第4話
文字数 3,499文字
政木屋敷は、妖怪層と云う人間層とは別の層 に存在する。
僕にはそこが人間層のどの場所と対になっているのか知っていないし、抑々 妖怪でない僕には、妖怪層は彼らの助け無しには自由に行き来できない場所なのだ。
それに加え、政木の領地に入るには選ばれた一部の妖狐しか使うことが出来ない特別な『狐の抜け穴』が必要で、『狐の抜け穴』を使えた頃の辰砂にも、ここは勝手に訪れることが出来ない場所でもあった……。
今回、僕たちは不浄門から政木屋敷に入城させられた。これだけでも、僕らに対する政木の扱いが分かろうと云うものである。
まぁ、どこから入っても、結局、控えの間で長々と待たされることには間違いない。別に僕が驚くことではなかった。
そうして、例によって散々迂回して歩き回された挙げ句、松の廊下の先にある、蝋燭のみが灯る暗い控えの間へと通される。これも予想通りだ。
ここでは格式に従って、スペースが与えられる。僕たちには一畳。まぁそんなものだろう。別に長持を持って来ている訳でもないし、それで僕らには充分だ。
だが、ここで予想に反した事が起こる。
半日は待たされると思っていたのだが、意外にも数分と待たずに案内の腰元狐が現れ、僕たちを大広間へと誘ったのである。それに驚きながらも、僕と辰砂は、それに従い、政木の大刀自が待つであろう大広間へと向かうことにした。
政木屋敷大広間……。この何百畳もある大広間でも、僕たちは意外な光景を目にすることになる。本来ならば、両側には運動会の父兄の様に重臣狐どもが列をなして控えている筈だが、今は誰一人控えていない。只、正面の一段高い場所には、いつも通りの御簾が下げられていて、中がハッキリと見えない様にだけはなっている。
僕と辰砂は正面の手前まで進み、そこに座って頭を下げた。
「御簾を上げよ」
政木の大刀自の声が響く。それに従って御簾が上げられ、上の間に、虎ほどもある大狐と、人間の服を纏い、頭だけ狐の狐人間が二人いるのが僕の目に映ってくる。
狐人間の一人は政木大全景元。下駄顔に裃の侍狐。もう一人は、気品ある着物を身に纏った黒毛の姫狐。狐の顔を見るのは初めてだが、恐らく彼女こそ白瀬沼藺そのひとであろう。そして中央には、この屋敷で狐の姿を隠さない唯一の妖狐、政木狐が物憂い目で座していた。
「態々お呼び立てして済みませんね」
政木狐は慇懃に僕たちに言葉を掛けてくる。だが、この優しい声に誑かされてはいけない。僕は場合に由って、この恐ろしい妖狐から辰砂を護らなければならないのだ。
「そのお気持ちはご立派ですけど、もう少しお気持ちに余裕を持った方が良ござんすよ。見ただけで、何をお考えか筒抜けです。それでは私を倒すなど、凡そ夢のまた夢……」
しまった。政木狐が相手の心の内が読めるのを忘れていた……。
「無礼者! 大刀自様に……」
沼藺がそう言って立ち上がろうとするのを政木狐は押し留めた。
「良いのです」
そして、僕に向かって言葉を継いだ。
「新田様、あなたも落ち着いて話をお聴きなさいませな」
僕は思わず表情を変えてしまっていた。そして、口を結び直し、政木狐に低く呟いた。
「そうだったのですね。大刀自、あなたがこの時間操作の元凶だった訳なのですね……」
新田と云うのは、消えてしまった未来の僕の名字だ。僕が新田純一だったと云うことを知っていると云うことは、消えてしまった未来の存在を知っている。即ち、僕の時間を戻し、別の未来に変えてしまった犯人は、政木狐だと云うことだ!
僕は殺気を隠し得てはいなかったと思う。それ程、興奮して頭に血が登っていた。そんな雰囲気を察したのか、大全さんが場を和ませようと口を挟む。
「そうですねぇ。要殿は初めてでしたよね。これが政木家の養女に入った沼藺です。以後お見知り置きを……」
そんなことは僕には分かっている。それより、政木の大刀自が何を企んでいるかだ!!
