07

文字数 1,964文字

「何を言ってるの、自分が何を言ってるか分かってる? 使者の役目はそんな簡単な気持ちで引き受けるなんてことしたら、一生苦しむだけよ」
「分かってるし、簡単な気持ちで言ったわけでもないよ」
「それでもダメよ。わざわざこんな思いをする必要は全くないし、あなたにはあなたの人生があるんだから、きちんと自分の人生を――」
「僕、もう独りぼっちなんだよ」
 彼女の言葉を遮って僕はそう言った。
「母さんを失った今、僕が頼れる『親族』と呼べる人はこの世に誰もいないんだ」
 この世に生存している父はもう僕ではない別の誰かを自分の子どもだと見ているし、そんな父の両親は僕たちを助けてくれようとはしてくれるけど、結局戸籍上はもうはっきりと他人になって暫く経つ。いくら父と絶縁してるとはいっても、祖父母と父が血の繋がった親子である事実はどうやっても消えるはずがない。だからこそ、腕を広げて駆け寄るなんて真似はできなかった。僕たちはどうやっても、上手く頼ることができなかった。
 だからこそ本当に独りぼっちなのだが、薄々理解はしていたが、いざ口に出してみるとそこで初めて「孤独」がはっきりとした輪郭を持ったことが分かった。濡れた箇所に風が吹いたような冷たさが、胸の中にじわじわと広がる。
「……それに、僕が母さんとの約束を破ったから、こうして見えるようになってしまったんでしょう。だったら、その罪の償いだ。それであなたが一生報われないことがなくなるなら、僕たちにとって不都合なことは何もないでしょう。
 お願い。償うための手段を、僕に下さい。そうじゃないと、多分僕は、孤独の中で色んなものに耐え切れなくなる」
 僕は項垂れるように頭を下げた。目線の先の自分の手が、声と同じように震えているのが見えた。悲しさと悔しさの中に、怖さも混じってきていることをゆっくりと自覚した。視界では捉えていなかったが、彼女が困惑しているのは空気越しでも分かった。
 彼女が再び口を開いたのは、暫しの沈黙の後だった。
「……分かった。但し、条件付きにさせてもらうわ」
 固い声だったが、確かな許しが出たことが分かり、僕はそこでようやく頭を上げた。
「二つあるけど、取り敢えず一つ目。お母様のお見送りだけはきちんと最後まで済ませてきて。それだけはやってきてもらわないと、私も『母親の見送りすらできないまま引き継がせてしまった』って、そんな罪悪感で絶対に潰されてしまうから」
「……うん、分かった。ありがとう。条件、二つ目は?」
「それは、本当に引き継ぐ時に話すわ。だからきちんと見送ることができたと納得できた時、もう一度この公園に来て。私はあなたの様子を知ることができるから、あなたが来たタイミングでもう一度ここに来る。それは必ず約束するから」
「分かった。僕、きちんと母さん見送ってくるよ」

 その後日、僕は母を最後まで送り出し、再びあの公園へ足を運んだ。
「……来たわね」
 するとどこからもなく声が聞こえ、俯きがちだった視線を正面に向けた。するとそこには、あの時の彼女がいた。
「うん。ちゃんと、母さん送り出してきたよ」
「そのようね。こっそり見てたわ、使者の特権を使ってね」
 彼女はまた寂しそうにだが、クスリと笑ってそう言った。
「じゃあ、約束通り二つ目の条件を伝えるわ」
 そして言葉を続けながら目を伏せる。伏し目がちになった彼女の顔を見た時、ふと目に留まった長い睫毛が印象に残った。彼女は自身の腰辺りを探っていたので、恐らくポケットの中から何かを出そうとしているのだな、と思った。
「……これは?」
 スッと音もなく彼女が目の前に出したのは、鈴が一つ付いた小さなバッジだった。
「約束して。あなたがもう、自分の罪は償えたと、……いや、もう使者をやりたくないと思った時には、私に使者の資格を返還して。そしてその時には、私の側でこの鈴を鳴らして知らせて。近くでなら、私が人間に戻ったとしてもこの音は聴こえるはずだから」
「……分かった。でも、僕が返す気はないと言ったらどうするの?」
「そんなことない、あなたの罪はそんな遠くないうちに償えるはず。というか……程々で自分のこと赦してあげてよ。私はあなたが一生苦しむことなんて望んでないし、お母様もきっとそんなことは望んでないのだから」
「……うん、そうだね。分かった」
 僕は承諾しながら、彼女がバッジを差し出した手をそっと両手で包んだ。すると重ねられた僕たちの手から光が溢れ出し、たちまちに二人を包んだ。次第に光の粒は僕の方に集まり、体が急速に軽くなっていった。言葉通り、僕は自分の実体を失ってゆくのが分かった。
「……またいつか、お会いしましょう」
 そして僕がその場から消えてゆく直前に、彼女は最後にそう言った。

 僕はその約束の言葉を叶えることはなく、そうして数十年が経過した。
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