2-16 睨み合い

文字数 3,800文字

 そこに立っていたのは、恰幅の良い中年の男性だった。生粋のエルシーア人で、ふさふさとした金髪を後ろになでつけ、輝やかんばかりの口ひげを生やしている。さぞかし自慢なのだろう。手入れの良さからそれが十分うががえる。彫の深い顔立ちで、薄い水色の瞳がとても印象的だ。

 背はシャインよりも頭一つ分低く、少し腹が突き出ている。しかし着ているものは上等な素材を使用しており、裕福な暮らしをしていることが容易に想像できた。

「ちょっと待って下さい。勝手に入られると困ります!」

 数人の足音が聞こえ、見張りのエリックの青白い顔が男性の肩越しから見えた。

「構わないよ、この人はウィルム・アバディーンさんだ。ちょっと話をするから、君達は下がっててくれ」

 アバディーンと聞いて、扉の近くに立つジャーヴィスが男性を凝視している。

「わ、わかりました」

 戸惑った表情を浮かべながら、エリックが艦長室の扉を閉めた。

「どうぞお掛け下さい」

 シャインは席を立って、向いの応接椅子をアバディーンにすすめた。
 が、年商200億リュールを稼ぐかの社長は、ゆっくりと首を左右に振った。
 厳めしいその顔は興奮しきっていて頬が赤くなっており、鼻息も荒い。

「どういうことか説明して欲しくてな。私の……私の船があのストームめに襲われたんだ! 知ってるか?」

 シャインはうなずいた。内容は先程新聞で読んだ程度だが。

「はい」

「ふん。それなら話は早い。どうしてこうなった? 私はあんたのために、わざと警備船を同行させなかったんだ。なのにあんたは、ちんけな商船――荷は三流茶葉を運ぶ、たがだか7万リュールぐらいの船の海賊を追っ払って、私の船は見捨てたんだ!」

「見捨てただと! それは違う!」

 シャインが口を開く前に口出ししたジャーヴィスを、アバディーンは敵意あるまなざしで睨みつけた。

「何だこの男は」
「彼は俺の副官です」

「副官? ふん、あんた同様若造だな。見捨てたと言わずして、何と言うのかね? 1000万リュールだぞ!! いつもより荷を少なくして正解だったが大損害だよ! わしは、あんたがわざと定期船を襲い、海軍の船でシルダリアまで運んでくれることをあてにしておった。海軍の船に手を出す馬鹿は、いないからな。だがあんたは来なかった。そして何の護衛もいないわしの船は、ストームに見つかり襲われたんだ!」

 シャインは精一杯謝意を表するため頭を下げた。
 アバディーンの怒りは当然だ。

「申し訳ありません。あなたは俺の無理なお願いを聞いて下さったというのに……こんな残念な結果になってしまい……なんとお詫びすればいいか」

 アバディーンはいきなりシャインの襟首を熊のように太い腕で掴みかかった。
 ぐっと自分の方へ引き寄せる。

「何をするんだ、手荒なまねはよせ!」

 見かねたジャーヴィスが止めようとふたりの間へ入ろうとした。

「うるさい。お前と話をしているんじゃない! 部下のくせにいちいち首を突っ込むな!」
「なにを……」
「ジャーヴィス副長……大丈夫だから、そこで、じっとしててくれないか」

 普段通りの落ち着き払ったシャインの声。
 けれどアバディーンは今にもシャインの首をへし折りそうな勢いである。
 ジャーヴィスが躊躇(ちゅうちょ)しながらも叫ぶ。

「しかし!」
「……社長……は、

で……いらっしゃるから……ね」

 アバディーンは大きく鼻を鳴らした。いまいましげにシャインを睨みつける。
 シャインは真摯にその視線を受け止めていた。動揺のかけら一つ見せないで。

 下手をすればこのまま、絞め殺されるかもしれないが。
 シャインの胸倉を掴むアバディーンの両手は震えていた。

「くそっ……、そうだ、私は

だ。海賊じゃない!」

 アバディーンは吐き捨てるようにつぶやくと、やっとシャインの襟首から両手を放した。
 流石に息が詰まりかけていたシャインは、何度か大きく咳き込んだ。
 その際に足がふらついた。シャインは体を支えるために、右手を伸ばし応接用の椅子の背につかまった。

「艦長。大丈夫ですか?」

 シャインは近付こうとしたジャーヴィスに向かって頷いて見せた。
 呼吸を整えるシャインの前に再びアバディーンが立った。

「今回は……あんたの事を見誤ったわしにも責任がある。わしはあんたの父親、アドビス殿を尊敬しておる。あの方が“ノーブルブルー”の基礎を作り、あの忌まわしき海賊共をエルシーアから追い払って下さったのだ。その恩義に我々海運業を営む者たちは、何らかの形で報いたいと思っていた。だからこそ、あの方の子息であるあんたの頼みを快く引き受けたのだ」