「兄上! この様な無礼者に、私の名など伝える必要はありません!」
殺気立つ僕と沼藺。茫然とする辰砂と大全さん。この状況に、始末に負えないとばかりに政木狐は大きな嘆息を漏らす。
「大全、こちらは沼藺のこと、そなた以上に御存知じゃ。沼藺も新田様も落ち着きなさいませ。新田様、その様に興奮なされては、分かることも分からなくなりましょう」
僕は確かに興奮している。だが、興奮するなと言う方が無理なのだ。この訳の分からない状況を、政木狐が何故作り出したのかが分からなければ……。
「私が作り出したんじゃござんせんよ。これは確かに妖怪が絡んでおりますが、あなた自身がお作りになったことです」
「僕が?」
「そうです。妖怪にうしろ神と云うのが居りましてね。そいつがあなたの後悔に反応したんでござんすよ」
何だって?!
この現象が僕のせいだと言うのか? 確かに僕は、縫絵さんを引き留め、死の原因を作ってしまったことを後悔した。でも、縫絵さんの『思い出』に説得され、彼女の言葉に従い時間を戻すのを諦めたのだ。それに、仮に僕がこれをしたのだとしても、この未来では、縫絵さんは死んだままで、何も変わっていないじゃないか……。
「縫絵殿ではありません。今の奥様のことでごさんすよ……。新田様は、辰砂が拷問の上で殺されたことに後悔を感じていた。そして、あなたが耀子さんを助けたばかりに、辰砂が身代わりになったことに良心の呵責を感じ続けていた。その気持ちに、うしろ神が反応しちまったんでござんすよ」
そ、そんな……。
僕が元凶だと言うのか……。
「あなたがたが二人とも納得すれば、この世界のあなたと新田様は元に戻る筈なんでござんすけどね」
「?」
「こっちのあなたも、偽玉藻御前の提案に従わなかったことに後悔してたんでござんすよ。それで耀子さんや盈さんが助からなかったんじゃないかってね」
まぁその通りかも知れない。だが、それは仕方のないことだ。何かを得れば何かを失う。結果の損得勘定は、得たもの失ったものの評価でも異なってくる。決断が正解であると云う保証など、誰にも、どこにも無い。
「その通りです。あなたは、あなたの選んだ未来に納得すべきなんです。それはこちらのあなたにも言えること……」
そうだな。僕は僕の選んだ未来を生きるべきなのだ。そうしないと、僕のせいで有希とかが消滅してしまうことになる。生まれてきた以上、それらは守られるべきものなのだ。
だが、僕が元の世界を望んだら、今度はこの世界が消滅してしまうのではないか? 辰砂とか、折角平和に暮らしているのに、その暮らしを無かったことにしてしまうのではないのか?
「ご安心なさいませ。この世界はこの世界で存在し続けますよ」
「えっ?」
「未来はひとつではないのです。新田様の生きている未来も、要様が辰砂さんと結婚された未来も存在しているのです。勿論、新田様は新田純一が生きている未来しか生きられませんけどね……」
何か良く分からないが、僕が自分の未来を選んだとしても、辰砂が消滅することはないらしい……。良かった……。
「大刀自様、ありがとうございます。大刀自様はそれを伝えに、態々僕を呼んでくださったのですか?」
「いいえ、勿論違います。それは事のついでですよ。では本題に入りましょうか……」
そうだ、心して掛からなければならない。相手は政木の大刀自なのだ。さっきの話だって僕は軽々しく信じたけど、僕の望む様な説を話し、僕が信じ易い様にしただけなのかも知れないじゃないか……。
「はぁ~、まぁいいでしょう……」
ここで沼藺が、僕がいることを余程不満に思っているのか、クレームを挟んでくる。
「大刀自様、この者、重臣まで席を外させての軍議に参加させる程の者なのですか?」
「沼藺、こちらは新田純一さんと仰有って、今は力を少し失っているけど、それでも世界を一瞬で滅ぼすだけの力はお持ちの方ですよ。それに、今回の危機はこの方に関係の深いものですからね。お話しをしない訳には参りません」
そして僕に向かって、政木狐は一言だけ僕に釘を差してきた。
