第44話 亮介は源平時代の落武者の子孫だった

文字数 1,968文字

 翌日の十一時頃になって、檀家になっている寺の住職がスクーターでやって来た。ヘルメットを脱いだ頭は、当然ながら、ツルンツルンの剃髪で陽光にピカピカと光っていた。
仏壇の前に額づいた住職は徐に読経を唱え始めたが、これがまた長かった。一時間経っても終わらなかった。正座で足に痺れを切らした良美がもぞもぞと腰を動かすと、隣に座っていた真澄が目顔で伝えた。膝を崩しなさいよ、立てなくなるわよ、扱ける方がよほど格好悪いからね・・・
漸く読経を終わった住職は簡単な法話を一つ披露し、お布施を有難く頂戴して、又、スクーターに跨って帰って行った。
仏壇には大きな位牌が四つ立っていた。祖父と祖母の戒名の入った位牌と両家の先祖の霊を慰めるそれと、尊士らしい名前の入った二つの位牌の四つだった。
 母親が仏壇から過去帳を持ち出して来て亮介と良美に見せた。
良美が驚いたことに家系図は亮介から遡ること七代まで記載されていた。今から七代前と言うと豊臣時代になると言う。元々は源平時代に落武者が彼の地に逃れて来たのが始まりらしい。
「源平時代の落武者と言うと、あなたは武士の子孫と言うことになる訳じゃない?」
「そうだな」
「そうだな、なんて気楽なことを言って・・・」
わたしはどうなるのよ、どうすれば良いのよ・・・
母親が言った。
「あんたは次男だから自分の道は自分で切り開いて行くしかないんよ。昔から武家の次男は“部屋住まい”と言うて、他家へ婿に行くか嫡男の家の奥で一人ひっそりと生きて行くしか無かったの。良美さん、だから、何も気にしなくて良いんよ、あんたは。唯、全く知らないのと知っているのとでは、多少なりとも心構えが違うかと思うてね」
然し、良美の胸にはずしりと重いものが残った。
 
 午後になって良美は兄夫婦と亮介に誘われて田圃を見に行った。
日除けの為だと言って、真澄が大きな麦藁帽とサングラスと手首から肩まで蔽われる腕カバーを貸してくれた。
田圃への道すがら、亮介が良美に言った。
「おふくろが話した松木家のことは余り気にするな。俺は武家の出でもないし百姓でもない、一介の宮大工だ。俺とお前に大事なのは、これからの二人で生きて行く人生だ。出自や家系と言った過去のことでは無く、力を合わせて切り開いて行く未来のことだ」
「・・・・・」
真澄が補足するように亮介の話に継ぎ足した。
「そうよ、良美さん。わたし達も結婚してから新しい仕事を始めているのよ。家の人が中心になって農業法人を作ったの。水と土と太陽の恵みがぎゅっと詰まって栄養と生命力に満ちているこの新潟のコシヒカリを全国の皆さんにお届けしたいと、そう思って始めたのよ。ご注文を頂いてから、室内で米粒の選別や精米、梱包をして鮮度の良いお米を届けることにしているの。お米の一粒一粒が心と身体を元気づける一助になれば、と願って毎日精を出しているの。過去への振り返りよりも未来を創る気概を持つことが何よりも大切だと私は思うわ」
そう言って、今やっている農家の仕事の概略を説明してくれた。
「冬の間にじっくりと土づくりをして、春が来たら籾を蒔いて苗を育て田植えをする。夏にはすくすく育つ稲の合間を縫って田圃の中を歩き、雑草を抜いて稲の様子を見ながら大事に世話をする。そして、秋になると、豊かに実った稲穂に感謝しながら収穫し、低温倉庫で温度と湿度をきちんと管理しつつ出荷の準備に取り掛かる。まだまだ微々たる収穫量だし余り知れ渡っても居ないけど、でも、夢だけは持ち続けたいと、家の人を初め手伝ってくれている仲間たちも皆で頑張っているのよ」
真澄の親身な話を聞いて良美の心も次第に解れて行った。
 
 夜には、再び良美も手伝って作った郷土料理に舌鼓を打った。山モチや刺身蒟蒻、キャラフキ、蕨の昆布和え、くじら汁などどれもが素朴でシンプルで田舎の美味だった。特に「くじら汁」は、くじらに人参やじゃが芋やカボチャ、玉ねぎや茄子など冷蔵庫に在る野菜を何でも入れて煮込んだ豚汁感覚の味噌汁だった。ポイントはかぼちゃだった。かぼちゃのお蔭でクジラの臭みが甘味に変わって味が円やかに仕上がっていた。
「この辺りではクジラは夏しか売っていねぇから、夏限定の味噌汁なんよ」
良美は貴重な機会を得たのだった。
食事が終わって後片付けも済み、皆で苦い渋茶を飲んで居る時に兄の耕一が亮介に言った。
「京都へ帰る前に月岡温泉へでも寄って一晩のんびりして行けよ」
「ああ、そうだな」
良美は、えっ、二人で一晩、温泉へ泊るの?と驚いたが、亮介は何食わぬ顔をして澄まし
ていた。
ひょっとして、これは兄弟で企んだ仕業かも・・・
然し、良美の心には躊躇いながらも何処か浮き立つものが有った。
「私の知り合いが月岡で旅籠をばやりよるけん、電話ば入れちゃるよ」
母親にそう言われて良美はもう断わることが出来なかった。
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