第8話
文字数 3,514文字
耀子は浮き上がる様に飛んだ。飛んだと言うより、上方にスライドしたと言った方が、その動きのイメージに近いかも知れない。
僕たちを取り囲む正木正規軍は、一万と言いたい所だが、精々二百程度、それも宙に浮かれてしまっては、数のメリットすらも無くなっている。
もし、沼藺に瑞雲に乗る力があれば、空の敵にも対応出来ただろうが、どう見ても、そこまでの能力が有る様には見えない。その力が有るのだったら、相手の力を知り得る耀子が、ここまで沼藺を軽視する筈がないのだ。
そして、それ以上にショックな事態が訪れる。耀子は宙にホバリングした状態で左の拳をこちらに向けたのだ。
僕は反射的に目を閉じて対応したが、全ての狐兵は耀子の動きを捉えようと、耀子を凝視していた。そうなると、耀子の攻撃は相手に決定的なダメージを与えることになる。
次の瞬間、耀子は拳を光らせていた。僕の閉じた目にも、目蓋が赤くなってそのことが分かる程であった。そして、それは夜の闇に調整された彼らの目には、あまりにも強烈過ぎる光であった。
この一撃で、沼藺も含めた狐軍は、完全にその戦闘力を奪われてしまった。後は降りてきた耀子によって、剣を奪われ、その剣で流れ作業でもこなす様に、機械的に腹を裂かれ、首を跳ねられていくだけだった……。
狐軍の兵は、当てずっぽうに刀を振り回す訳にも行かない。周りは仲間だらけなのだ、耀子に当てる前に、自らの刀で仲間を傷付けることになる。狐兵は覚悟を決め、無抵抗に殺されるのを待った。目が一刻も早く回復することを祈りながら……。
これはもう、戦と言うよりは処刑以外の何物でもない。だが、これも僕は止められなかった。そうすることは、未来の僕自身への命乞いの様な気がしたのだ。
「止めなさい。殺るなら……、殺るなら、私から殺しなさい!」
耀子はその叫び声を聞いて、その声の主へと近寄って行く。そして、声の主、沼藺の顔面を刀ではなく、右の拳で打ち砕いた。
「安心しろ……。お前は散々に痛ぶるだけで生かして置いてやる。オサキの里に案内して貰わねばならんからな……」
耀子は崩れ落ちた沼藺を嘲笑い、見下す様な一瞥をくれた。
「ま、部下が身代わりに死んで行くさまを、精々楽しみに眺めているんだな」
こいつ! 幾ら何でも酷すぎるぞ。
「耀子、もう止めろ! お前の勝ちだ」
耀子は僕の方に向いて、今度は僕と話し出した。
「じゃ、次はお前が相手をすると言うのか? だが、もう手加減なぞしないぞ。こいつら、目が見える様になったら、妖怪層に逃げだしてしまうだろうからな」
「いや、もうお前の相手はしないさ……。僕にも勝ち目がないからな。空から光線砲を撃たれたら、避けたとしても町が破壊されるだけだ。空を飛べない今の僕には、対抗する手立てが無い……」
「はははははは。どうやら分かったようだな。お前では、私に敵わないと言うことが」
耀子が僕を嘲笑する。だが、抵抗すればする程、この町が破壊されることになる。僕が殺されれば、それで終わりだ。
「それにしても、お前は、光の大悪魔まで倒したと言うののか……」
「その方法は、お前が教えてくれたのだ」
「僕が?」
「そうだ。私の力は、暗殺するのに最適の能力だとな」
「どう言うことだ?」
「力不足を知った私は、『危機感知』である大悪魔を探した。キングと云う男だ」
キング……。耀公主の属していた悪魔クループのリーダーだ。彼は『魅了』の能力を持ち、何人 も彼を倒すことが出来ない……。
「そして、そいつを見付けると、そいつが無防備に熟睡する時を待った。後は寝所に忍び込み、そいつの額に琰を宛がうだけだ」
「そうやって、次々と……」
「違うな、テツ。その後はもっと簡単だ。私に復讐しようという奴を『魅了』して、並ばせて順番に殺していくだけだ。それで『光線砲』や『気流操作』だけでなく、『変身』や『水中行動』も手に入れたぞ」
僕は絶望に苛まれた。これでは、もう無敵ではないか……。下手 したら、この世界の耀公主より『魅了』がある分、遥かに強いのではないだろうか?
