2-28 決着
文字数 3,659文字
ズズズ……ズズ……ズズズズ……。
雷を思わせる轟音。片時も落ち着かない激しい揺れ。
ロワールハイネス号とストームのスクーナー船の上げ綱や滑車、索具、帆桁 同士が絡まり、ぶつかり、軋みあう音。
船の甲板にはそれらが容赦なく雨のように降り注ぎ、乗組員はみんな頭を庇い、うずくまることしかできなかった。
どれくらいの間だっただろう。
みしみしと船体が擦れ合う音が、ようやくおさまったのは。
ロワ-ルハイネス号の船首の突端で、水色の微光を放っていたロワールの体からそれがふっと消え失せた。ロワールは目を閉じたまま大きく息をつき、震える我が身を支えるように両手で肩を抱いた。少し前かがみになった体勢で、ちらりとストームの船を見る。
ロワールハイネス号の舳先がストームの船の船首甲板を押さえ付けるようにのっかっている。そして、フォアマスト(一番前)を左右から支える静索 の格子状に組まれたロープの間に、ストームの船の帆桁 やら、滑車などががっちりと挟み込まれている。
これをすぐに外して逃げることなど不可能だ。
ロワールは再び息をついた。かなり力を消耗したため、しばらく人の姿をとることをやめなければならない。
だがロワールは微笑んでいた。
かなり無理はしたがこれでよかったのだ。
『今回のことは貸しにしとくわよ……シャイン』
◇◇◇
「この船……“船の精霊 ”がいたのかい……なんてこった。そうと知ってたらまっ先にこいつを頂いて、逃げればよかったんだ。あーあ……」
ロワールハイネス号のメインマスト付近で、落下してきた帆の上げ綱の下敷きになっていたストームは、毒づきながらその身を起こした。
「まったくその通りだな。きっとレイディは、お前を乗せたまま軍港へ戻ってきてくれたに違いない」
ぎらっとした銀の光を放つ斧を手にしたジャーヴィスが、無気味なほど凄惨な微笑を浮かべて、ストームを見下ろしていた。その後ろには、剣を構えた水兵達が6人ほど待機していて、みるまにストームを取り囲んだ。
ストームは膝をついたまま、自分の剣を探したが、側に転がっていたそれは刃が3分の1のところで折れてしまっている。彼女は両手で役に立たない剣を持ったまま呆然とながめた。額から冷たい汗が流れ落ち、久しく忘れていた感情がわきおこる。
「ちょっと……待っとくれよ。そもそも今回あたしはね……」
ジャーヴィスは表情ひとつ変えず、水兵達へ彼女を縛り上げるよう命じた。
◇◇◇
一方、ストームの船には武装したクラウスと、10数名の水兵達が乗り込んでいた。停泊灯がついてないので、様子がよくわからない。甲板は無気味なほど静まり返っていて、だが、耳をすませば人間のうめき声みたいなものが小さく聞こえる。
「む、無駄な抵抗をするんじゃないぞ! お前達は逃げられないんだからね」
口調は思いきり強気なのだが、クラウスの目は宙を泳いで、剣を握る両手は必要以上の力が入り、ガタガタと震えている。
「クラウスさん、なんか、戦う必要ないみたいですぜ」
となりにいた中肉中背の水兵がクラウスに話しかけた。
「ええっ!?」
クラウスは灯りを持ってこさせた。ストームの船の甲板が、角灯の照らす光の輪の中に浮かび上がる。
そこは足の踏み場がないほどロープや索具、帆が散乱していて、その下からうめいている海賊たちがいた。頭から血を流している者もいる。恐らく船が衝突した時に上から落下した滑車で、頭をぶつけたのだろう。
クラウスはほっとして、心から本当に安堵して、緊張のあまり強ばらせていた表情をやっとゆるめた。
「よーし、今のうちに縛っちゃおう」
◇◇◇
「捕らえた者は船倉に閉じ込めろ」
ジャーヴィスはてきぱきと水兵に命じた。ストームに利き腕を折られたシルフィードは食堂に運んで応急処置をさせているし、先ほどエリックを街に行かせたので、30分ほどで医者も来るだろう。
捕らえた海賊たちは、ロワールのせいでからまった上げ綱をほどいてから、船で直接軍港まで運ぶつもりだった。その作業のせいで非番の水兵達は大忙しだ。今夜はきっと誰も眠れない。
「海軍なんて奴等は海賊以下さ。義理も人情もあったもんじゃない。片手でアメを差し出して、しっかりムチを持っていやがるのさ!」