「新田様、沼藺の無礼はご容赦くださいな。この娘は何も知らないのです。この前の法要には要様をお呼びしていませんしね……。ですが、態々教えてやろうなんて思わないでくださいましな。良ござんしょう? お互い無礼講と云う形でお話したいですし……」
政木狐は、僕が実力を見せようと、手荒な真似をしようなんて思うなよ……と言った様にみせて、実は別のことを僕に伝えていた。
沼藺に前世の事や、僕の世界では付き合っていたこともあり、婚約者同士だったなどとは、決して言うなと……。
僕にはそこが人間層のどの場所と対になっているのか知っていないし、
それに加え、政木の領地に入るには選ばれた一部の妖狐しか使うことが出来ない特別な『狐の抜け穴』が必要で、『狐の抜け穴』を使えた頃の辰砂にも、ここは勝手に訪れることが出来ない場所でもあった……。
今回、僕たちは不浄門から政木屋敷に入城させられた。これだけでも、僕らに対する政木の扱いが分かろうと云うものである。
まぁ、どこから入っても、結局、控えの間で長々と待たされることには間違いない。別に僕が驚くことではなかった。
そうして、例によって散々迂回して歩き回された挙げ句、松の廊下の先にある、蝋燭のみが灯る暗い控えの間へと通される。これも予想通りだ。
ここでは格式に従って、スペースが与えられる。僕たちには一畳。まぁそんなものだろう。別に長持を持って来ている訳でもないし、それで僕らには充分だ。
だが、ここで予想に反した事が起こる。
半日は待たされると思っていたのだが、意外にも数分と待たずに案内の腰元狐が現れ、僕たちを大広間へと誘ったのである。それに驚きながらも、僕と辰砂は、それに従い、政木の大刀自が待つであろう大広間へと向かうことにした。
政木屋敷大広間……。この何百畳もある大広間でも、僕たちは意外な光景を目にすることになる。本来ならば、両側には運動会の父兄の様に重臣狐どもが列をなして控えている筈だが、今は誰一人控えていない。只、正面の一段高い場所には、いつも通りの御簾が下げられていて、中がハッキリと見えない様にだけはなっている。
僕と辰砂は正面の手前まで進み、そこに座って頭を下げた。
「御簾を上げよ」
政木の大刀自の声が響く。それに従って御簾が上げられ、上の間に、虎ほどもある大狐と、人間の服を纏い、頭だけ狐の狐人間が二人いるのが僕の目に映ってくる。
狐人間の一人は政木大全景元。下駄顔に裃の侍狐。もう一人は、気品ある着物を身に纏った黒毛の姫狐。狐の顔を見るのは初めてだが、恐らく彼女こそ白瀬沼藺そのひとであろう。そして中央には、この屋敷で狐の姿を隠さない唯一の妖狐、政木狐が物憂い目で座していた。
「態々お呼び立てして済みませんね」
政木狐は慇懃に僕たちに言葉を掛けてくる。だが、この優しい声に誑かされてはいけない。僕は場合に由って、この恐ろしい妖狐から辰砂を護らなければならないのだ。
「そのお気持ちはご立派ですけど、もう少しお気持ちに余裕を持った方が良ござんすよ。見ただけで、何をお考えか筒抜けです。それでは私を倒すなど、凡そ夢のまた夢……」
しまった。政木狐が相手の心の内が読めるのを忘れていた……。
「無礼者! 大刀自様に……」
沼藺がそう言って立ち上がろうとするのを政木狐は押し留めた。
「良いのです」
そして、僕に向かって言葉を継いだ。
「新田様、あなたも落ち着いて話をお聴きなさいませな」
僕は思わず表情を変えてしまっていた。そして、口を結び直し、政木狐に低く呟いた。
「そうだったのですね。大刀自、あなたがこの時間操作の元凶だった訳なのですね……」
新田と云うのは、消えてしまった未来の僕の名字だ。僕が新田純一だったと云うことを知っていると云うことは、消えてしまった未来の存在を知っている。即ち、僕の時間を戻し、別の未来に変えてしまった犯人は、政木狐だと云うことだ!
僕は殺気を隠し得てはいなかったと思う。それ程、興奮して頭に血が登っていた。そんな雰囲気を察したのか、大全さんが場を和ませようと口を挟む。
「そうですねぇ。要殿は初めてでしたよね。これが政木家の養女に入った沼藺です。以後お見知り置きを……」
そんなことは僕には分かっている。それより、政木の大刀自が何を企んでいるかだ!!
