2-21 最後のチャンス
文字数 3,539文字
二階建ての白亜の建物。 ツヴァイスが軍港内につくらせた“別荘”だ。
見晴しの良い小高い丘の上にそれはあった。
彼はいつもここで書類仕事をするという。
玄関では黒いベストと上着を纏った初老の執事がシャインを待っていた。
名を告げようとすると、執事は「伺っております」と丁寧に答え扉を開けてくれた。どうやら彼はツヴァイスが個人で雇っている執事なのだろう。
建物の中に入るときらきらと瞬く光が飛び込んできた。
思わずシャインは目を細めた。
広いエントランスホールの中央には二階への階段があり、天井に吊るされた水晶のシャンデリアが、階段の踊り場から入る太陽光を反射させていた。
その光のシャワーに目が慣れると、壁沿いに趣味の良い骨董品が整然と並んでいるのが見えた。磁器の壺に金粉や銀粉を贅沢に使用し、緻密なタッチで女性や植物の絵柄が描かれている。作風はエルシーアではなく、東方連国を思わせるものばかりだ。白を基調とした室内はとても明るく、そして静かだった。
「マントをお預かりします」
「どうも……」
階段の前で待機していた小柄の女性がシャインに話しかけた。三十代ぐらいの大人しい雰囲気の女性だ。彼女もツヴァイスが雇っている使用人らしい。
シャインは留め紐を外して彼女にそれを渡すと、執事に先導されながら階段へ歩いていった。
まるで、教会みたいだ。
二階に上がり、色とりどりのステンドグラスがはめられた廊下を執事の後について歩きながら、シャインは屋敷にそんな印象を持った。
やがて廊下は観音開きの扉で終わった。ノックをして執事が部屋に入り、主人であるツヴァイスにシャインの来訪を告げる。シャインを通すよう返事をするツヴァイスの落ち着いた声が聞こえた。
「どうぞお入りください]
「ありがとう」
執事に軽く会釈し、シャインはツヴァイスの執務室へ足を踏み入れた。
「失礼します」
ツヴァイスは部屋の奥の執務席に座っていた。
将官が着用する黒の軍服に三本の金鎖を肩から胸に這わせている。彼はエルシーア海軍で一番若い中将だった。
ツヴァイスが手招きしたので、シャインは彼の机の前まで来るとそこで立ち止まり一礼した。
ツヴァイスは銀縁の眼鏡に手をやり、軽く嘆息するとシャインをじっと眺めた。
薄い唇が皮肉屋を思わせるように歪む。
「私が君を呼び出した理由はわかっているだろうね?」
「はい」
本当の所は憶測だが。
捕縛命令が出ているストームがアバディーン商船を襲撃したのだ。
ツヴァイスとしては、ストームを捕らえるにあたってシャインが何をしているのか、その進捗状況を知りたい事だろう。
「ストームがアバディーン商船を襲ったことは元より――興味深い話を小耳にはさんだのだ」
ツヴァイスはほっそりとした両手の指を突き合わせ、シャインの表情を伺うように見上げた。
「海賊ジャヴィールという新参者の海賊が、このジェミナ・クラスの海に現れた。なんでもその海賊の乗っている船が――船体は碧海色に金色の三本マストという――君のロワールハイネス号にそっくりな船なのだよ」
「そうなのですか」
シャインはうそぶいた。ツヴァイスが言わんとすることに察しはついている。シャインは平静を保とうと意識した。抑揚のない声でツヴァイスが言葉を続ける。
「私は海賊拿捕専門艦隊『ノーブルブルー』の艦隊責任者だからな。新参者の海賊の情報は常に得るようにしている。だから勿論、ストームの襲撃を受けたアバディーン商船の船長および社長。海賊ジャヴィールの襲撃を受けたエルンスト商船の船長の調書はすでにとってある」
――早い。昨日の今日だというのに。
シャインは目を見張った。驚きの声を出すのはなんとか止めることができたが。
ツヴァイスはシャインの動揺を察したようだった。
「海賊どもの縄張り争いは熾烈だ。ストームをおびき寄せる作戦としてはいい狙いだが、海賊ジャヴィールの正体が海軍の船だったという醜聞は困る。海賊と海軍が手を組んでいる――世間にそう思われても仕方がないぞ。君がやったことはな」
困ったことになった。
ツヴァイスはそう口に出さないが、態度でシャインにそれを示した。
気だるげに眼鏡の奥の瞳が細められる。
「この計画は君の立案か? それとも部下の誰かか?」
