2-22 奇襲
文字数 3,848文字
◇◇◇
十分後。
ツヴァイスの執務室を出たシャインは、軍港の検問所で馬を借りた。
兎に角時間がないのだ。悠長に馬車が拾える道まで歩いて行く暇などない。
夕闇迫る港沿いの道を、商港目指して馬を走らせる。
シャインは自分自身に怒りを感じていた。
ストームに輸送船を襲われた事件を知った時、何故自分はアバディーン商船へその時の様子を聞きに行かなかったのだろう。
どの方角からやってきたのか。その人相・風体・手下の数。そしてどの方角へ去っていったのか。輸送船の船長に話を聞けばそれぐらいの情報はすぐに得られた。
アバディーン商船の協力を失ったことで落ち込んでいた、今朝の自分が本当に馬鹿で愚かに思えてくる。
それにひきかえ、ツヴァイスの対応は素早いものだった。
そこはアバディーン商船がすぐに軍港へ報告を入れたのも一因だろうが。
ジェミナ・クラスの商船ギルドは、アバディーン商船の社長――ヴィルム・アバディーンがギルド長をしている。ギルド会館では情報交換も盛んに行われており、海賊ジャヴィールのこともその日の夕方には、ヴィルム・アバディーンへ報告が上がっている。
情報を制する者が勝つ。ツヴァイスはそれを知る者だ。
それ故に彼は海軍内の地位を着々と上げることができたのだろう。
ジェミナ・クラス軍港司令官の地位は、将来アスラトル軍港を任される将官が就く。アスラトル軍港司令官は、エルシーア海軍のナンバー2に当たる参謀司令官になるために必要な地位だ。
裏で実質海軍を動かしているアドビス・グラヴェールと、その地位を淡々と狙うオーリン・ツヴァイス。
ツヴァイスが野心家かどうかはわからないが、シャインとしてはその仕事ぶりを認めざるを得ない。その彼に免職を言い渡されても納得はいく。だから、彼がくれた最後のチャンスを無駄にするわけにはいかない。
ジェミナ・クラスの街にはすっかり夜の帳が下りて、昼とはまた違った顔を見せ始めていた。
行商人のかわりに広場では露店商や屋台が営業を始め、宿屋や飲食店の呼び込みの声が、あちこちから聞こえてくる。
人の多い中心部を迂回して、シャインは馬を商港へと走らせた。
道に街灯はなく、係留している大小様々な船舶のマストに掲げられた白い停泊灯だけが、港を照らす唯一の灯りだ。
この中の何処かに……ストームがいる。
調書を読んだ限り、ストーム一味はジェミナ・クラスの港から出港し、そしてまたここに戻っているらしいのだ。
彼らがまだここにいるのは一筋の光明である。しかしジェミナ・クラスは大きな港だ。ストームと同じ船種の二本マストのスクーナー船なんて、100隻はざらに停泊している。
シャインは商港の倉庫群の一角にある、港湾事務局で馬を下り、翌日まで預かってもらうよう頼んだ。
取りあえずロワールハイネス号に戻り、ジャーヴィスと共にストームの船を探す手段を話し合う。
シルフィードもルシータ通りから戻っていれば、さらに探索の範囲は狭められるかもしれない。
シャインは港湾事務所の桟橋へと近付いた。そこには貸出用のボートが桟橋に係留されている。
シャインは疲れた体を引きずって、一番前のそれに乗り込んだ。
横目で辺りの船を見回しながら、小さく嘆息する。
「朝になったら……手分けして探すしかないな」
そっと櫂を下ろしてボートを漕ぐ。
ロワールハイネス号はここから見る事ができない。左側にせりだした崖の裏側に停泊しているからだ。そこは商港の中で外海に近く、喫水の深い大型船が主に錨を下ろしている場所だ。最も、意図してここを選んだのはいうまでもない。
行きは水兵のスレインが漕いでくれたので、10分足らずで桟橋に着いた。けれど心身共に今日はくたびれきったシャインは、海岸線に沿ってゆっくりとボートを漕いでいった。
船に戻ってもやることはたくさんあるが、まずは航海長の作った夕食を皆と一緒に食べたかった。
櫂を漕ぎながら反省する。
すべては一人で何もかもしようとしたせいだ。
作戦が行き詰った時。いや、アバディーンが船に乗り込んできた時。
ジャーヴィスに今後のことを相談していれば、きっと彼はストームに襲われた時の状況を彼らから聞くべきだと提案しただろう。
淡々と櫂を漕ぐ。額に汗が浮かんできた15分後。
シャインの乗ったボートは崖を回りその内側に入った。
「えっ……?」
シャインは櫂を漕ぐ手を止めて目をしばたいた。流れてきた汗が目に入ったので、手でこすってもう一度前を見つめる。ロワールハイネス号の右舷側に、見慣れない
辺りはすっかり暗くなっているので、船種はもう少し近付いてみないとわからない。が、ロワール号のマストに掲げられている停泊灯に照らされて、黒い二本のマストが浮かび上がっているのがはっきり見える。
まさか。
けれど――ひょっとして?
