第12話

文字数 3,800文字

 そうこうしていたら、壁に黒い穴が生じる。沼藺たちが来るのだろう。あれは『狐の抜け穴』と言って、妖狐たちが良く使うワームホールだ。あれで沼藺たちは日本国内ならどこでも移動できる。
「お待たせしました」
 沼藺が黒い穴から姿を表す。後ろから付いて来るのは風狸の風花だ。
「あ、沼藺さん、お久しぶり。風花も元気だった?」
「有希ぃ~」
 風花が有希に抱きついて来た。有希もそれに応え、二人で抱き合い、手を繋いでピョンピョンと飛び跳ねている。だが、幾ら仲良くとも、別に抱き合わなくとも良いと僕は思うのだが……。
「要君も元気そうで、何よりだわ」
 こっちの沼藺は、短い期間だったが、僕の高校時代の同級生でもあった。そんなこともあり、向こうの沼藺の様に僕を邪見に扱ったりはしない。
 すると、もうひとりの同級生、耀子が脇から僕たちの会話に口を挟んでくる。
「こいつのせいで、散々な目に遭った……」
 この後、沼藺は延々と耀子の愚痴を聞かされるに違いない。僕はそんな馬鹿々々しい話を聞かされるのは御免なので、少し離れて会話は二人に任せることにした。
 すると、有希が来て僕に話し掛けてくる。
「賑やかだね……」
「ああ。困った位だけどね」

 僕は耀子の仕様もない愚痴が治まったタイミングで、沼藺に来訪の目的を尋ねた。
「で、知らせたいことって何なんだ?」
「実は、この子を、皆さんに紹介しようと思いまして……」
 そういえば、沼藺は胸にタオルで何かを包んで抱えている。そして、それを解くと中からホンの小さな小狐が出てきた。オレンジ掛かった燃える様な赤毛の子で、気持ち良さそうに寝息を立てている。
「政木家の新しい一員となった、モモです」
「へぇ~。沼藺の子か?」
 それを聞いた沼藺は、下を向き、肩を少し震わせて嗚咽を漏らす。
「あ~、沼藺を泣かした!」
 耀子がガキの様に茶化す。全く……、お前は小学生か!
「これ程、要くんをお慕いしているのに、あんまりなお言葉……」
 こらこら。僕には奥さんもいるし、こんなに、大きな娘もいるだぞ。馬鹿な冗談を言うんじゃない。
 そう言って置いて、沼藺は顔を上げ、ニッコリ笑って舌を出す。
「冗談です」
 そりゃそうだろ……。
「ここまで待ったんです。美菜さんが亡くなるまで、あと数十年待つくらい大丈夫です。でも、要君には絶対、私の旦那様になって頂きますからね。政木家は大悪魔との姻戚関係が必要なんです。既に太三郎狸は大悪魔との姻戚関係があります。妖狐だって負ける訳には参りません!」
 おいおい。妖怪属の力関係まで持ち出すことはないだろう。それに数十年経ったら、僕はヨボヨボの爺さんだ……。
 実は人間として生活すると、大悪魔は人間と同じ時の流れを過ごすのだ。だから、下手すると僕は、美菜よりも先に死んじゃうかも知れない。ま、転生すれば、赤ん坊からやり直しだけどな。

