明け渡し《あけわたし》~ 第1話

文字数 937文字

なんと言っても、信者たちにとってその生涯の重要な鍵となる言葉でしょう。
『明け渡し』とは、神にすべてを明け渡すことであって、言い換えれば、神にすべての主権者、主人になっていただくことです。

『明け渡し』は、さまざまな事柄について用いられますが、この項では、信者たちの個人生活について取り扱おうと思います。
すなわち、信者たちは神に自分のすべて(自分自身も、自分の持ち物も、自分の生活も)について神に主権者、主人になってもらうのです。類似語としては、『ささげる』、『ゆだねる』、『自分を捨てる』などがあります。

では、『明け渡し』をふたつの側面から説明してみたいと思います。

A.神を愛する

教会用語『愛』の項でふれましたように、神は神にとってすべてともいえる大切なキリストを十字架につけたのであり、そのような神の人間に対するすばらしい愛を信じる信者たちは、その愛に応えて神を愛そうといたします。

つまり、人間のために神がすべてをささげたように、信者たちも彼らのすべて(お金や持ち物や能力や地位のみならず、時間も身体も、いのちまでも)をささげ、「私のすべてはあなたのものです」と告白し、すべてを明け渡し、自分を捨てて、神を愛し、神を喜ばせようとするのです。

さて、このように、互いに明け渡し、ささげ尽くしたうるわしい相思相愛の関係が文字通り実現しているならば、一般世間はともかく、少なくとも教会は、実にエデンの園のようなところであって、この『明け渡し』の項もここで終われるはずなのですが、どうも現実はそうとばかりは言えないようであります。

そして、その原因は信者たちの方にあるようです。というのは、信者たちには、神を愛する心と同時に神に逆らう心があって、神を愛することをためらったり、神を疑ったり、ねたんだり、ひどいときには自分を神よりも大切なものとして、自分の欲や利益を求めて神に反抗したりするのです。

このようなものを、教会用語では『(つみ)』と呼びますが、人類は皆ひとり残らず、この『罪』を生まれながらに宿している『罪人』なのです。
信者たちも宿しているこの罪は、信者たち自身の手に負えないものであると言われておりまして、それを自覚した信者たちは『明け渡し』のもうひとつの側面にすすんでいくのです。
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