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文字数 1,767文字

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 彼女はそこまで言って一旦、ふぅ、と斜め上方向に短く息を吐き出した。暫くの間ずっと話し続けてくれていたこともあり、流石に少し疲れたのだろう。何か一言くらいはこちらから言った方が良いだろうか、と思って声を発そうとした瞬間に「待って」とあちらから遮られた。
「私まだ、ちゃんと理由言ってないでしょう? 今から、言わせて」
 それもそうだった。今彼女が語ってくれたのはあくまでも経緯だけで、明確な理由はまだ何も聞いていない。僕は再び聞く側の体勢に戻った。そう言って寂しそうに微笑んだその表情は、あの日の礼華さんにそっくりだった。それに対して何かを思う間もないタイミングで、彼女は息を吸って、言葉を紡ぐことを再開した。
「家族は皆いなくなってしまったけど、私、こっちに来てからも友達はできたし、仕事も数年間ではあったけどやりたいことはやれたし、誰かとお付き合いすることもできた。人として生きているうちに私のやりたかったことは、もう一通りできたの。これ以上望むことは何もない」
 そして、真っ直ぐに僕を見て、言った。
「だから悟さん。祖母から借りていた資格、私に返してほしいんだ。これが、私があなたに会いに来た理由」
 一見すると優しくだが、確固たる意志が一本真ん中に通っているその言葉に、僕は思わず狼狽えた。
「えっ……ちょっと待って、どうして? 何で折角生きているのに、ここでそれを放棄しようとするの?」
「私は、祖母と悟さんが交代しなければ、この世界にいるはずがなかった存在。それでもここまで満喫できたら、もう十分だよ。私は祖母が返せなかった『矢野悟』という人物を、あなたに返すことが人生最後の役目だと思ってる」
「待って、僕は自分で望んでこの役目を永遠に担ったんだ。君がそこで責任を感じる必要は――」
「あなたが『矢野悟』を捨ててしまったら、あなたが償いたいと言ったあなたのお母さんは、あの約束で一体誰のことを守ろうとしていたというの。その気持ちも全てなかったことにしてしまうような、そんな悲しいこと言わないで」
 僕の言葉を遮って彼女はそう言った。これまでずっと崩されることのなかった顔立ちが、少しだけくしゃっと歪んでしまった。「君こそ、そんな悲しそうな顔しないでよ」なんて、全くもって言い返せなかった。
「祖母から話を聞いて、何となく思ってはいたけど、さっきの話を聞いて確信したの。あなたはこんな長い間ずっと、決して贖罪のために使者を続けてきたわけじゃないでしょう。それなら、そんな投げやりに自分を捨てるようなことしないでよ。
 先立った人も残された人も、どちらも救うはずの使者であるあなたが、自分が使者であるが故に自分だけ見殺しにしているなんて、そんなこと許されていいはずがない」
 あぁ、この人、僕が今やっと気付いた――いや、気付かないふりを続けていたことに、とっくに気付いていたんだな。
 どこかで糸が切れでもしたら泣き出してしまいそうな表情の彼女を見て、反論する気にもなれなくなってしまった。代わりに、そう思って出てきたのは、乾いた自分の小さな笑い声だった。
「……ははっ……そっか、そうか……」
 やっと真実に気が付いて、どうしてそれだけでこんなに苦しくなっているのか。愚か者の僕は、その答えがここでようやく分かった。
「僕が償うべき罪は、こっちだったよなぁ……」
 僕は対人関係から生じる孤独から逃れるため、彼女は誰にも知られることがない悲しみから抜け出すため。お互いに交代するメリットが合致しているなら、それでいいと思っていた。人間でいる方が幸せだというのなら、使者の役目は僕が永遠に引き受ける方がいいんだと勝手に思っていた。彼女は本当は、少しの間「貸した」だけだったのに、僕はそれを「くれた」ものだといつから勘違いしていたのか。
 人と関わらなければ誰も傷付けないと思っていたのに、結局僕は、自分の勘違いでこうして二人も傷付けてしまっていたのだ。
 借りた物を返さないくらいで罪に問われるなら、この国では毎日裁判沙汰が尽きないはずだ。そのくらいの罪ではある、けど、それが原因で別の悪意が生まれてしまえば話は全く別物だ。約束を破ったことから始まって、自分を葬り去って、知らずに他人を傷付けていた。たかが逃げるためだけに長年も、いくつも罪を重ねてきたなんて。
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