「待ってください。あなたが怨みを持っているのは、オサキ狐だけだと言うではありませんか? オサキの里なら私が案内します。正木家の妖狐は許してやってください!」
突然、沼藺が耀子に提案してきた。
「フフフ、中々話の分かる狐だな。いいだろう。シンシアの首を差し出し、オサキの里をちゃんと案内すれば、私も鬼ではない。残りの正木兵、命だけは助けてやろう……」
何を言い出すんだ、沼藺。それでは、正木の正義は筋が通らなくなってしまうぞ!
「但し、それには条件がある」
「条件?」
「私は何もしていないのに、突然、お前の指示で私は攻撃を受けたのだ。その為、この狐たちは無駄に怪我をしたり命を落とした。だから、私が許しても、こいつらが納得しないだろう? ならば、兵隊にも停戦を納得して貰わんとな……」
何を企んでいるんだ、耀子?
「お前を殴った奴から、妖怪層に戻るのを許可しようと云うだけのことだ。お前に恩を感じているなら、別に弱く触れるだけでも良いのだぞ。勿論、兵隊が思いっきり日頃の恨みを晴らしたいと思っているのだとしたら、お前は甘んじて受けろ……。ま、それが条件だ。どうだ? 簡単な条件だろう?」
「殴るだけですか? 分かりました……。その条件、受けましよう」
沼藺はそう答えた。だが、彼女に本当にその覚悟があったのだろうか……。
「さぁ、お前たちを私にけしかけた、この女が憎いと思ったら、おもいっきり殴れ!」
正木の狐兵は、列を作って次々と沼藺の顔面に拳を叩き込んでいった。
最初、沼藺は「遠慮することはありません」などと言っていたのだが、途中から何も言わなくなった。そう、誰も遠慮などしはしなかったからだ。中には怒りに任せ、沼藺の悪口を言いながら、二発以上殴り付ける者もおり、耀子が止めると云う不可思議な構図になったことすらあった。
そして、兵の全員が妖怪層に戻った時、沼藺の心は、顔形以上にボロボロに崩れてしまっていたのである。
「良いざまだ。兵を助けた後、自分だけが私に討たれて、この負け戦を終わらせようと考えていたんだろうが、残念だったな……。お前がズタボロにまでなってまで守ろうとした正木の兵は、皆お前が嫌いだとよ」
「そんなの……、昔から知っています」
「ん?」
「私は妖狐世界の嫌われ者です……」
「はぁ?」
「私は今でこそ、正木家の養女になりましたが、暗黒の毛色をした醜い化け狐です。それで、兄たちから虐められ、母からも見捨てられ乳も貰えぬ有り様でした」
「嘘を吐くな!」
僕は口を挟まずにはいられなかった。
「耀子、沼藺の言うことは、恐らく本当だと思う。沼藺はその後、妖狐世界に居られなくなってオシラサマに育てられた。だから、姓が正木ではなく、白瀬なのだ……。僕は、そう聞いている……」
「ふん。白々しい……」
だが、そう言う耀子も、沼藺が溢す涙を見て、多分信じてくれたんだと思う。
「今の兵の行動が全てです……」
「あ、あれはだな……」
その後は僕が引き取った。
「兵に『魅了』を掛けたんだろう? それで耀子に危害を加えようとした沼藺を、兵は一時的に憎み、殺す程に力を込めて殴った。違うか? 耀子!」
「ああ、テツ、お前の言う通りだ。この生意気な女隊長様を、少しばかり揶揄ってやりたくなってな……。まさか姫君だとは思わなかったけどな」
大悪魔に戻った奴は、昔の残虐さを取り戻している。もう昔の耀子ではないのか?