後部甲板で一際大音響でわめいているのは、両手両足を縛り上げられたストームだった。ジャーヴィスが自ら彼女を船倉へ連れていくため、まだ残っていたのだ。
「よく動く口だ……騒がしいったらありゃしない」
眉間を寄せたジャーヴィスは、指示がやっと一段落ついたので、彼女を船倉へ放り込もうと思い、きびすを返してミズンマスト の方へ近付いた。
その時、足元で青く光る小さなものが転がっているのに気付いた。
かがんで拾い上げてみると、それはシャインのブルーエイジの指輪だった。
肌を刺すような冷たい金属の感覚に、ジャーヴィスは身震いしながら航海服のポケットに指輪をしまった。けれどこれが見つかった事に安堵していた。失くしてしまったら、シャインがどんなにがっがりするか目に見えていたからだ。
ジャーヴィスが自分のところに近付いてくる気配を感じたストームは、ことさら激しく罵りの声を上げた。
「一時でもあの坊やを信じたあたしが馬鹿だったよ! 海軍なんてみんなみんな、平気で約束を破る悪魔のような連中さ!」
「……いい加減そのうるさい口を黙らせろ。さるぐつわをするぞ」
彼女の悪態に辟易したジャーヴィスは、両手をズボンのポケットに突っ込んで、長身を折り曲げ、その顔をいまいましげに睨みつけた。けれどストームはせせら笑っている。
「海賊は一度受けた恩義を忘れない。だがあんたたち海軍は、それを平気であだで返す。クズだよ……人間のね。まったく、あの坊やも大した役者さ。将来が末恐ろしいよ」
「……おい」
ジャーヴィスはストームの頬を右手ではさんで、自分の方を向かせた。ただでさえ分厚い彼女の唇が、寄せられてぷるぷると震えている。
この女の顔を見るだけで、腹の底から沸々と怒りがわいてくる。シャインがあのままストームと一緒に行けば、彼にとってすべてが終わっていたのだ。それを知らないくせに。
「ストーム、いいか? お前と艦長が何を約束したのかは知らないが、私には関係ないことだ。お前を捕らえたのは
ジャーヴィスは怒りの感情に任せたまま脅しの言葉を吐いた。
自分でもここまで熱くなるのかと内心驚くほどだった。
ストームはジャーヴィスに頬をはさまれたまま、ゆっくりとうなずいた。ジャーヴィスの目の中に、赤黒い殺意があるのを確かに見て取ったのだろう。ストームは貝のように口を閉じて、すっかりおとなしくなった。
「スレイン、行くぞ」
ジャーヴィスはストームを立たせるよう、側で待機していた水兵に命じた。
船の第3層部にある船倉へ下りるため、ストームの足の縄だけは外してやる。
彼女は抵抗せず船倉へ自ら入った。
「……ねぇ」
ジャーヴィスが扉を閉めようとした時だった。
「なんだ」
「あの坊や……いや、あんたの艦長……本当にアドビスの息子なんだよね。命が惜しけりゃ、海軍なんてすぐにやめなって、言っとくれよ」
先程までの悪態はどこへやら。妙にしんみりとストームはつぶやいた。
「何故お前がそんなことを?」
「これ以上は言えないね。ただ、アドビスには敵が多いんだ。せいぜい奴に利用されないように気をつけな、ってことだよ」
ジャーヴィスは無意識に航海服のポケットを握りしめた。
布ごしにひやりとするシャインの指輪の感触がある。
「やけに態度が違うじゃないか。さっきまではあれほど、艦長の事を罵っていたくせに」
ストームはふんと、鼻息を鳴らした。
「もう出ていっとくれ。あんたが邪魔したから、あたしは捕まるし3000万リュールも稼ぎ損なったんだ!」
「言われるまでもない。自分の身がかわいいなら、おとなしくしていろよ」
ストームが背を向けてしまったので、ジャーヴィスは黙ったまま扉を叩き付けるように閉めた。
「しっかり見張っておけよ。何かあったらすぐ報告してくれ」
「はい、副長」
船倉の扉に鍵をかけたジャーヴィスは、ストームを見張るため位置についていたスレインにそう言うと、そそくさと階段を上がっていった。
◇
「……どっこいしょ」
ストームは船腹の壁に背を預けて座り込んだ。両手は前で手首を合わせるかたちでロープで縛られている。ジャーヴィスの階段を上がる靴音を聞きながら、彼女は大きな欠伸をした。
「あたしとしたことが、もう少しで口を滑らせるところだったよ。お頭に知られたらこっちの身が危なくなる。だけどね……」
ストームは目を閉じた。
