第2話
文字数 3,087文字
結局、僕と辰砂はフレンチを止めて蕎麦を食うことにした。どうも、フレンチレストランは食事する時のマナーが良く分からない。それと、実際にはそんなに変わらないのかも知れないのだが、一食分の値段が高いイメージが僕にはあったのだ。それでも辰砂は喜んでくれたし、僕も久し振りに日本蕎麦が食えると思うと嬉しかった。
「なんだ? 鴨せいろにしたのか? 共喰いだからきつねを喰わないのか?」
「馬鹿言わないでよ。狐の好物のお揚げが
乗ってるからきつねそばでしょう? 共喰いの訳ないじゃん。私は昔から鴨とか鼠とかが好きなの!」
勿論、僕はきつねに乗っているのは油揚げであって、狐の肉が乗っているなんて思ってやしない。当然、辰砂だって僕がそんなこと位知っているであろうことは、ちゃんと分かっている。これはちょっとした他愛ない二人のお遊びなのだ。
僕は天せいろにした。天婦羅は僕に取って思い出の料理なのだ。要の両親と耀子の四人で最後に食べに行ったのが天婦羅屋で、その数日後に『オサキ一党の乱』が起き、この世界の耀子はそれで亡くなっている。
僕は蕎麦が来るまでの間、この歴史がどうなっているのかを、辰砂にまた確めることにした。
「耀子の遺体はどうなったんだ?」
辰砂は、次に来る時の為に、まだメニュを手にとって眺めていたのだが、そんな僕の質問にはもう驚かなくなったらしく、メニュから目を離さず淡々と問いに答えた。
「骨も何も残って無かったよ。要のお義父さんお義母さんには、そんなの説明出来ないって、耀子ちゃんは今も行方不明ってことに鉄男がしたんだよ」
そうだろうな……。
大悪魔のごく普通の戦術とはいえ、手首を切り落とされた上、生きたまま跡形もなく焼き殺されたなんて言ったら、パパやママはショックで病気になっちゃうかも知れないもんな……。でも、それで、決して帰ってくることのない娘を、パパやママはずっと待ち続けることになってしまったんだろうけど……。
「だから、私を見付けた時、私の事を本気で耀子だと思っていたみたい。もしかしたら、今でもそう思ってるかも知れない……」
「そうやって、二人を騙して僕の女房に納まったって訳か……」
「馬鹿言わないでよ……」
驚いたことに、辰砂は堪える様に涙ぐんでいた。僕は慌てた。ほんの冗談の心算だったのに……。
「要のお義父さんお義母さんに、その時のこと聞いてみれば良いでしょう! 私、帰る」
そう言うと、辰砂は立ち上がった。
「おい、鴨せいろはどうすんだよ?」
「鉄男が二人分食べればいいでしょう!」
その言葉を残して、辰砂は勝手に一人で出て行ってしまった。
その後、店の店員が心配して、鴨せいろをキャンセルしても良いと言ってくれたのだが、多少意地もあったので、僕は二人前を一人で食べた。そして、このまま家に帰るのも癪だったので、僕は腹ごなしも兼ねて、少し散歩してから帰ることにしたのである。
そこは僕に取って懐かしい昔の多摩平だ。僕の過ごした時間では……、僕は、この数年前に家出をし、その後、この町がどう変わっていったのかを目にしてはいない。美菜たちの時空に行った時、その時空の多摩平へも行こうとしたのだが、その時空に日野市は存在していなかった。
ここには、僕が縫絵さんと良く行ったショピングモール多摩平店も残っている。昔のままだ。そう思うと、城兼と稲荷寿司を食べた浅川の河川敷にも行ってみたいし、ならば同じコンビニで稲荷寿司を買って、そこで食べてみたいとも思う。
そのコンビニは残っていた。だが、稲荷寿司は売ってなかった。城兼が死んでしまったので、仕入れを止めてしまった訳ではあるまいが、それを僕は残念に思う。