胸がどきどきして、一瞬体中から血の気が引いていく感覚に襲われた。
頭の中によぎったその可能性が、火照っていた体温を一気に冷ましていく。
シャインは櫂を漕ぐ水音を立てないように、距離を置いて静かにロワ-ルハイネス号の左舷側、船首の方へ近付いていった。船尾には船尾の停泊灯が三つもついているため、姿が丸見えになる怖れがある。
崖にそってボートを動かす。そしてロワ-ル号の左舷船首から下がっている錨鎖に近付くと、右手を伸ばしてボートを船体に引き寄せた。
できるだけ、上甲板からもれる明かりに、姿をさらさないよう注意を払う。
そこから右舷側をこっそりうかがうと、横付けしている船はロワ-ル号よりひと回り小さいようだ。二本あるマストに、横帆を張るための帆桁 がないことからして、スクーナーであることは間違いない。
シャインは再び左舷側の船体へ身を寄せた。
ひやりとした船壁へ右手を当てる。そして心の中で呼びかけた。
『ロワール、聞こえるかい? 誰か来ているみたいだけど』
『……シャイン!』
頭上から不安と安堵とが入り交じったようなロワールの声がしたかと思うと、彼女の顔が左舷船首の船縁からのぞいた。
背後のフォアマスト の真ん中に吊り下げられている、停泊灯のぼんやりした明かりに照らされた彼女は、今にも泣き出しそうな表情でシャインを見つめていた。
「一体何が……」
ロワールは手すりを乗り越えると、状況を問いかけたシャインめがけ、ためらうことなく甲板から舞い降りた。シャインは反射的に両手を伸ばしていた。船の魂である彼女を支える必要はないのだが。飛び込んできたロワールの身体は、羽毛のように軽かった。
「どうしようシャイン! みんなが……」
ロワールはシャインの首に両腕を回してすがりついた。いつもの勝ち気な態度は消え失せ、小さな肩が不安におののいている。ただならぬ事態が船に起きていることをシャインは察した。
「どうしたんだい? ロワール。状況を教えてくれ」
彼女は依然、シャインにぎゅっとしがみついたままだ。
「ロワール……大丈夫だから……」
シャインは手を伸ばしてなめらかな彼女の髪をなでた。
頭の中ではいろいろ悪い想像を巡らせていたが、シャインは自らの心を落ち着かせるように、彼女の髪をなでていた。ゆっくりと、優しく……。
「ロワール……」
シャインの穏やかな声がロワールに安心感を与えたのか、首にまわされた腕の力がふっとゆるんだ。
彼女はおずおずとシャインから離れると、そのままボートに座り込んだ。
「よかった、シャインが異変に気付いてくれて。あなたが真っすぐ帰ってきたらどうしようかって、ひやひやしてたのよ」
「何があったんだい? 甲板は妙に静かだし……」
ロワールはやっと緊張から解放されたかのように微笑した。
「口で言うより見てもらった方が早いわ。シャイン、ちょっとごめんね」
彼女は膝をついて右手を伸ばすと、シャインの額へそれを当てた。
「目を閉じて。……どう、見える?」
シャインの脳裏に誰かの目線から見た、ロワールハイネス号の甲板の映像が浮かんだ。メインマスト から見下ろした俯瞰 のアングルだ。
そのマストの下に短剣類、約20人分ぐらいが、山積みに集められているのが見えた。普段水兵達が日常的に使用している物だ。戦闘用の武器は見当たらない。船倉の武器庫には鍵をかけてある。そのため持ち出されていないのだろう。
と、シャインは声を上げそうになった。そのメインマストから二、三リール下がった所。白いターバン状の帽子をかぶった大柄な人物の足元に、誰かが後ろ手に縛られたまま倒れているのだ。
長い黒髪を首の後ろで一つに纏めた体躯の良い男だ。
日焼けした素肌の上から、赤い皮の上着を着ている……。
「シルフィード」
シャインは小さくつぶやいた。
思わず唇を噛みしめたシャインを見て、ロワールが静かに言った。
「そうよ。あいつら航海長を人質にして、いきなり船に乗り込んできたの。こっちを見て、シャイン」
視線の向きが、ぴくりとも動かないシルフィードから、船尾の方に変わった。
ミズンマスト の前に、ロワール号の乗組員14名が、灰色の装束をまとった連中に剣をつきつけられ、集められている所だった。
彼らは口元を白い布で覆い、灰色のターバンを巻き付け、同色の丈の短い揃いのマントを引っ掛けていた。その数は20人ぐらい。めいめい諸刃の長剣を携え、油断なく辺りを鋭い目つきで見張っている。
彼らの正体は明らかに海賊だ。
シャインは瞬時にそれを感じた。
十分後。
ツヴァイスの執務室を出たシャインは、軍港の検問所で馬を借りた。
兎に角時間がないのだ。悠長に馬車が拾える道まで歩いて行く暇などない。