「度胸の据わった、思い切りのいい坊やだったよ。海賊でも手下のために、あそこまでできる人間はそういやしない。……できれば死なせたくないねぇ」
雷を思わせる轟音。片時も落ち着かない激しい揺れ。
ロワールハイネス号とストームのスクーナー船の上げ綱や滑車、索具、
船の甲板にはそれらが容赦なく雨のように降り注ぎ、乗組員はみんな頭を庇い、うずくまることしかできなかった。
どれくらいの間だっただろう。
みしみしと船体が擦れ合う音が、ようやくおさまったのは。
ロワ-ルハイネス号の船首の突端で、水色の微光を放っていたロワールの体からそれがふっと消え失せた。ロワールは目を閉じたまま大きく息をつき、震える我が身を支えるように両手で肩を抱いた。少し前かがみになった体勢で、ちらりとストームの船を見る。
ロワールハイネス号の舳先がストームの船の船首甲板を押さえ付けるようにのっかっている。そして、フォアマスト(一番前)を左右から支える
これをすぐに外して逃げることなど不可能だ。
ロワールは再び息をついた。かなり力を消耗したため、しばらく人の姿をとることをやめなければならない。
だがロワールは微笑んでいた。
かなり無理はしたがこれでよかったのだ。
『今回のことは貸しにしとくわよ……シャイン』
◇◇◇
「この船……“船の
ロワールハイネス号のメインマスト付近で、落下してきた帆の上げ綱の下敷きになっていたストームは、毒づきながらその身を起こした。
「まったくその通りだな。きっとレイディは、お前を乗せたまま軍港へ戻ってきてくれたに違いない」
ぎらっとした銀の光を放つ斧を手にしたジャーヴィスが、無気味なほど凄惨な微笑を浮かべて、ストームを見下ろしていた。その後ろには、剣を構えた水兵達が6人ほど待機していて、みるまにストームを取り囲んだ。
ストームは膝をついたまま、自分の剣を探したが、側に転がっていたそれは刃が3分の1のところで折れてしまっている。彼女は両手で役に立たない剣を持ったまま呆然とながめた。額から冷たい汗が流れ落ち、久しく忘れていた感情がわきおこる。
「ちょっと……待っとくれよ。そもそも今回あたしはね……」
ジャーヴィスは表情ひとつ変えず、水兵達へ彼女を縛り上げるよう命じた。
◇◇◇
一方、ストームの船には武装したクラウスと、10数名の水兵達が乗り込んでいた。停泊灯がついてないので、様子がよくわからない。甲板は無気味なほど静まり返っていて、だが、耳をすませば人間のうめき声みたいなものが小さく聞こえる。
「む、無駄な抵抗をするんじゃないぞ! お前達は逃げられないんだからね」
口調は思いきり強気なのだが、クラウスの目は宙を泳いで、剣を握る両手は必要以上の力が入り、ガタガタと震えている。
「クラウスさん、なんか、戦う必要ないみたいですぜ」
となりにいた中肉中背の水兵がクラウスに話しかけた。
「ええっ!?」
クラウスは灯りを持ってこさせた。ストームの船の甲板が、角灯の照らす光の輪の中に浮かび上がる。
そこは足の踏み場がないほどロープや索具、帆が散乱していて、その下からうめいている海賊たちがいた。頭から血を流している者もいる。恐らく船が衝突した時に上から落下した滑車で、頭をぶつけたのだろう。
クラウスはほっとして、心から本当に安堵して、緊張のあまり強ばらせていた表情をやっとゆるめた。
「よーし、今のうちに縛っちゃおう」
◇◇◇
「捕らえた者は船倉に閉じ込めろ」
ジャーヴィスはてきぱきと水兵に命じた。ストームに利き腕を折られたシルフィードは食堂に運んで応急処置をさせているし、先ほどエリックを街に行かせたので、30分ほどで医者も来るだろう。
捕らえた海賊たちは、ロワールのせいでからまった上げ綱をほどいてから、船で直接軍港まで運ぶつもりだった。その作業のせいで非番の水兵達は大忙しだ。今夜はきっと誰も眠れない。
「海軍なんて奴等は海賊以下さ。義理も人情もあったもんじゃない。片手でアメを差し出して、しっかりムチを持っていやがるのさ!」
後部甲板で一際大音響でわめいているのは、両手両足を縛り上げられたストームだった。ジャーヴィスが自ら彼女を船倉へ連れていくため、まだ残っていたのだ。
「よく動く口だ……騒がしいったらありゃしない」
眉間を寄せたジャーヴィスは、指示がやっと一段落ついたので、彼女を船倉へ放り込もうと思い、きびすを返して
