第1話 愛理、板前の修二に助けられる

文字数 1,333文字

 町の氏神様である幸徳神社の夏祭りに、愛理は姉と姉の子の勇一と三人で出かけた。
露店が並ぶ駅前商店街の大通りを愛理は姉たちと少し離れて歩いた。履き慣れない下駄が歩き難かったこともあるが、それよりも自分が着ている浴衣姿が気になって仕方が無かった。姉も勇一も嬉々として浴衣を着たので愛理も仕方なく浴衣を着たが、家を出る時、帯を締めると胸が窮屈で襟元がこころもとなかった。それに、ズボンやスカートと同じように普段通りに闊歩すると裾が割れて生脚が覗いたし、膝を閉めて内股で歩幅を小さくして歩くと浴衣の裾が足首に纏わり着いて上手く歩けなかった。姉に手を引かれて夜店の前で立ち止まる勇一の幼い背中を見ながら愛理はゆっくりと歩いた。 
 神社へのお参りを終えた帰り道で、金魚の入った袋を持った勇一がいきなり脇道から現れた黒い影に突き飛ばされた。倒れた勇一に手を差し伸べるようにして姉もよろけた。
悲鳴が聞こえて大通りの人の列が割れると、ステテコ一枚で上半身裸の男が防火水槽にぶつかりながら、振り向きざまに身構えていた。男は右手に刃物を握っていた。
「どけぇ!」
男の飛び出して来た路地から怒鳴り声がしてシャツをたくし上げた男が日本刀を片手に持って大通りに現れた。より大きな悲鳴が続いた。
「喧嘩だ!」
二人の男の間に勇一を抱きかかえた姉がしゃがんでいた。身構えた男が何事かを喚いたがもう一人の男がその声を掻き消すほどの怒声で日本刀を振り上げ、姉たちを踏みつけるように躍りかかろうとした。
「やめてえ!」
愛理が叫ぼうとした時、背後から彼女の身体を押しのけるようにして日本刀の男にぶつかった白い影が在った。もんどりうって倒れた相手の男が怒鳴った。
「何をしやがる!」
「ヤクザの喧嘩は他所でやれ!」
空の先まで響き渡る声で、大きな白い影が仁王立ちしていた。
大通りに店を構える割烹店「美濃利」で板前の修業をしている藤田修二だった。
 追われた男が駅の方へ走り出した。修二を睨みつけていた男も直ぐに立ち上がって行く手へ駆け出した。人垣が悲鳴を上げながら再び割れた。
「大丈夫?お姉さん」
愛理は蹲る姉と勇一に駆け寄った。
「うん、大丈夫。勇一、勇一、しっかりしなさい!」
姉は勇一を揺り動かした。眼を開けた勇一が大声で泣きだした。
「なんだ、坊主、しっかりせにゃ、男の子だろうが、な」
修二はそう言いながら、癇を起こしたように泣き続ける勇一の両頬を両掌で挟んで、白い歯を覗かせた。その男っぽい荒い介抱に勇一が泣き止んで、それから、思い出したように言った。
「金魚が・・・」
修二は道に落ちて潰れているビニール袋を摘まみ上げると、店の中へ取って帰し、出前の岡持の中から湯呑茶碗を一つ取り出して水道の真水を入れ、其処に二匹の金魚を放った。
「ほら、これで持って帰りな」
 
 翌日、愛理は姉に頼まれて、菓子折と湯呑茶碗を持って礼を言いに「美濃利」へ行った。
「昨日はどうも有難うございました」
「良いんだ、良いんだよ、そんなこと」
修二は照れ臭そうに笑った。
 その日から、愛理は大通りで修二に出逢うと挨拶をするようになった。
開店に合わせて店先に水打ちをしたり、暖簾を挙げて夕空を見上げていたりする修二を見て、綺麗な眼をした人だ、と愛理は思った。
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