 有希が小狐を見付け、風花と二人で、こっちにやって来る、
「わ~、かっわいい~。モモちゃんて言うの? じゃ、ニックネームは、ピンクちゃんだね」
「違うよ~、有希。モモは百だよ」
 有希の間違いを風花が訂正する。そして、それを引き継いで、沼藺が、小狐の名の説明を始めた。
「この子は、一万二万の万に、場所の場、漢数字の百と書いて、『よろずばもも』と言います。捨てられていたこの子を、この度、縁あって私が育てることになりました。その際、名前がないと困るだろうと、大刀自様が百と云う名を付けて下さり、万場と云う姓を賜ったのです」
 風花がその時の状況を補足する。
(あね)さま、この子の母親を見付け出し、必ず処罰するって言って大騒ぎしていたんだけど、お祖母様が(あね)さまを嗜められて……。本当、あの時は驚いたわ。(あね)さま、あんなに怒るんだもん」
 風花の言うことは、僕にも何となく分かる気がする。沼藺は普通は穏和なのだが、子供を虐待する大人を見ると、烈火の様に怒り狂うのだ。この怒りは、僕でも流石に止められやしない。
「大刀自様は、こう仰有られました。『確かに、子供を捨てるのは許されることではありません。しかし、この子の母親にも、拠ん所ない事情があったのでしょう。自分の価値観で他人を非難するのは、もうお止めなさい。あなたは、人を罰する為に生まれてきたのではありません。あなたは、人を愛する為に生まれてきたのです。ですから、この子の母を罰することを考える前に、この子を愛して上げなさい』と……」
「こんなことも言っていたよね。『姫神様も馬神様も、孫が欲しいと仰有っておりましたよ。あなたも、もう子供がいても充分おかしくない年です。でも、別の人に嫁ぐ気なんてないんでしょう。せめて、この子を育てて、オシラサマに、

の気分を味あわせて上げたら?』ってね」
 風花は、政木狐の物憂い喋り方を真似てみせた。一方、妹に冷やかされた沼藺は、少し頬を染める。
「でもさ、なんで、政木百じゃないの?」
 有希が質問する。僕もそう思うぞ。
「政木を名乗れるのは、本来、大刀自様と後継者の兄上だけです。ですから、私も政木家に入る前の姓である白瀬を名乗っています」
「あれ? 風花、前に政木風花って名乗ってなかった?」
 有希の言葉に、風花は真っ赤になって恥ずかしがる。
「風花も政木の養女ですが、政木姓ではありません。風花は……」
 風花は人に言われるより、自分で言った方がましだとばかりに、沼藺を押し退け自分で話を引き継いだ。
「だって、私の名字、犬里って言うんだよ。犬里なんて、まんま狸じゃん。それで風花じゃ、風狸の花……だよ。あ~あ、私もお祖母様から姓を賜りたいな~」
「じゃあ風花、こんなのどうかしら? 橘風雅……。名前も変えることになるけど、橘姓は由緒ある姓だそうよ」
「え~何? かっこいいじゃん」
「大刀自様が、『気にいったなら、屋敷に戻ってから正式に差し上げます』って……」
 沼藺が、政木狐からテレパシーを受けたのだろう。風花はそれを聞いて大喜びしている。ま、それにしても便利なもんだ。大刀自は相手がどこにいても見えるし、通じている仲間なら、その場にいなくとも会話できるのだから……。これなら、政木屋敷から出る必要は確かに無いよな……。
 僕が思うに、政木屋敷ってのは、政木の大刀自そのものじゃないだろうか? いや、政木の領地全てが政木狐なのかも知れない。
 だから、決して政木狐は領地から出ないのだ。恐らく、領地を離れると、屋敷や領地が消滅しちゃうのに違いない……。

 すると、突然、小狐が目を醒まし、ギャーギャー泣き出した。
「あ、起こしちゃったんじゃない?」
「お腹が空いたのかしら?」
「哺乳瓶あるの?」
「持ってきてないわ……」
 あ~、この連中は、赤ん坊の泣き声より騒がしい。
「取り敢えず、お乳含ませれば、安心するかも知れない……」
 沼藺が胸の合わせを(はだ)けて、小狐に乳を与えようとする。
「僕の前で何やってんだよ」
「旦那様の前で、赤ちゃんにおっぱいあげてなんで悪いの?」
「おい! 誰が旦那様だ……」
 参った……。
 同じ化け狐だからか、なんか、辰砂と沼藺か同じに思えてきた……。
 耀子がこっちに来て、助け舟を出す。
「出ないおっぱいじゃ、余計癇癪起こすわよ。こっちに貸してご覧なさい」
 耀子が小狐を受けとって少しあやすと、小狐は直ぐにまた寝てしまった。流石、一児の母。耀子もこんな時には役に立つもんだ。
「びっくりして目を醒ましただけよ。まだまだだね。お母さん!」
 耀子にあやされる小狐を見て、有希が何かを発見した。
「あ~この子、こんな小さいのに、尻尾が二本もある! 凄いんじゃない?!」
 しかし、沼藺は少し笑って謙遜する。
「この子は尻尾が二股に別れているだけです。多分、オサキ狐なのじゃないかしら」
 僕は一応、この小狐の為にフォローを入れてやることにした。
「オサキ狐ってのは、管狐みたいなものなんだろ? こいつは、もっと知性が有りそうだぜ。それにオサキだとしても、下手したら、二股九尾の狐になるかも知れないな」
「そしたら、十六尾の狐だね」
 有希、上手いなぁ。
「でも、