「俺の立案です。部下は俺の指示に従っただけです」
「そうか」
ふっと軽く息を吐き、シャインを見つめるツヴァイスから親愛の情が失せた。
その薄紫色の瞳はシャインへ厳しい光を放っている。
「最近出没している東の海の海賊船団に、ジェミナ・クラスの船主や領民達は不安を抱いている。そんな時に『海賊ジャヴィール』というのが現れた。君が海軍の船で海賊行為を働いた事実を、私は看過するわけにはいかない」
「ツヴァイス司令……」
シャインは手袋をはめた両手をぎゅっと握りしめた。
「閣下の了解を得ずに軽率な行動をとったこと――お詫びいたします」
「……」
ツヴァイスは両腕を組んで暫し沈黙していた。
シャインもまたこの重苦しい沈黙と間に耐えるしかなかった。
弁解はしない。
その覚悟はしていたのだ。
「私が海軍省へ報告する前に、君から辞職を申し出る方がよいだろう」
「……」
万事休す。
言い訳はできない。確かに自分の取った行動は、ジェミナ・クラスの領民は元より、エルシーア国民全体へ海軍の不祥事として認識されるのだ。
シャインは無意識の内に視線を床へと落としていた。
「――あと、
ツヴァイスが何か言っている。
けれどシャインの耳はそれについて注意を払わなかった。
ロワールハイネス号を降ろされることについて、覚悟はしていても、現実味を帯びたその事実に自分でも驚くほど動揺しているからだ。
ふっと脳裏に黄昏色の髪を靡かせたロワールの笑顔が浮かんだ。
彼女の顔ももう見られなくなるのか。
世界は再び色を失う――。
「グラヴェール艦長」
シャインははっと顔を上げた。
席を立ったツヴァイスがシャインを見下ろしていた。
正確にはシャインの顔を覗き込んでいた。
「心ここに有らずか。まあ聞きたまえ。私は『今すぐ』君を懲戒処分にすると言ってはいない」
「……それは……どういう……」
ツヴァイスの薄い唇が笑みを浮かべた。
「ストームの居場所の目星はついているのか?」
シャインはルシータ通りへ行ったシルフィードの事を思った。
彼は自ら進んで危地へ行ったのだ。
何のために?
それは勿論、ストームを捕らえるため。結果としてはシャインのためである。
まだ耳に、馬車を降りる時に交わしたシルフィードの言葉が残っている。
今夜は皆と一緒に夕食を食べて、ストームをどうすれば捕らえることができるか考えるのだ。
「目星はついています」
シャインが今言うべき言葉はそれしかなかった。
シルフィードの決死の行為を無にしないためにも。
「そうか――それならば」
ツヴァイスはシャインから離れ、港を一望できる窓際へと歩いた。
夕暮れに沈むそれを見つめながら、彼が信じられない言葉を口にした。
「君の懲戒処分を後二日延ばすことにする。ストームをもしも捕らえることができたら、その処分は取り消す」
「えっ」
シャインは耳を疑った。
ツヴァイスは振り返った。軽くため息をつきシャインへ肩をすくめてみせた。
「ストームを捕らえたら、『海賊ジャヴィール』もこのジェミナ・クラスの海から消えるからな。その正体が知られる前にストームを捕縛すれば、君の責を問うことはない」
シャインはツヴァイスに深く頭を垂れた。
「ありがとうございます」
「……喜ぶのはまだ早い」
冷えた声でツヴァイスが呟いた。
「私は君が思っているほど優しい人間ではない。期限はあと二日だ。それを延ばすつもりはない」
「いいえ。それだけあれば十分です。では閣下、俺はこれで失礼させていただいてよろしいでしょうか」
「待ちたまえ」
ツヴァイスが執務机へ戻り、机上に置いてある書類入れを手に取った。
「ストームに襲われたアバディーン商船の調書だ。持ち出しは禁じるが内容を見るのは構わない」
「ツヴァイス司令……」
シャインは手渡された書類入れを受け取った。
「君にストーム捕縛命令を出したときに私は言った。情報は提供すると」
自分は優しい人間ではない。
そう自ら言い放つ割に、ツヴァイスは楽しげな表情を浮かべていた。
多分、彼には看破されているのだろう。シャインの目星がついているという発言は「はったり」で、あと二日でストームを捕らえることはできないと。
「ありがとうございます。それではこれを読む時間をいただいてよろしいでしょうか」
「いいだろう。そこの机を使えばいい」