「それにしても、知ってて黙って殴らせて置くとは……。テツも、余程この女狐が嫌いだったらしいな……」
まぁ多少はそれもあるが、狐兵を引き揚げさせたかったからな……。
「耀子……。もう、復讐なんて止めろ。お前はどんな妖怪も敵わぬ程、途轍もなく強くなった。それで良いじゃないか?」
「男のお前には分からんのだ。私の受けた屈辱、羞恥と言うものが……。だが、私は死ななかった。オサキどもに復讐するまでは、どうしても死ねなかった。そして、奴らを皆殺しにすることだけを心の支えに、敢えて生き恥を曝したのだ! 私の恨みは、決して消えることはない!」
その時、耀子でも沼藺でもない、別の女の声が聞こえてきた。
「それは女の私になら分かる。生き恥を曝すのが、どんなに辛いかも私は知っている心算。でも……、でも、私を殺すことで、全てを許してあげて欲しい。あの所業に加わったオサキ狐は殆んど戦死した。生き残った奴も、身体に障害を残したまま、オサキの里を出て肩身狭く生きていると思う。オサキの里には、戦に加担した者は誰も住んでない。恨む相手は、もう私だけ……」
僕たちを取り囲む正木正規軍は、一万と言いたい所だが、精々二百程度、それも宙に浮かれてしまっては、数のメリットすらも無くなっている。
もし、沼藺に瑞雲に乗る力があれば、空の敵にも対応出来ただろうが、どう見ても、そこまでの能力が有る様には見えない。その力が有るのだったら、相手の力を知り得る耀子が、ここまで沼藺を軽視する筈がないのだ。
そして、それ以上にショックな事態が訪れる。耀子は宙にホバリングした状態で左の拳をこちらに向けたのだ。
僕は反射的に目を閉じて対応したが、全ての狐兵は耀子の動きを捉えようと、耀子を凝視していた。そうなると、耀子の攻撃は相手に決定的なダメージを与えることになる。
次の瞬間、耀子は拳を光らせていた。僕の閉じた目にも、目蓋が赤くなってそのことが分かる程であった。そして、それは夜の闇に調整された彼らの目には、あまりにも強烈過ぎる光であった。
この一撃で、沼藺も含めた狐軍は、完全にその戦闘力を奪われてしまった。後は降りてきた耀子によって、剣を奪われ、その剣で流れ作業でもこなす様に、機械的に腹を裂かれ、首を跳ねられていくだけだった……。
狐軍の兵は、当てずっぽうに刀を振り回す訳にも行かない。周りは仲間だらけなのだ、耀子に当てる前に、自らの刀で仲間を傷付けることになる。狐兵は覚悟を決め、無抵抗に殺されるのを待った。目が一刻も早く回復することを祈りながら……。
これはもう、戦と言うよりは処刑以外の何物でもない。だが、これも僕は止められなかった。そうすることは、未来の僕自身への命乞いの様な気がしたのだ。
「止めなさい。殺るなら……、殺るなら、私から殺しなさい!」
耀子はその叫び声を聞いて、その声の主へと近寄って行く。そして、声の主、沼藺の顔面を刀ではなく、右の拳で打ち砕いた。
「安心しろ……。お前は散々に痛ぶるだけで生かして置いてやる。オサキの里に案内して貰わねばならんからな……」
耀子は崩れ落ちた沼藺を嘲笑い、見下す様な一瞥をくれた。
「ま、部下が身代わりに死んで行くさまを、精々楽しみに眺めているんだな」
こいつ! 幾ら何でも酷すぎるぞ。
「耀子、もう止めろ! お前の勝ちだ」
耀子は僕の方に向いて、今度は僕と話し出した。
「じゃ、次はお前が相手をすると言うのか? だが、もう手加減なぞしないぞ。こいつら、目が見える様になったら、妖怪層に逃げだしてしまうだろうからな」
「いや、もうお前の相手はしないさ……。僕にも勝ち目がないからな。空から光線砲を撃たれたら、避けたとしても町が破壊されるだけだ。空を飛べない今の僕には、対抗する手立てが無い……」
「はははははは。どうやら分かったようだな。お前では、私に敵わないと言うことが」
耀子が僕を嘲笑する。だが、抵抗すればする程、この町が破壊されることになる。僕が殺されれば、それで終わりだ。
「それにしても、お前は、光の大悪魔まで倒したと言うののか……」
「その方法は、お前が教えてくれたのだ」
「僕が?」
「そうだ。私の力は、暗殺するのに最適の能力だとな」
「どう言うことだ?」
「力不足を知った私は、『危機感知』である大悪魔を探した。キングと云う男だ」
キング……。耀公主の属していた悪魔クループのリーダーだ。彼は『魅了』の能力を持ち、
「そして、そいつを見付けると、そいつが無防備に熟睡する時を待った。後は寝所に忍び込み、そいつの額に琰を宛がうだけだ」
「そうやって、次々と……」
「違うな、テツ。その後はもっと簡単だ。私に復讐しようという奴を『魅了』して、並ばせて順番に殺していくだけだ。それで『光線砲』や『気流操作』だけでなく、『変身』や『水中行動』も手に入れたぞ」
僕は絶望に苛まれた。これでは、もう無敵ではないか……。
「待ってください。あなたが怨みを持っているのは、オサキ狐だけだと言うではありませんか? オサキの里なら私が案内します。正木家の妖狐は許してやってください!」
突然、沼藺が耀子に提案してきた。
「フフフ、中々話の分かる狐だな。いいだろう。シンシアの首を差し出し、オサキの里をちゃんと案内すれば、私も鬼ではない。残りの正木兵、命だけは助けてやろう……」
何を言い出すんだ、沼藺。それでは、正木の正義は筋が通らなくなってしまうぞ!