仕方ない。フライドチキンでも買おう。
こう云うものは、縁の有無と云うものなのだ。誰かが仕入れていたか? 売り切れていなかったか? 僕は店に入ったか? そんなことが重なって、僕はフライドチキンを手にしている。
因果応報……。
勧善懲悪思想によって、良い行いには良いことが、悪い行いには相応の報いを受ける。そんな風に理解されているが、これはもっと普遍的な真理を示している言葉なのだ。
何かをすれば、何かに影響を与える。
僕がコンビニに入ったから、フライドチキンは僕に買われることになった……。
そう、当たり前のことだ。
この世界と僕が生きてきた世界……。僕が時間を戻したことで、耀子や盈さんは生き残り、辰砂は死んだ。僕は家出をし、耀子は要家でパパやママと暮らした。要の両親は僕がどうしているかと心配し続けた。耀子がいなくなったと云う心配なしに……。
とちらが良いとか悪いとかではない。僕が時を戻したことで、未来の出来事の幾つかに食い違いを生んだのだ。
結局、僕は浅川の河川敷に行かず、フライドチキンを途中の公園で頬張った。
家に帰ると、辰砂だけでなく要の両親も待っていた。辰砂がパパとママに言い付けたのだろう。流石に女狐。策士だと思う。
それにしても辰砂は何で折角の鴨せいろも食べずに、あんなにも怒ったのだろうか?
この後、僕は散々にママから説教を受けた。パパは基本的に僕や耀子を叱らないのだが、ママはうるさい位に叱りつけてくる。今回は「辰砂の気持ちを考えろ」とか、そんなことを延々一時間以上も聞かされた。
だが、お陰で辰砂が新しい養女に来てからの雰囲気が、僕にも大体理解できた。
辰砂は養女になってからは、僕たちの言うことを必要以上に従順に守っていたらしい。要の両親にしてみれば、かなり図々しかった耀子と比較し、何でそんなに気を使っているのか理解出来なかったみたいだ。それで余程苦労したんじゃないかって、辰砂にかなり同情したらしいのだ。二人の心の中では、耀子がひどい目に遭って、従順にならざる得なくなった上、記憶まで無くしたと考えていたのかも知れない。
辰砂は意外と見た目が可愛いし、言い寄る男もあったのだが、「自分が幸せになっちゃいけない」って、全て断っていたらしい。矢張り、戦死した真久良、城兼、群咲に対し、ひとりだけ生き残って、皆に申し訳ないと云う気持ちが強くあったのだと思う。
そんな辰砂を心配して、要の両親が辰砂に真意を尋ねると、本当のことを言えないのは分かるが、言うに事欠いて「お兄ちゃんが好きだから……」などと嘘を吐いたらしいのだ。結局、僕たちは兄妹で付き合うようになった。
だが、考えてみれば、これは辰砂の策略ではない。僕が辰砂を自分の監視下に置く条件で彼女の助命嘆願をしたのだ。これは、この時点で必然の未来だった。辰砂は勝手に僕の元から離れられない。僕が許しても、離れた時点で刺客に殺されるだろう。僕自身も辰砂から離れられない。彼女が出来たからといって、辰砂と離れて暮らすことは出来ないのだ。離れて暮らすには、辰砂を殺さなければならないからだ。
辰砂は母になるのが夢だった。
辰砂が『オサキ一党の乱』を忘れて人間の家庭を持つには、僕の女房になるしか方法がなかった……。恐らく、それを理解した僕は、それで辰砂との結婚に同意したのだろう。もう、縫絵さんも失ってしまっていたのだから……。
その夜、要の両親が帰った後、僕は寝る前に辰砂に謝った。そうすべきだと思った。辰砂は要の両親を騙して僕と結婚したのではない。パパとママが辰砂の事を気遣ってくれた結果だったのだ。それで恐らく辰砂は、僕の言葉に両親の気持ちを踏みにじられたと感じてしまったのだろう。