は言いにくいなぁ。愛称はモモちゃんかな?」
「こんなのどうだ?」
「テツ、真面目に考えてるんだろうな!」
 耀子が失礼なことを言ってくる。不真面目なのは、何時もお前だろう!
「バーミリオン……てのはどうだ? 犬里風花を並び替えたのが風狸花なら、万場百を並び替えて百万場……、場百万でも良いんだろう? だから、バ、ミリオン。バーミリオンって感じさ」
「要君、それ、いいかも……。だって、この子の毛色、黄色掛かった赤だもん」
 万場百は、恐らくバーミリオンと呼ばせる為に政木狐が付けた名。これは、政木狐が付けた様なものなのだ。
「じゃ、あなたの愛称はバーミリオンよ。宜しくね。バーミリオンちゃん」

 バーミリオンは、僕たちが周りで騒いでいるのを気にもせず、スヤスヤと眠っている。
 この子が大人になる頃には、沼藺が妖怪世界を平定して『オサキ一党の乱』の様な変な争いは、もう二度と起こらない筈だ。そして、この小狐は、その世界に生まれたことを、きっと感謝するのだろう。
 こっちの世界はこれで良い……。

 辰砂は、あっちの世界で……、ちょっと情けない旦那ではあるが、夫婦で幸せに暮らしていくに違いない。
 僕はそう信じている。僕が、後ろ髪を引かれることはもうない……だろう。
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登場人物紹介

新田純一(要鉄男)


元大悪魔。耀公主の能力と伝説の大魔法使いアルウェンの魔法を受け継いでいる超人。現在は別時空に移住し、妻・美菜、娘・有希と平和に暮らしている。

尾崎辰砂(要辰砂)


オサキ四狐のひとり。当初、ラクトバチルスの一員として要鉄男、耀子兄妹と共に戦っていたが、オサキ一党の反乱により敵味方に別れた。決戦の数日前、月宮盈の暗殺を目論むも、逆に捕らえられ、月宮盈に殴り殺された。愛称シンシア。

藤沢耀子(要耀子)


元大悪魔。新田純一と同じ力を持つ超人。オサキ一党の乱のテーク1では月宮盈に焼き殺されるが、やり直しのテーク2でオサキ一党を倒し生き残る。現在、大家族のビッグママとして、日々優雅に暮らしている。

白瀬沼藺


鉄男の恋人であった雷獣・菅原縫絵の生まれ変わり。妖狐の術と雷獣の力を併せ持つ。通称霊狐シラヌイ。

政木狐(大刀自)


仙籍、白面金毛九尾の狐。政木屋敷に住む妖狐界の大立者。

政木大全景元


政木家の妖狐。鉄男と縫絵が政木屋敷を訪れた際は、政木家の次期当主ながら、二度に渡り接待役を務めた。

月宮盈(耀公主)


鉄男たちが住み着いた時空に先住している悪魔殺しの大悪魔。テーク1では玉藻御前の狐火から鉄男を庇い焼死するも、テーク2では鉄男、耀子と組んで玉藻御前を打ち倒した。

要慎之介、照子


ストリートチルドレンだった鉄男と耀子を引き取って自分の子供として育てる。

新田有希


新田純一の娘。

犬里風花(橘風雅)


白瀬沼藺の義理の妹。

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