ツヴァイスが窓際の本棚にある読書台を指差した。
見晴しの良い小高い丘の上にそれはあった。
彼はいつもここで書類仕事をするという。
玄関では黒いベストと上着を纏った初老の執事がシャインを待っていた。
名を告げようとすると、執事は「伺っております」と丁寧に答え扉を開けてくれた。どうやら彼はツヴァイスが個人で雇っている執事なのだろう。
建物の中に入るときらきらと瞬く光が飛び込んできた。
思わずシャインは目を細めた。
広いエントランスホールの中央には二階への階段があり、天井に吊るされた水晶のシャンデリアが、階段の踊り場から入る太陽光を反射させていた。
その光のシャワーに目が慣れると、壁沿いに趣味の良い骨董品が整然と並んでいるのが見えた。磁器の壺に金粉や銀粉を贅沢に使用し、緻密なタッチで女性や植物の絵柄が描かれている。作風はエルシーアではなく、東方連国を思わせるものばかりだ。白を基調とした室内はとても明るく、そして静かだった。
「マントをお預かりします」
「どうも……」
階段の前で待機していた小柄の女性がシャインに話しかけた。三十代ぐらいの大人しい雰囲気の女性だ。彼女もツヴァイスが雇っている使用人らしい。
シャインは留め紐を外して彼女にそれを渡すと、執事に先導されながら階段へ歩いていった。
まるで、教会みたいだ。
二階に上がり、色とりどりのステンドグラスがはめられた廊下を執事の後について歩きながら、シャインは屋敷にそんな印象を持った。
やがて廊下は観音開きの扉で終わった。ノックをして執事が部屋に入り、主人であるツヴァイスにシャインの来訪を告げる。シャインを通すよう返事をするツヴァイスの落ち着いた声が聞こえた。
「どうぞお入りください]
「ありがとう」
執事に軽く会釈し、シャインはツヴァイスの執務室へ足を踏み入れた。
「失礼します」
ツヴァイスは部屋の奥の執務席に座っていた。
将官が着用する黒の軍服に三本の金鎖を肩から胸に這わせている。彼はエルシーア海軍で一番若い中将だった。
ツヴァイスが手招きしたので、シャインは彼の机の前まで来るとそこで立ち止まり一礼した。
ツヴァイスは銀縁の眼鏡に手をやり、軽く嘆息するとシャインをじっと眺めた。
薄い唇が皮肉屋を思わせるように歪む。
「私が君を呼び出した理由はわかっているだろうね?」
「はい」
本当の所は憶測だが。
捕縛命令が出ているストームがアバディーン商船を襲撃したのだ。
ツヴァイスとしては、ストームを捕らえるにあたってシャインが何をしているのか、その進捗状況を知りたい事だろう。
「ストームがアバディーン商船を襲ったことは元より――興味深い話を小耳にはさんだのだ」
ツヴァイスはほっそりとした両手の指を突き合わせ、シャインの表情を伺うように見上げた。
「海賊ジャヴィールという新参者の海賊が、このジェミナ・クラスの海に現れた。なんでもその海賊の乗っている船が――船体は碧海色に金色の三本マストという――君のロワールハイネス号にそっくりな船なのだよ」
「そうなのですか」
シャインはうそぶいた。ツヴァイスが言わんとすることに察しはついている。シャインは平静を保とうと意識した。抑揚のない声でツヴァイスが言葉を続ける。
「私は海賊拿捕専門艦隊『ノーブルブルー』の艦隊責任者だからな。新参者の海賊の情報は常に得るようにしている。だから勿論、ストームの襲撃を受けたアバディーン商船の船長および社長。海賊ジャヴィールの襲撃を受けたエルンスト商船の船長の調書はすでにとってある」
――早い。昨日の今日だというのに。
シャインは目を見張った。驚きの声を出すのはなんとか止めることができたが。
ツヴァイスはシャインの動揺を察したようだった。
「海賊どもの縄張り争いは熾烈だ。ストームをおびき寄せる作戦としてはいい狙いだが、海賊ジャヴィールの正体が海軍の船だったという醜聞は困る。海賊と海軍が手を組んでいる――世間にそう思われても仕方がないぞ。君がやったことはな」
困ったことになった。
ツヴァイスはそう口に出さないが、態度でシャインにそれを示した。
気だるげに眼鏡の奥の瞳が細められる。
「この計画は君の立案か? それとも部下の誰かか?」
「俺の立案です。部下は俺の指示に従っただけです」
「そうか」