そう。全ては僕の決断が、この摩可不可思議な状況を作り出している。これは、まさに因果応報と言うべきものなのだ。
「なんだ? 鴨せいろにしたのか? 共喰いだからきつねを喰わないのか?」
「馬鹿言わないでよ。狐の好物のお揚げが
乗ってるからきつねそばでしょう? 共喰いの訳ないじゃん。私は昔から鴨とか鼠とかが好きなの!」
勿論、僕はきつねに乗っているのは油揚げであって、狐の肉が乗っているなんて思ってやしない。当然、辰砂だって僕がそんなこと位知っているであろうことは、ちゃんと分かっている。これはちょっとした他愛ない二人のお遊びなのだ。
僕は天せいろにした。天婦羅は僕に取って思い出の料理なのだ。要の両親と耀子の四人で最後に食べに行ったのが天婦羅屋で、その数日後に『オサキ一党の乱』が起き、この世界の耀子はそれで亡くなっている。
僕は蕎麦が来るまでの間、この歴史がどうなっているのかを、辰砂にまた確めることにした。
「耀子の遺体はどうなったんだ?」
辰砂は、次に来る時の為に、まだメニュを手にとって眺めていたのだが、そんな僕の質問にはもう驚かなくなったらしく、メニュから目を離さず淡々と問いに答えた。
「骨も何も残って無かったよ。要のお義父さんお義母さんには、そんなの説明出来ないって、耀子ちゃんは今も行方不明ってことに鉄男がしたんだよ」
そうだろうな……。
大悪魔のごく普通の戦術とはいえ、手首を切り落とされた上、生きたまま跡形もなく焼き殺されたなんて言ったら、パパやママはショックで病気になっちゃうかも知れないもんな……。でも、それで、決して帰ってくることのない娘を、パパやママはずっと待ち続けることになってしまったんだろうけど……。
「だから、私を見付けた時、私の事を本気で耀子だと思っていたみたい。もしかしたら、今でもそう思ってるかも知れない……」
「そうやって、二人を騙して僕の女房に納まったって訳か……」
「馬鹿言わないでよ……」
驚いたことに、辰砂は堪える様に涙ぐんでいた。僕は慌てた。ほんの冗談の心算だったのに……。
「要のお義父さんお義母さんに、その時のこと聞いてみれば良いでしょう! 私、帰る」
そう言うと、辰砂は立ち上がった。
「おい、鴨せいろはどうすんだよ?」
「鉄男が二人分食べればいいでしょう!」
その言葉を残して、辰砂は勝手に一人で出て行ってしまった。
その後、店の店員が心配して、鴨せいろをキャンセルしても良いと言ってくれたのだが、多少意地もあったので、僕は二人前を一人で食べた。そして、このまま家に帰るのも癪だったので、僕は腹ごなしも兼ねて、少し散歩してから帰ることにしたのである。
そこは僕に取って懐かしい昔の多摩平だ。僕の過ごした時間では……、僕は、この数年前に家出をし、その後、この町がどう変わっていったのかを目にしてはいない。美菜たちの時空に行った時、その時空の多摩平へも行こうとしたのだが、その時空に日野市は存在していなかった。
ここには、僕が縫絵さんと良く行ったショピングモール多摩平店も残っている。昔のままだ。そう思うと、城兼と稲荷寿司を食べた浅川の河川敷にも行ってみたいし、ならば同じコンビニで稲荷寿司を買って、そこで食べてみたいとも思う。
そのコンビニは残っていた。だが、稲荷寿司は売ってなかった。城兼が死んでしまったので、仕入れを止めてしまった訳ではあるまいが、それを僕は残念に思う。
仕方ない。フライドチキンでも買おう。
こう云うものは、縁の有無と云うものなのだ。誰かが仕入れていたか? 売り切れていなかったか? 僕は店に入ったか? そんなことが重なって、僕はフライドチキンを手にしている。