夕闇迫る港沿いの道を、商港目指して馬を走らせる。
シャインは自分自身に怒りを感じていた。
ストームに輸送船を襲われた事件を知った時、何故自分はアバディーン商船へその時の様子を聞きに行かなかったのだろう。
どの方角からやってきたのか。その人相・風体・手下の数。そしてどの方角へ去っていったのか。輸送船の船長に話を聞けばそれぐらいの情報はすぐに得られた。
アバディーン商船の協力を失ったことで落ち込んでいた、今朝の自分が本当に馬鹿で愚かに思えてくる。
それにひきかえ、ツヴァイスの対応は素早いものだった。
そこはアバディーン商船がすぐに軍港へ報告を入れたのも一因だろうが。
ジェミナ・クラスの商船ギルドは、アバディーン商船の社長――ヴィルム・アバディーンがギルド長をしている。ギルド会館では情報交換も盛んに行われており、海賊ジャヴィールのこともその日の夕方には、ヴィルム・アバディーンへ報告が上がっている。
情報を制する者が勝つ。ツヴァイスはそれを知る者だ。
それ故に彼は海軍内の地位を着々と上げることができたのだろう。
ジェミナ・クラス軍港司令官の地位は、将来アスラトル軍港を任される将官が就く。アスラトル軍港司令官は、エルシーア海軍のナンバー2に当たる参謀司令官になるために必要な地位だ。
裏で実質海軍を動かしているアドビス・グラヴェールと、その地位を淡々と狙うオーリン・ツヴァイス。
ツヴァイスが野心家かどうかはわからないが、シャインとしてはその仕事ぶりを認めざるを得ない。その彼に免職を言い渡されても納得はいく。だから、彼がくれた最後のチャンスを無駄にするわけにはいかない。
ジェミナ・クラスの街にはすっかり夜の帳が下りて、昼とはまた違った顔を見せ始めていた。
行商人のかわりに広場では露店商や屋台が営業を始め、宿屋や飲食店の呼び込みの声が、あちこちから聞こえてくる。
人の多い中心部を迂回して、シャインは馬を商港へと走らせた。
道に街灯はなく、係留している大小様々な船舶のマストに掲げられた白い停泊灯だけが、港を照らす唯一の灯りだ。
この中の何処かに……ストームがいる。
調書を読んだ限り、ストーム一味はジェミナ・クラスの港から出港し、そしてまたここに戻っているらしいのだ。
彼らがまだここにいるのは一筋の光明である。しかしジェミナ・クラスは大きな港だ。ストームと同じ船種の二本マストのスクーナー船なんて、100隻はざらに停泊している。
シャインは商港の倉庫群の一角にある、港湾事務局で馬を下り、翌日まで預かってもらうよう頼んだ。
取りあえずロワールハイネス号に戻り、ジャーヴィスと共にストームの船を探す手段を話し合う。
シルフィードもルシータ通りから戻っていれば、さらに探索の範囲は狭められるかもしれない。
シャインは港湾事務所の桟橋へと近付いた。そこには貸出用のボートが桟橋に係留されている。
シャインは疲れた体を引きずって、一番前のそれに乗り込んだ。
横目で辺りの船を見回しながら、小さく嘆息する。
「朝になったら……手分けして探すしかないな」
そっと櫂を下ろしてボートを漕ぐ。
ロワールハイネス号はここから見る事ができない。左側にせりだした崖の裏側に停泊しているからだ。そこは商港の中で外海に近く、喫水の深い大型船が主に錨を下ろしている場所だ。最も、意図してここを選んだのはいうまでもない。
行きは水兵のスレインが漕いでくれたので、10分足らずで桟橋に着いた。けれど心身共に今日はくたびれきったシャインは、海岸線に沿ってゆっくりとボートを漕いでいった。
船に戻ってもやることはたくさんあるが、まずは航海長の作った夕食を皆と一緒に食べたかった。
櫂を漕ぎながら反省する。
すべては一人で何もかもしようとしたせいだ。
作戦が行き詰った時。いや、アバディーンが船に乗り込んできた時。
ジャーヴィスに今後のことを相談していれば、きっと彼はストームに襲われた時の状況を彼らから聞くべきだと提案しただろう。
淡々と櫂を漕ぐ。額に汗が浮かんできた15分後。
シャインの乗ったボートは崖を回りその内側に入った。
「えっ……?」
シャインは櫂を漕ぐ手を止めて目をしばたいた。流れてきた汗が目に入ったので、手でこすってもう一度前を見つめる。ロワールハイネス号の右舷側に、見慣れない
船
が横付けしているのだ。辺りはすっかり暗くなっているので、船種はもう少し近付いてみないとわからない。が、ロワール号のマストに掲げられている停泊灯に照らされて、黒い二本のマストが浮かび上がっているのがはっきり見える。
まさか。
けれど――ひょっとして?