「但し、それには条件がある」
「条件?」
「私は何もしていないのに、突然、お前の指示で私は攻撃を受けたのだ。その為、この狐たちは無駄に怪我をしたり命を落とした。だから、私が許しても、こいつらが納得しないだろう? ならば、兵隊にも停戦を納得して貰わんとな……」
何を企んでいるんだ、耀子?
「お前を殴った奴から、妖怪層に戻るのを許可しようと云うだけのことだ。お前に恩を感じているなら、別に弱く触れるだけでも良いのだぞ。勿論、兵隊が思いっきり日頃の恨みを晴らしたいと思っているのだとしたら、お前は甘んじて受けろ……。ま、それが条件だ。どうだ? 簡単な条件だろう?」
「殴るだけですか? 分かりました……。その条件、受けましよう」
沼藺はそう答えた。だが、彼女に本当にその覚悟があったのだろうか……。
「さぁ、お前たちを私にけしかけた、この女が憎いと思ったら、おもいっきり殴れ!」
正木の狐兵は、列を作って次々と沼藺の顔面に拳を叩き込んでいった。
最初、沼藺は「遠慮することはありません」などと言っていたのだが、途中から何も言わなくなった。そう、誰も遠慮などしはしなかったからだ。中には怒りに任せ、沼藺の悪口を言いながら、二発以上殴り付ける者もおり、耀子が止めると云う不可思議な構図になったことすらあった。
そして、兵の全員が妖怪層に戻った時、沼藺の心は、顔形以上にボロボロに崩れてしまっていたのである。
「良いざまだ。兵を助けた後、自分だけが私に討たれて、この負け戦を終わらせようと考えていたんだろうが、残念だったな……。お前がズタボロにまでなってまで守ろうとした正木の兵は、皆お前が嫌いだとよ」
「そんなの……、昔から知っています」
「ん?」
「私は妖狐世界の嫌われ者です……」
「はぁ?」
「私は今でこそ、正木家の養女になりましたが、暗黒の毛色をした醜い化け狐です。それで、兄たちから虐められ、母からも見捨てられ乳も貰えぬ有り様でした」
「嘘を吐くな!」
僕は口を挟まずにはいられなかった。
「耀子、沼藺の言うことは、恐らく本当だと思う。沼藺はその後、妖狐世界に居られなくなってオシラサマに育てられた。だから、姓が正木ではなく、白瀬なのだ……。僕は、そう聞いている……」
「ふん。白々しい……」
だが、そう言う耀子も、沼藺が溢す涙を見て、多分信じてくれたんだと思う。
「今の兵の行動が全てです……」
「あ、あれはだな……」
その後は僕が引き取った。
「兵に『魅了』を掛けたんだろう? それで耀子に危害を加えようとした沼藺を、兵は一時的に憎み、殺す程に力を込めて殴った。違うか? 耀子!」
「ああ、テツ、お前の言う通りだ。この生意気な女隊長様を、少しばかり揶揄ってやりたくなってな……。まさか姫君だとは思わなかったけどな」
大悪魔に戻った奴は、昔の残虐さを取り戻している。もう昔の耀子ではないのか?
「それにしても、知ってて黙って殴らせて置くとは……。テツも、余程この女狐が嫌いだったらしいな……」
まぁ多少はそれもあるが、狐兵を引き揚げさせたかったからな……。
「耀子……。もう、復讐なんて止めろ。お前はどんな妖怪も敵わぬ程、途轍もなく強くなった。それで良いじゃないか?」
「男のお前には分からんのだ。私の受けた屈辱、羞恥と言うものが……。だが、私は死ななかった。オサキどもに復讐するまでは、どうしても死ねなかった。そして、奴らを皆殺しにすることだけを心の支えに、敢えて生き恥を曝したのだ! 私の恨みは、決して消えることはない!」
その時、耀子でも沼藺でもない、別の女の声が聞こえてきた。
「それは女の私になら分かる。生き恥を曝すのが、どんなに辛いかも私は知っている心算。でも……、でも、私を殺すことで、全てを許してあげて欲しい。あの所業に加わったオサキ狐は殆んど戦死した。生き残った奴も、身体に障害を残したまま、オサキの里を出て肩身狭く生きていると思う。オサキの里には、戦に加担した者は誰も住んでない。恨む相手は、もう私だけ……」