因果応報……。
勧善懲悪思想によって、良い行いには良いことが、悪い行いには相応の報いを受ける。そんな風に理解されているが、これはもっと普遍的な真理を示している言葉なのだ。
何かをすれば、何かに影響を与える。
僕がコンビニに入ったから、フライドチキンは僕に買われることになった……。
そう、当たり前のことだ。
この世界と僕が生きてきた世界……。僕が時間を戻したことで、耀子や盈さんは生き残り、辰砂は死んだ。僕は家出をし、耀子は要家でパパやママと暮らした。要の両親は僕がどうしているかと心配し続けた。耀子がいなくなったと云う心配なしに……。
とちらが良いとか悪いとかではない。僕が時を戻したことで、未来の出来事の幾つかに食い違いを生んだのだ。
結局、僕は浅川の河川敷に行かず、フライドチキンを途中の公園で頬張った。
家に帰ると、辰砂だけでなく要の両親も待っていた。辰砂がパパとママに言い付けたのだろう。流石に女狐。策士だと思う。
それにしても辰砂は何で折角の鴨せいろも食べずに、あんなにも怒ったのだろうか?
この後、僕は散々にママから説教を受けた。パパは基本的に僕や耀子を叱らないのだが、ママはうるさい位に叱りつけてくる。今回は「辰砂の気持ちを考えろ」とか、そんなことを延々一時間以上も聞かされた。
だが、お陰で辰砂が新しい養女に来てからの雰囲気が、僕にも大体理解できた。
辰砂は養女になってからは、僕たちの言うことを必要以上に従順に守っていたらしい。要の両親にしてみれば、かなり図々しかった耀子と比較し、何でそんなに気を使っているのか理解出来なかったみたいだ。それで余程苦労したんじゃないかって、辰砂にかなり同情したらしいのだ。二人の心の中では、耀子がひどい目に遭って、従順にならざる得なくなった上、記憶まで無くしたと考えていたのかも知れない。
辰砂は意外と見た目が可愛いし、言い寄る男もあったのだが、「自分が幸せになっちゃいけない」って、全て断っていたらしい。矢張り、戦死した真久良、城兼、群咲に対し、ひとりだけ生き残って、皆に申し訳ないと云う気持ちが強くあったのだと思う。
そんな辰砂を心配して、要の両親が辰砂に真意を尋ねると、本当のことを言えないのは分かるが、言うに事欠いて「お兄ちゃんが好きだから……」などと嘘を吐いたらしいのだ。結局、僕たちは兄妹で付き合うようになった。
だが、考えてみれば、これは辰砂の策略ではない。僕が辰砂を自分の監視下に置く条件で彼女の助命嘆願をしたのだ。これは、この時点で必然の未来だった。辰砂は勝手に僕の元から離れられない。僕が許しても、離れた時点で刺客に殺されるだろう。僕自身も辰砂から離れられない。彼女が出来たからといって、辰砂と離れて暮らすことは出来ないのだ。離れて暮らすには、辰砂を殺さなければならないからだ。
辰砂は母になるのが夢だった。
辰砂が『オサキ一党の乱』を忘れて人間の家庭を持つには、僕の女房になるしか方法がなかった……。恐らく、それを理解した僕は、それで辰砂との結婚に同意したのだろう。もう、縫絵さんも失ってしまっていたのだから……。
その夜、要の両親が帰った後、僕は寝る前に辰砂に謝った。そうすべきだと思った。辰砂は要の両親を騙して僕と結婚したのではない。パパとママが辰砂の事を気遣ってくれた結果だったのだ。それで恐らく辰砂は、僕の言葉に両親の気持ちを踏みにじられたと感じてしまったのだろう。
そう。全ては僕の決断が、この摩可不可思議な状況を作り出している。これは、まさに因果応報と言うべきものなのだ。