてこんなことをするんですか!? いいかげんにして下さい』などと文句を言うのです。
しかし、これは天に向かってつばをはくようなもので、結局は自分を惨めにしてしまうだけのようです。
   
②自分のせいにする
『神さまは悪を謀るような方じゃない。ゆだねきったつもりでも、ゆだねきれていなかったにちがいない』と反省し、自分にはわからない自分の落ち度を見つけ出し、改善しようとします。
また、自分の内にも外にも悪いものが少しも出てこないように、神や神に関する善いことに自分を集中させようとします。ある信者たちは、そのようにして悪いものがはいりこむスキをなくすほどに心頭滅却して無我無心の境地に至ると、罪を意識しなくなり、罪を犯さなくなると考えているようです(これを『きよめ』と呼ぶ教会もあります)。
しかし、自分のせいにすることは、結局は自分を追い詰めてしまうことになるようです。
   
③他のもののせいにする
『神にも私にも落ち度はないはずなのだ』と考え、悪魔のせいにしたり、罪に汚れたこの世や、自分以外のだれかや、社会や教会の制度などのせいにしたりします。
また、『罪』は刀についたサビのようなもので、手入れをすれば刀がきれいになるように、『罪』も根本的には自分とは切り離されたものだと考え、そのサビのような『罪』のせいにしたりするようです(これは『きよめ』に通じるようです)。
   
④無視する
『結局私にはわからない問題だから、結果が悪くても気にしないで放っておこう』と考え、関知しないでおくようにします。
これは、最も手軽な対処のようですが、そうとも限りません。自分が神に受け入れられてないかもしれない不安に目をつぶるのですから、最も忍耐を必要とする対処ともいえるでしょう。
   
⑤やめる
『もう”ゆだねる”なんてよくわからないことはやめよう』と考え、すべてのことを自分で考え、自分で判断し、どのような結果になろうと他の何かのせいにはしないのです。
こういう人をクリスチャンと呼ぶかどうかはわかりませんが、自分で責任をもとうとする態度は潔いともいえそうです。
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