その時、足元で青く光る小さなものが転がっているのに気付いた。
かがんで拾い上げてみると、それはシャインのブルーエイジの指輪だった。
肌を刺すような冷たい金属の感覚に、ジャーヴィスは身震いしながら航海服のポケットに指輪をしまった。けれどこれが見つかった事に安堵していた。失くしてしまったら、シャインがどんなにがっがりするか目に見えていたからだ。
ジャーヴィスが自分のところに近付いてくる気配を感じたストームは、ことさら激しく罵りの声を上げた。
「一時でもあの坊やを信じたあたしが馬鹿だったよ! 海軍なんてみんなみんな、平気で約束を破る悪魔のような連中さ!」
「……いい加減そのうるさい口を黙らせろ。さるぐつわをするぞ」
彼女の悪態に辟易したジャーヴィスは、両手をズボンのポケットに突っ込んで、長身を折り曲げ、その顔をいまいましげに睨みつけた。けれどストームはせせら笑っている。
「海賊は一度受けた恩義を忘れない。だがあんたたち海軍は、それを平気であだで返す。クズだよ……人間のね。まったく、あの坊やも大した役者さ。将来が末恐ろしいよ」
「……おい」
ジャーヴィスはストームの頬を右手ではさんで、自分の方を向かせた。ただでさえ分厚い彼女の唇が、寄せられてぷるぷると震えている。
この女の顔を見るだけで、腹の底から沸々と怒りがわいてくる。シャインがあのままストームと一緒に行けば、彼にとってすべてが終わっていたのだ。それを知らないくせに。
「ストーム、いいか? お前と艦長が何を約束したのかは知らないが、私には関係ないことだ。お前を捕らえたのは
私
なんだ! だから……グラヴェール艦長はお前の約束を破ってはいない。あの人の前で、さっきみたいな事を一言でも言ってみろ。私が自らお前を絞首刑にしてやる!」ジャーヴィスは怒りの感情に任せたまま脅しの言葉を吐いた。
自分でもここまで熱くなるのかと内心驚くほどだった。
ストームはジャーヴィスに頬をはさまれたまま、ゆっくりとうなずいた。ジャーヴィスの目の中に、赤黒い殺意があるのを確かに見て取ったのだろう。ストームは貝のように口を閉じて、すっかりおとなしくなった。
「スレイン、行くぞ」
ジャーヴィスはストームを立たせるよう、側で待機していた水兵に命じた。
船の第3層部にある船倉へ下りるため、ストームの足の縄だけは外してやる。
彼女は抵抗せず船倉へ自ら入った。
「……ねぇ」
ジャーヴィスが扉を閉めようとした時だった。
「なんだ」
「あの坊や……いや、あんたの艦長……本当にアドビスの息子なんだよね。命が惜しけりゃ、海軍なんてすぐにやめなって、言っとくれよ」
先程までの悪態はどこへやら。妙にしんみりとストームはつぶやいた。
「何故お前がそんなことを?」
「これ以上は言えないね。ただ、アドビスには敵が多いんだ。せいぜい奴に利用されないように気をつけな、ってことだよ」
ジャーヴィスは無意識に航海服のポケットを握りしめた。
布ごしにひやりとするシャインの指輪の感触がある。
「やけに態度が違うじゃないか。さっきまではあれほど、艦長の事を罵っていたくせに」
ストームはふんと、鼻息を鳴らした。
「もう出ていっとくれ。あんたが邪魔したから、あたしは捕まるし3000万リュールも稼ぎ損なったんだ!」
「言われるまでもない。自分の身がかわいいなら、おとなしくしていろよ」
ストームが背を向けてしまったので、ジャーヴィスは黙ったまま扉を叩き付けるように閉めた。
「しっかり見張っておけよ。何かあったらすぐ報告してくれ」
「はい、副長」
船倉の扉に鍵をかけたジャーヴィスは、ストームを見張るため位置についていたスレインにそう言うと、そそくさと階段を上がっていった。
◇
「……どっこいしょ」
ストームは船腹の壁に背を預けて座り込んだ。両手は前で手首を合わせるかたちでロープで縛られている。ジャーヴィスの階段を上がる靴音を聞きながら、彼女は大きな欠伸をした。
「あたしとしたことが、もう少しで口を滑らせるところだったよ。お頭に知られたらこっちの身が危なくなる。だけどね……」
ストームは目を閉じた。
「度胸の据わった、思い切りのいい坊やだったよ。海賊でも手下のために、あそこまでできる人間はそういやしない。……できれば死なせたくないねぇ」