 シャインは同意を示すため静かにうなずいた。
 父親の影なしに、何もできない自分の無力さを感じながら。
 シャインは息が落ち着いた所で口を開いた。

「あなたの期待を裏切ったことは事実です。そのことは精一杯償います。ですが」

 一呼吸おいてシャインは深く頷き、興奮のせいで赤い顔をしたアバディーンを真っ直ぐ見据えた。

「俺は、俺のとった行動を後悔していません。むしろあの現場に居合わせることができて、あのエルンスト商船を助ける事ができて、よかったと思っています」
「この期に及んで、まだわしを侮辱するのかっ!!」

 アバディーンが雷鳴が轟くような大音声で一喝した。
 彼の水色の両目は充血し、怒りで全身が震えている。

 シャインはそれに屈するどころか、反対に今まで見せた事のない厳しい表情でアバディーンを見つめた。

「いいえ。俺はただ……目の前の消えゆく命を、見捨てる事ができませんでした。あなたの船が当然ストームや、他の海賊に襲われるかもしれないという懸念はありました。ですが、あの時彼らを助ける事ができたのは、俺しかいなかったのです! 積荷よりも……命の重さにはかえられません!」

 シャインの声はかすれていたが、とても力強かった。
 そしてシャインの青緑の瞳は、決してアバディーンから逸らされることがなかった。

 ジャーヴィスはアバディーンが再びシャインに掴みかかる素振りを見せたら、次は阻止するかのようにじりじりとシャインの方へ寄ってきた。
 
 沈黙の中、睨み合いが続いた。
 それに耐えきれなかったのか、口を開いたのはアバディーンの方だった。

「……グラヴェール艦長」

 アバディーンが額に手をやりながら、大きくため息をついた。

「わかっては……いたんだよ。あんたの行為は当然のことで、船を襲われたのは仕方なかったってな」
「アバディーンさん」

 社長はシャインに対する怒りを露わにしていなかった。
 その口調は穏やかなものだ。

「今回こうなるなんて思いもしなかったんでな。それが腹立たしくて、あんたに一言言わずにはいられなかった。先程は手荒なまねをしてしまい、申し訳ない」

 シャインは小さく首を横に振った。

「いいえ。御迷惑をおかけしたのですから、お怒りになられるのは当然です」

 落ち着きを取り戻したアバディーンが、額に浮いた汗を手で拭いながら口を開いた。

「あんたは随分謙遜なんだな。父上と気性は似てないが、さっき、あんたが言ったことと同じ事を、あの方も言われていた。だからあの方はノーブルブルーを作った。みんなが安心して、海を航海できるようにするためにな。あんたがその志を受け継いだのは、エルシーアにとって喜ばしい事だ」
「俺は……」

 父アドビスにそんな側面があったとは知らなかった。
 いや。自分があの男の志を受け継いでいるなんて――考えた事もなかった。
 これは頭を金槌で殴られたような衝撃を受けることと等しい。
 アバディーンはきっと褒めているのだろうが、シャインは引きつった自分の表情を見られたくなくて顔を背けた。

「グラヴェール艦長。わしは何か気に障る事を言ったかね?」

 シャインははっとして顔を上げた。
 なんでもなかったように取り繕う。

「あ、違います。そう言う風に言われたことがなかったので……少し驚いてしまったんです。あの人……いえ、中将は昔の話を一切しない人なので……」

「そうか。グラヴェール艦長。わしは今回の事はもう気にすまいと思っているんだ。警備船をつけなかったのもわしの一存で、あんたには言わなかったことだからな」

「いいえ。積荷の損害の件は、これから話し合いをさせて頂きます」

 アバディーンはシャインの肩に丸みを帯びた手を置いた。
 ゆっくりと首を横に振る。
 その必要はないと、彼の年経た瞳が言っていた。

「その代わりに申し訳ないが、今後あんたの『ストーム拿捕作戦』には協力することができん」
「アバディーンさん!」

 シャインは息を飲んだ。
 それだけは、なんとか

欲しかった事だ。

「あなたのお気持ちを考えると納得はします。ですが、ストームを捕まえるためには、あなたの船が必要なんです!」

「わしはそうは思わんぞ。ストームはもうわしの船を襲ったんだ。当分出てはこないだろう」

 シャインは食い下がった。

「そんなことはありません! 海賊ジャヴィールの噂が広まれば、奴は必ず!」
「だめだ、グラヴェール艦長。どうしてもといわれるなら、他の商船を当たってくれ」

 アバディーンは背を向け艦長室の扉の取っ手に手をかけた。
 シャインは目線で追いすがる。
 それを感じたのか、アバディーンがゆっくりと振り返った。

「言い忘れましたが、あなたの作戦は誰にも口外いたしません。……ご武運をお祈りしています」
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登場人物紹介

リーザ・マリエステル(28)


【所属】エルシーア王立海軍「ファラグレール号」艦長。階級は少佐

シャインと同様、後方支援業務に携わっている。出身地はエルシーアの真北にあるアムダリア公国。
ジャーヴィスとは士官学校の同期。彼の弱味をいろいろ握っているらしい。

勝ち気で決断が早く要領も良いので、部下から絶大な信頼を得ている。

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