「兄上! この様な無礼者に、私の名など伝える必要はありません!」
殺気立つ僕と沼藺。茫然とする辰砂と大全さん。この状況に、始末に負えないとばかりに政木狐は大きな嘆息を漏らす。
「大全、こちらは沼藺のこと、そなた以上に御存知じゃ。沼藺も新田様も落ち着きなさいませ。新田様、その様に興奮なされては、分かることも分からなくなりましょう」
僕は確かに興奮している。だが、興奮するなと言う方が無理なのだ。この訳の分からない状況を、政木狐が何故作り出したのかが分からなければ……。
「私が作り出したんじゃござんせんよ。これは確かに妖怪が絡んでおりますが、あなた自身がお作りになったことです」
「僕が?」
「そうです。妖怪にうしろ神と云うのが居りましてね。そいつがあなたの後悔に反応したんでござんすよ」
何だって?!
この現象が僕のせいだと言うのか? 確かに僕は、縫絵さんを引き留め、死の原因を作ってしまったことを後悔した。でも、縫絵さんの『思い出』に説得され、彼女の言葉に従い時間を戻すのを諦めたのだ。それに、仮に僕がこれをしたのだとしても、この未来では、縫絵さんは死んだままで、何も変わっていないじゃないか……。
「縫絵殿ではありません。今の奥様のことでごさんすよ……。新田様は、辰砂が拷問の上で殺されたことに後悔を感じていた。そして、あなたが耀子さんを助けたばかりに、辰砂が身代わりになったことに良心の呵責を感じ続けていた。その気持ちに、うしろ神が反応しちまったんでござんすよ」
そ、そんな……。
僕が元凶だと言うのか……。
「あなたがたが二人とも納得すれば、この世界のあなたと新田様は元に戻る筈なんでござんすけどね」
「?」
「こっちのあなたも、偽玉藻御前の提案に従わなかったことに後悔してたんでござんすよ。それで耀子さんや盈さんが助からなかったんじゃないかってね」
まぁその通りかも知れない。だが、それは仕方のないことだ。何かを得れば何かを失う。結果の損得勘定は、得たもの失ったものの評価でも異なってくる。決断が正解であると云う保証など、誰にも、どこにも無い。
「その通りです。あなたは、あなたの選んだ未来に納得すべきなんです。それはこちらのあなたにも言えること……」
そうだな。僕は僕の選んだ未来を生きるべきなのだ。そうしないと、僕のせいで有希とかが消滅してしまうことになる。生まれてきた以上、それらは守られるべきものなのだ。
だが、僕が元の世界を望んだら、今度はこの世界が消滅してしまうのではないか? 辰砂とか、折角平和に暮らしているのに、その暮らしを無かったことにしてしまうのではないのか?
「ご安心なさいませ。この世界はこの世界で存在し続けますよ」
「えっ?」
「未来はひとつではないのです。新田様の生きている未来も、要様が辰砂さんと結婚された未来も存在しているのです。勿論、新田様は新田純一が生きている未来しか生きられませんけどね……」
何か良く分からないが、僕が自分の未来を選んだとしても、辰砂が消滅することはないらしい……。良かった……。
「大刀自様、ありがとうございます。大刀自様はそれを伝えに、態々僕を呼んでくださったのですか?」
「いいえ、勿論違います。それは事のついでですよ。では本題に入りましょうか……」
そうだ、心して掛からなければならない。相手は政木の大刀自なのだ。さっきの話だって僕は軽々しく信じたけど、僕の望む様な説を話し、僕が信じ易い様にしただけなのかも知れないじゃないか……。
「はぁ~、まぁいいでしょう……」
ここで沼藺が、僕がいることを余程不満に思っているのか、クレームを挟んでくる。
「大刀自様、この者、重臣まで席を外させての軍議に参加させる程の者なのですか?」
「沼藺、こちらは新田純一さんと仰有って、今は力を少し失っているけど、それでも世界を一瞬で滅ぼすだけの力はお持ちの方ですよ。それに、今回の危機はこの方に関係の深いものですからね。お話しをしない訳には参りません」
そして僕に向かって、政木狐は一言だけ僕に釘を差してきた。
「新田様、沼藺の無礼はご容赦くださいな。この娘は何も知らないのです。この前の法要には要様をお呼びしていませんしね……。ですが、態々教えてやろうなんて思わないでくださいましな。良ござんしょう? お互い無礼講と云う形でお話したいですし……」
政木狐は、僕が実力を見せようと、手荒な真似をしようなんて思うなよ……と言った様にみせて、実は別のことを僕に伝えていた。
沼藺に前世の事や、僕の世界では付き合っていたこともあり、婚約者同士だったなどとは、決して言うなと……。