胸がどきどきして、一瞬体中から血の気が引いていく感覚に襲われた。
頭の中によぎったその可能性が、火照っていた体温を一気に冷ましていく。
シャインは櫂を漕ぐ水音を立てないように、距離を置いて静かにロワ-ルハイネス号の左舷側、船首の方へ近付いていった。船尾には船尾の停泊灯が三つもついているため、姿が丸見えになる怖れがある。
崖にそってボートを動かす。そしてロワ-ル号の左舷船首から下がっている錨鎖に近付くと、右手を伸ばしてボートを船体に引き寄せた。
できるだけ、上甲板からもれる明かりに、姿をさらさないよう注意を払う。
そこから右舷側をこっそりうかがうと、横付けしている船はロワ-ル号よりひと回り小さいようだ。二本あるマストに、横帆を張るための
シャインは再び左舷側の船体へ身を寄せた。
ひやりとした船壁へ右手を当てる。そして心の中で呼びかけた。
『ロワール、聞こえるかい? 誰か来ているみたいだけど』
『……シャイン!』
頭上から不安と安堵とが入り交じったようなロワールの声がしたかと思うと、彼女の顔が左舷船首の船縁からのぞいた。
背後の
「一体何が……」
ロワールは手すりを乗り越えると、状況を問いかけたシャインめがけ、ためらうことなく甲板から舞い降りた。シャインは反射的に両手を伸ばしていた。船の魂である彼女を支える必要はないのだが。飛び込んできたロワールの身体は、羽毛のように軽かった。
「どうしようシャイン! みんなが……」
ロワールはシャインの首に両腕を回してすがりついた。いつもの勝ち気な態度は消え失せ、小さな肩が不安におののいている。ただならぬ事態が船に起きていることをシャインは察した。
「どうしたんだい? ロワール。状況を教えてくれ」
彼女は依然、シャインにぎゅっとしがみついたままだ。
「ロワール……大丈夫だから……」
シャインは手を伸ばしてなめらかな彼女の髪をなでた。
頭の中ではいろいろ悪い想像を巡らせていたが、シャインは自らの心を落ち着かせるように、彼女の髪をなでていた。ゆっくりと、優しく……。
「ロワール……」
シャインの穏やかな声がロワールに安心感を与えたのか、首にまわされた腕の力がふっとゆるんだ。
彼女はおずおずとシャインから離れると、そのままボートに座り込んだ。
「よかった、シャインが異変に気付いてくれて。あなたが真っすぐ帰ってきたらどうしようかって、ひやひやしてたのよ」
「何があったんだい? 甲板は妙に静かだし……」
ロワールはやっと緊張から解放されたかのように微笑した。
「口で言うより見てもらった方が早いわ。シャイン、ちょっとごめんね」
彼女は膝をついて右手を伸ばすと、シャインの額へそれを当てた。
「目を閉じて。……どう、見える?」
シャインの脳裏に誰かの目線から見た、ロワールハイネス号の甲板の映像が浮かんだ。
そのマストの下に短剣類、約20人分ぐらいが、山積みに集められているのが見えた。普段水兵達が日常的に使用している物だ。戦闘用の武器は見当たらない。船倉の武器庫には鍵をかけてある。そのため持ち出されていないのだろう。
と、シャインは声を上げそうになった。そのメインマストから二、三リール下がった所。白いターバン状の帽子をかぶった大柄な人物の足元に、誰かが後ろ手に縛られたまま倒れているのだ。
長い黒髪を首の後ろで一つに纏めた体躯の良い男だ。
日焼けした素肌の上から、赤い皮の上着を着ている……。
「シルフィード」
シャインは小さくつぶやいた。
思わず唇を噛みしめたシャインを見て、ロワールが静かに言った。
「そうよ。あいつら航海長を人質にして、いきなり船に乗り込んできたの。こっちを見て、シャイン」
視線の向きが、ぴくりとも動かないシルフィードから、船尾の方に変わった。
彼らは口元を白い布で覆い、灰色のターバンを巻き付け、同色の丈の短い揃いのマントを引っ掛けていた。その数は20人ぐらい。めいめい諸刃の長剣を携え、油断なく辺りを鋭い目つきで見張っている。
彼らの正体は明らかに海賊だ。
シャインは瞬時にそれを感じた。