ふっと軽く息を吐き、シャインを見つめるツヴァイスから親愛の情が失せた。
その薄紫色の瞳はシャインへ厳しい光を放っている。
「最近出没している東の海の海賊船団に、ジェミナ・クラスの船主や領民達は不安を抱いている。そんな時に『海賊ジャヴィール』というのが現れた。君が海軍の船で海賊行為を働いた事実を、私は看過するわけにはいかない」
「ツヴァイス司令……」
シャインは手袋をはめた両手をぎゅっと握りしめた。
「閣下の了解を得ずに軽率な行動をとったこと――お詫びいたします」
「……」
ツヴァイスは両腕を組んで暫し沈黙していた。
シャインもまたこの重苦しい沈黙と間に耐えるしかなかった。
弁解はしない。
その覚悟はしていたのだ。
「私が海軍省へ報告する前に、君から辞職を申し出る方がよいだろう」
「……」
万事休す。
言い訳はできない。確かに自分の取った行動は、ジェミナ・クラスの領民は元より、エルシーア国民全体へ海軍の不祥事として認識されるのだ。
シャインは無意識の内に視線を床へと落としていた。
「――あと、
二日
だったな」ツヴァイスが何か言っている。
けれどシャインの耳はそれについて注意を払わなかった。
ロワールハイネス号を降ろされることについて、覚悟はしていても、現実味を帯びたその事実に自分でも驚くほど動揺しているからだ。
ふっと脳裏に黄昏色の髪を靡かせたロワールの笑顔が浮かんだ。
彼女の顔ももう見られなくなるのか。
世界は再び色を失う――。
「グラヴェール艦長」
シャインははっと顔を上げた。
席を立ったツヴァイスがシャインを見下ろしていた。
正確にはシャインの顔を覗き込んでいた。
「心ここに有らずか。まあ聞きたまえ。私は『今すぐ』君を懲戒処分にすると言ってはいない」
「……それは……どういう……」
ツヴァイスの薄い唇が笑みを浮かべた。
「ストームの居場所の目星はついているのか?」
シャインはルシータ通りへ行ったシルフィードの事を思った。
彼は自ら進んで危地へ行ったのだ。
何のために?
それは勿論、ストームを捕らえるため。結果としてはシャインのためである。
まだ耳に、馬車を降りる時に交わしたシルフィードの言葉が残っている。
今夜は皆と一緒に夕食を食べて、ストームをどうすれば捕らえることができるか考えるのだ。
「目星はついています」
シャインが今言うべき言葉はそれしかなかった。
シルフィードの決死の行為を無にしないためにも。
「そうか――それならば」
ツヴァイスはシャインから離れ、港を一望できる窓際へと歩いた。
夕暮れに沈むそれを見つめながら、彼が信じられない言葉を口にした。
「君の懲戒処分を後二日延ばすことにする。ストームをもしも捕らえることができたら、その処分は取り消す」
「えっ」
シャインは耳を疑った。
ツヴァイスは振り返った。軽くため息をつきシャインへ肩をすくめてみせた。
「ストームを捕らえたら、『海賊ジャヴィール』もこのジェミナ・クラスの海から消えるからな。その正体が知られる前にストームを捕縛すれば、君の責を問うことはない」
シャインはツヴァイスに深く頭を垂れた。
「ありがとうございます」
「……喜ぶのはまだ早い」
冷えた声でツヴァイスが呟いた。
「私は君が思っているほど優しい人間ではない。期限はあと二日だ。それを延ばすつもりはない」
「いいえ。それだけあれば十分です。では閣下、俺はこれで失礼させていただいてよろしいでしょうか」
「待ちたまえ」
ツヴァイスが執務机へ戻り、机上に置いてある書類入れを手に取った。
「ストームに襲われたアバディーン商船の調書だ。持ち出しは禁じるが内容を見るのは構わない」
「ツヴァイス司令……」
シャインは手渡された書類入れを受け取った。
「君にストーム捕縛命令を出したときに私は言った。情報は提供すると」
自分は優しい人間ではない。
そう自ら言い放つ割に、ツヴァイスは楽しげな表情を浮かべていた。
多分、彼には看破されているのだろう。シャインの目星がついているという発言は「はったり」で、あと二日でストームを捕らえることはできないと。
「ありがとうございます。それではこれを読む時間をいただいてよろしいでしょうか」
「いいだろう。そこの机を使えばいい」
ツヴァイスが窓際の本棚にある読書台を指差した。